第五話 お祭り

①うまいもん祭り開催!

 うまいもん祭り開催日当日は、雲一つない快晴だった。

 少し汗ばむくらいの陽気だけれど、絶好のお祭り日和だ。

 会場となる大広場には、街の人全員が集まっているんじゃないかと思えるくらい、大勢の人でにぎわっていた。

 そして、それ以上に、広間に所せましとならんだ屋台から、なんとも胃袋を刺激するいい匂いが立ち昇っていた。


「わあ、すごい……」


 祭りが始まる少し前に会場入りしていたココハは、その光景に感嘆の声をあげた。

 まだスタート前だというのに、広場にいる人たちは目当ての屋台に長蛇の列を作っている。

 大都会サラマンドラでも、一所にこれだけの人が集まる機会はめったにない。

 少し、熱気に気圧されてしまいそうだ。


「なんか去年よりスゴくない? 広場じゅう人だらけじゃん」

「そうですね。屋台の数も増えているように思います。ふふっ、わたし達が旅芸人時代通った町の郷土料理もあるかもしれませんね」

「笑い事じゃないって、院長。これ、ゼッタイ食べすぎの患者さんたくさん出るよ」

「そうですね。ちゃんと適切な対処をしてさしあげられるよう、気合入れて参りましょう」


 ヒラソル女子修道院の副院長レナタと、院長マカレナがそんなふうに言いあう。 

 ココハたちがいるのは「救護スペース」と書かれた看板を掲げた、テントの中だった。

 中には簡易のベッドが等間隔に並び、消化を助ける胃薬や、痛み止め、酔い止めなどの魔法薬が山のように積まれていた。ちょっとした野戦病院レベルの規模だった。

 魔法薬は昨日おとといで、ココハと修道院の皆が一生懸命作ったものだ。

 原材料のほとんどは評議会のチャボが用意してくれ、夕方からはイハナ隊の皆も修道院にやってきて、薬作りを手伝ってくれた。


 気合を入れなおしているマカレナ達を見習い、ココハも魔法薬やテントの中を再点検する。

 すでにチャボとは契約書を交わし、多額の報酬を約束してもらっている。

 学士時代、勉強の片手間に冒険者酒場で受けていた依頼とは違う。

 いわば、プロとしての初仕事なのだ。

 と、そんなココハ達の脇を抜けて、修道女見習いのリタがふらふら~っとテントの外に出ようとする。


「って、リタ。どこ行こうとしてんの」


 レナタがその首根っこをむんずとつかんだ。


「ん、ちょっと」


 リタはまるで熱に浮かされたようなとろんとした目で返し、首を掴まれながらも足をぱたぱたさせる。


「あんた、食べ物の屋台行こうとしてるでしょ。お仕事忘れたの!?」

「むう。きゅうごテントの真向かいがポントローレの屋台なんてムリ。あまりにもあらがいがたいあくまのゆうわく」

「修道女が悪魔の誘惑に屈しちゃだめでしょうが!」


 ポントローレというのは、小麦とナッツを混ぜ合わせた生地を焼いて、バターと砂糖をたっぷりまぶした焼き菓子だ。サラマンドラでもポピュラーな、子供に人気のお菓子だ。

 一口サイズの丸いボールのような形にするのが一般的で、口に放り込むとさくさくとした食感と、口いっぱいに広がる香ばしさと甘みを楽しめる。

 どうやらリタの好物らしい。


「リタ。休憩時間までがまんですよ。うしろめたい気持ちで食べるごはんより、しっかり働いた後でいただく糧のほうが、きっとおいしく思えるはずです」


 そうマカレナがやんわりと諭す。

 さすが幼いながら修道院長の言葉だけあって、説得力ばつぐんだ。

 叱られている当のリタだけでなく、傍にいるココハも思わず聞き入ってしまった。

 リタは最後の抵抗を示すみたいにむ~む~とうなって誘惑と格闘していたけれど、ややあっ

 て「分かった。がまんする」と素直にうなずいた。


「きゅうけ~時間にたくさん食べる。それで、おなかぽんぽんになってお薬のんでよこになる」


 そう言ってリタはベッドの方を指さした。


「いや、そこはお腹痛くならないくらいに加減しようよ」


 と言ったのはココハだ。

 いつもはリタのツッコミ役をしているレナタも、三人のまとめ役のマカレナも、リタの言葉になぜか真剣な顔になってうなずいていた。


「まあ、食べすぎは仕方ないよな。なるべく迷惑はかけたくないけど……」

「ですね。わたし達育ちざかりですので。仕方ないのです」


 マカレナはおとといの晩、ココハに言ったのと同じ言葉を繰り返した。

 マカレナ達三人は修道女としては型破りなところもたくさんあるけれど、みんな素直で良い子たちばかりだ。

 それは二日間修道院で一緒にいたココハがよく知っている。

 食事の時も、極端な節制をしたりはしないけど、栄養バランスに気を付けて、それこそ育ちざかりに女の子たちとして適切な量をちゃんと食べていた。魔法医として、ココハも感心したくらいだ。

