⑭その祈りは奇跡のように
「すごい……」
祈りの歌のじゃまにならないよう、小さな声でココハはつぶやいた。
それでも、感嘆を口に出さずにはいられなかった。
三人とも見事な歌声の持ち主だったが、その中でも、一番の声量と歌唱力を持っているのは、間違いなくリタだった。
ふだん喋っている時の声とはまるで違う。
「神さまなんていないと思ってる」そう言っていた修道女見習いのリタだったが、その歌声は聞くものの心をゆさぶらずにはいないだろう。
王都サラマンドラの歌唱隊にも匹敵しうる、歌声だ。
マカレナたちもそれは十分承知のようで、リタが中心となって主旋律を歌い、あとの二人はコーラスを受け持つ。
透き通った清澄な歌声ながら声量は大きく、力強く朗々と聖堂いっぱいに歌声が響きわたる。
肌が粟立つほどの感動を覚えながら、ココハは思い出していた。
菜園でリタが他の二人を呼んだときの大きな声を。
一朝一夕で、あるいは才覚だけで生み出せるような歌声ではなかった。
きっと、旅芸人だった頃も、彼女は小さな歌姫だったのだろう。
それを、彼女自身が望んでいたかどうかは分からないが……。
そう思って聴くと、リタの讃美歌には言葉にしがたい複雑な想いがこもっていることに気づく。
その詞(うた)は神を讃える言葉に溢れている。
けど、同時に嘆きの歌のようにも響く。
哀しみの淵(ふち)で、絶望の寸前の嘆きを歌へと変え、胸の内のすべてをさらけ出して叫ぶかのように。
なのに、どこまでも歌声は澄んでいて、賛美の言葉は美しい。
苦しみも哀しみも超え、いまここに三人でいることをせいいっぱい確かめるように―――。
幼子が泣き声を上げ母の腕を求めるように、歌声を天上へと届かせんと張り上げる。
歌一つで、こんなにも複雑な、切々たる想いを伝えられることを、ココハは初めて知った。
マカレナたちの歌声は、そんなリタにそっと手をさしのべ、寄り添うかのようだ。
苦痛を分かち、共鳴し、けど決して分かったふりなんかはしないで、寄りそいあう。
そして、そんなリタの想いをすいくいあげ、共に天まで放り上げる。
ココハはいつしか、ごく自然に両手を丸く組んで、瞑目(めいもく)していた。
魔導士は神を崇めない。
けれど、この場には信仰を超え出たなにかがあふれているように思えた。
透明な光―――、無理に言葉にしようとすればそう形容できるかもしれない。
リタ達の歌声に包まれていると、魂までもが透明に澄んでいくようだ。
修道女の祈りと賛歌は、たっぷり一時間近く続いた。
けれど、それをほんの一瞬の間のできごとみたいに感じていた。
透明に澄んだ意識のなか、ココハはなぜかはじめて魔術に成功した日のことを思い出していた。
魔術を学ぶほど、この世界がどれほどの神秘に満ちているかに気づく。
一つの扉を開けると百の未知の部屋が広がっている感じだ。
”魔導士とは、人間が真理についていかに無知であるかを、他の人よりほんのわずか能動的に自覚している者の呼称に過ぎない”
これは、魔導学院の創立にも貢献した古代の大魔導士、マイスター・ウンベルトの言葉である。
それが決して自嘲でも謙遜でもないことを、魔導学院の学士は授業を通して知ることとなる。
自然界の驚異にたいし、畏敬の念を抱かない魔導士などいないだろう。
そして、その神秘の力をアルケと名づけ、敬意とともに研究をする。
世界を創造したのが神であるとするならば、魔導士の畏敬の念は、神に仕える者の信仰心と大きくは違わないのかもしれない。
魔導士と教会。
互いにギクシャクとした歴史関係を持つ両者だが、それぞれの理念に対し、より深い理解を示す日はそう遠くはないのかもしれない。
そこまで理屈だてて考えたわけではないが、ココハは自分が魔法医を選んだことを、神さまに誇れるような、そんな気持ちになっていた。
「ふみゅう……」
夢のような祈りの歌は、そんなリタの謎のつぶやきによって、突如中断された。
「ちょ、こら、リタ。ここで寝ないの。ちゃんとベッドまでいきなさい」
「むり、もうげんか…………すぴ~」
「あー、もう」
ココハがゆっくりと我に返ると、リタが全身をくたりとさせて、レナタの背に寄りかかっていた。
そのあと、ゆらゆらと頭が揺れたかと思うと、完全に寝入ってしまったみたいで、くた~っとレナタの背におぶさった。
気絶したんじゃないか、と心配になる光景だった。
ココハは椅子から立ち上がって、速足で三人の傍に寄った。
「り、リタちゃん、大丈夫?」
けれど、マカレナは微笑とともにリタの頭をなで、ココハにも心配ないとばかりにうなずいてみせた。
「うふふ、だいじょうぶです。ときどきこうやってお祈りのあと、すぐ寝ちゃうんです、この子。
今日はココハさんもいらして、いつもより張り切ってしまったんでしょうね」
その微笑はお祈りのあとだと三倍増しくらい慈愛に満ちてみえ、神々しくさえ感じられた。
「レナタ。リタを運んでもらえますか。ろうそくの灯を消したら、わたしもすぐに寝室にいきます」
「ほーい」
レナタは慣れた手つきで、リタをおんぶして、本堂の入り口に向かった。
「だ、大丈夫? わたしも手伝おうか?」
ココハがそう申し出ると、レナタは首だけ振り返って、笑って答えた。
「平気です。リタ、軽いから。それじゃ、おやすみなさい。マカレナ院長、ココハさん」
「ええ、おやすみなさい、レナタ」
「おやすみなさい」
レナタは軽く頭を下げて、そのまま部屋を出ていった。
リタも寝ぼけながらおやすみと言ったつもりなのか、何かむにゃむにゃつぶやいていた。
「ふあぁ」
リタの寝姿に釣られたのか、ココハの口からも大きなあくびがもれる。
「ふふっ、長い時間お祈りにお付き合いさせてすみません。ご退屈様でした」
「退屈なんて、とんでもないよ!」
ココハは慌てて自分の口を押えて、マカレナにいかに感動的な歌だったか力説した。
「ほんと、三人ともとってもきれいな歌声でびっくりしちゃった。もっとずっとずっと聞いてたかったくらい。特にリタちゃんの歌は、プロの歌姫にも負けないくらいで……。旅芸人さんだった時も、歌を歌っていたんだよね?」
「ええ……」
マカレナは相変わらず微笑を浮かべたままだったけど、残ったろうそくに照らされた横顔は、ほんの少しだけかげったように見えた。
「歌以外にもいろんな芸をしましたが、リタの歌は特に好評でした。わたしたちはお客さんにショウを楽しんでもらえれば、ただそれだけで……。それだけでよかったんです。けど……その、旅芸人一座にも、なんというか、いろいろありまして……」
マカレナは困ったような顔で、苦笑した。
とても、十二歳の女の子が浮かべる表情ではなかった。
「ごめん、辛いこと思い出させちゃった……よね?」
「いいえ」
マカレナは首をふって微笑んだ。
こんどは、心からの笑顔に見えた。
「この町には、元居た場所でうまくいかず、移住してこられた方が少なからずいらっしゃいます。わたし達はそんな方々の心に寄り添ってさしあげることができます。旅芸人一座で経験したことは、人の痛みを分かる人間になれるようにとお考えくださった、かみさまの贈りものだったのだと思います」
聖母が実在していたなら、きっとこんな顔をしていたのだろう。
そう本気で思えるマカレナの慈愛に満ちた微笑みに、ココハはただただ心が打たれる思いだった。
「うん……きっとそうだよ」
「えへへ、ありがとうございます。それに、この町はとっても温かくて、みんな親切です。だから、大修道院長様が亡くなられたあとも、わたし達三人で修道院にいられるし、毎日楽しいですよ」
「うん……」
ココハの目尻にうっすら涙がにじんだ。
どこまでもけなげで屈託のない小さな修道女たちの姿に感動させられたのか。
楽しげに笑いあい日々を過ごす三人の姿に自分を重ね、親友二人のことを思い出したのか。
自分自身、涙の理由ははっきりと分からなかった。
けど、胸の内はじんわりと暖かく、暗い涙でないことだけはたしかだった。
「あさってのお祭りもきっととっても楽しいです。その……ココハさんは楽しむどころじゃないかもしれないですけど……。ごめんなさい」
「あははは、修道院長のせいじゃないでしょ。たっぷり薬は作るし、みんな安心して食べ過ぎていいから」
冗談めかして言うココハ。
マカレナはふと真顔になって、
「おそらく、明日はわたし達三人も食べ過ぎます」
きっぱり言い切った。
「へ?」
「成長期ですので。しかたないのです」
「え、ええ~……」
修道院長なりの冗談なのか、とも思ったけど、マカレナの顔は真剣そのものだ。
「その時は、ココハさん。どうかわたし達三人のことをよろしくお願い致します」
修道院の長らしく、とても丁寧に、深々と頭を下げる。
「え、えっと……。うん、まかせて」
ココハは、困惑しながらも胸を叩いて請け負った。
―――こんなにしっかり者のマカレナ院長まではじまる前から食べ過ぎると断言するなんて、うまいもん祭りって、いったいどんなお祭りなんだろう……。
その答えをココハが身をもって知るのは、翌々日のことだ。
来客用の部屋に戻ると、ココハにも眠気が押し寄せてきた。
まだ野宿生活の時ですら眠りにつくような時間ではなかったが、町に着いてから色々なことがあったせいか、どっと眠くなった。
―――それにしても、リタちゃんの寝顔、かわいかったなぁ。
レナタの背中にくてんとおぶさってかすかな寝息を立てているその姿は、まさしく天使そのものだった。
もちろん、マカレナとレナタの二人もかわいさでいったら引けを取らない。
あの三人が―――特にリタが旅芸人時代にどんな辛い想いをしてきたのかは、想像も及ばない。
けど、無防備に眠るリタの姿は、二人が傍にいることに心から安心しきっているみたいに見えた。
きっと三人は寄りそいながら眠っているのだろう。
ああ、そういえばマカレナ修道院長はウサギのぬいぐるみを抱っこして寝るんだっけ。
そんな三人の寝姿を想像しただけで、幸せな気分になってくる。
それと同時に、自分だけが客室で一人寝るのを少し寂しく思ったりする、ココハだった。
―――明日も、あの子たちと一緒にがんばろう。
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