 暴飲暴食をするような姿は見たことない。

 そんなマカレナ達すら、始まる前から食べ過ぎて倒れる宣言するなんて。

 うまいもん祭りとは、それほどまでに恐ろしい力を持ったものなのだろうか。

 ココハが、その疑問を身をもって体験することになるのは、もう少し後のことだ。


 ◇◆◇


 チャボも含めた評議会のメンバーが短いあいさつを述べた後、注意事項を話していく。

 会場には、早く始めてくれ、と言わんばかりの熱気が充満していた。


「くれぐれも食べ過ぎ、飲みすぎは控えること」と言ったその直後に、「食べ過ぎて具合が悪くなったものは救護スペースに行くこと」とココハ達のいるテントを指し示したのは、なんだか矛盾していた。


 大きな太鼓がどーんと打ち鳴らされ、とうとううまいもん祭りが開催した。

 直後、会場は大きな喧騒に包まれる。


「星いわしのパイと、木苺のジャムパン二つずつ!」

「こっちが頼んだのが先だ。マンネンタケのスープもくれ!」


 屋台の料理を求める怒声が、こだまになって会場のあちこちから響く。

 なんだか皆、殺気だっていた。

 ちょうど、ココハとイハナが市場を訪れた時、食材を求める料理人たちでごった返していた時に似ていた。

 みんな命がけといっていいくらいの情熱が伝わって来る。


「うわぁ……」


 その様子を見て、ココハは呆気にとられていた。じゃっかん、引き気味だ。

 たしかに、救護スペースのテントの中にまで、良い匂いがたくさん漂ってくるし、嗅いでるだけでもお腹がすいてくる。

 けど、我先にと食べ物を求める人々の姿を見ると、巻き込まれたくないなぁという気持ちが先に立つ。とてもあの人の渦の中に飛び込む勇気は湧かなかった。はっきり言って、かなり怖い。

 そして、間もなく、そんなことを考える余裕もなくなってしまう。


 ――――――――――――――


「う、うう……。お、俺はもうダメだ……」

「もう。しっかりしてください!」


 苦し気にうめく男相手に、ココハは盛大なため息とともに返す。

 三十半ばほどの容姿で、男性としてはやややせ型だったが、いまはお腹をぽんぽんに膨らませていた。

 男は脂汗のにじむ顔にうっすらと笑みを浮かべ、


「いいさ……。自分の身体のことは自分がよく分かっている……。せめて……せめてこの手紙を届けてくれ。夢を見て飛び出した俺の帰りを待つ恋人の元へ……」

「ただの食べ過ぎで人は死にません! いいからおとなしく寝ててください!!」


 男が懐から取り出した手紙らしき紙切れを強引に押しつけ返し、ココハは怒鳴りつけた。

 十八年の人生を通して、怒るよりも怒られることのほうが圧倒的に多かった彼女が、こんなふうに声を荒げるのは珍しいことだった。

 目の前の男に対し怒っているというよりも、忙しすぎてピリピリせざるをえないという感じだった。

 男は、少ししゅんとなって簡易ベッドに横たわった。

 ベッドの上でも苦し気にうめいていたが、処方された魔法薬が効いてきたようで、だんだん顔色もよくなっていく。

 ココハはせわしげに救護テントの中を見て回り、次々とやって来る患者に対応していく。


「マカレナ院長、そっちの様子はどう?」


 ココハが様子を見にいくと、マカレナはベッドに横になった患者の横に正座して、その患者さんの手を両手で包み込むように握っていた。


「あわれみ深い神さまはあなたの罪を全てゆるしたまいます。おそれることはありません。神さまのおそばに旅立たれるあなたに、永遠のよろこびがおとずれますように」

「そこぉ~~! ご臨終のお祈りしないッ!!」


 びしっと指さし、マカレナにつっこみいれるココハ。

 マカレナはココハの大声に、はっと我に返ったように顔を上げた。


「マカレナ院長。いまは修道院長としてじゃなくて、救護班としてお仕事してるんだよね?」

「こ、これはそのぅ……ぜひにとお願いされたものですから、つい……」


 マカレナはココハの剣幕に押され、しどろもどろに答える。

 そんな小さな修道院長を脇にどかし、ココハは横になっている患者の容態を見る。

 二十代後半くらいの女の人だった。


「やっぱり! ただの食べ過ぎです。薬は飲みましたね? じゃあ楽に動けるようになるまでそのまま寝ていてください。はい、マカレナ。次の患者さん看る!」

「は、はいぃぃ」


 ココハに追い立てられるようにして、マカレナもわたわたと立ち働く。


「あ~、もう! どうしてどの人もこの人も死にそうな思いするまで食べ過ぎるかなぁ!?」


 ぶつぶつ言いながらも、次々とやってくる患者のことは一人一人丁寧に診ていく。

 まだ祭りが終わるまで、半分の時間も過ぎていなかった。

 けれど、すでに救護テントは人でいっぱいで、人気の屋台顔負けの盛況ぶりだった。

 正直、作りすぎて絶対余ると内心思っていた魔法薬も、みるみるうちに数が減っていく。


 いまのところ、食べ過ぎの患者が七割、お酒の飲みすぎの患者が二割くらいだった。

 十人に一人くらいの割合で、食当たりの患者もいた。


 お酒の飲みすぎに関しては、ココハも対応は手慣れたものだった。

 なにせ、ココハの担当だった魔導医学の教師サハラ・スカーレット教諭その人が、大の酒好きだったのだ。

 泥酔してたり二日酔いだったりするサハラを生徒の方が介抱するのが、魔道学院魔法医学科に

 おける年中行事のようなものだった。

 入学して最初にサハラに教わったのも、酔い覚ましの魔法薬だった。

 また、学士時代は冒険者酒場で、酔っ払いを相手にすることもしょっちゅうあった。

 ただの食べ過ぎなら、消化を助ける薬を飲ませてしばらくじっとしてもらえば、めったなことでは大事には至らない。


 怖いのは食当たりや腹痛を起こした患者だった。

 といって、屋台の料理が客に食中毒を起こすような粗悪なものだというわけではない。

 もともと「うまいもん祭り」の起源は、どの地方の料理が一番うまいか、元旅人の住人達が言い争ったことに端を発する。

 なので、普段ラスカラスの住民も食べ慣れないような各地の郷土料理が祭りでは数多く提供されていた。

 どんなにおいしくても、食べ慣れない料理や食材に対して、身体が受けつけてくれないという人は少なくない。

 食材に含まれるアルケの構成によっては、拒絶反応を示してしまう体質の持ち主も中にはいるかもしれない。最悪、命の危険すらあった。

 だから、ココハはどんなに忙しくても決して手は抜かず、食当たりの患者を見逃さないよう一人ずつ状態を確認しては、最適と思われる魔法薬を処方する。


 そんなこんなで、ココハが時が経つのも忘れるほどばたばたしていると、休憩に行っていたはずのレナタとリタの二人が、ふらふらの足取りでテントに戻ってきた。


「ゔ~、くるしい。もうだめ、むり」

「わっ、リタのバカ! いま寄りかかるな。中身出るから。うぷっ」


 二人とも、ゆったりとした修道服の上からでもはっきり分かるくらい、お腹がぽんぽんに膨らんでいた。


「…………はぁ」


 本人たち自ら宣言していたことだし予想もしていたので、ココハは何も言わなかった。

 ため息一つつくと二人を中に招き入れ、


「二人ともそこ座って。診察するから」


 レナタ、リタの順で症状を診ていく。

 幸い、二人ともただの食べ過ぎだ。


「二人の歳に合わせてお薬は処方するから。飲み方は分かってるよね? 奥のベッドがちょうど二つ空いたから薬飲んだら横になってて。交代の時間になったら容赦なく叩き起こすからね!」

「うぅ~、ごめんなさい~」

「ココハせんせ~のおに~」


 レナタたちに薬を出し終えたちょうどその時、新たな呼び声がテントの入り口から聞こえた。


「お~い、助けてくれ~。食い過ぎた~」

「……はいはい。いま行きます。って、おじさん!? 三度目ですよね、ここ来るの!?」


 テントの前にいたのは、人の好さそうな目の細い中年男性だった。

 普段からやや太り気味の体質と見えるが、いまこの時は大きなボールのようなまん丸のお腹をさすっていた。

 ココハが指摘した通り、彼の顔を見るのはこれで三回目だった。


「いや~、はっはっは。西側エリアのテントの奥に、グラント巻貝のパエリアを出す屋台が隠れていてね。それにバルバロクラゲと山菜の炒め物も山盛りだされてねぇ。これを食わねば一生後悔すると思うと、つい、ね」

「つい、じゃありません! もう絶対、ぜぇ~~ったい! 食べ過ぎないでくださいね!! 四度目はもう看ませんからね!?」


 苦し気に息をしながらも照れ笑いを浮かべるおじさんの背を少し乱暴に押して、手早く診察を澄ませて魔法薬を処方するココハ。

 彼女の苦闘はまだまだ続いた。

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