⑬お祈りの時間
着てるものが変わると気分も変わってくる。
ココハは沐浴を終えた後、客人用のローブに着替えた。
沐浴着の色合いに似た、淡い桃色の一枚着に、フードも付いている。
修道服よりも簡素なものだが、清楚感が漂う衣服だ。
なんとなく背筋が伸びて、おしとやかな気持ちになる。
長旅を想定した旅装は、頑丈だけどこの時期には少々厚手過ぎた。
沐浴でさっぱりしたのも手伝って、羽が生えたみたいに気分爽快だった。
「わあ、よくお似合いですよ、ココハさん」
「えへへ、ありがとう。みんなとお揃いになったみたいで、ちょっと嬉しいな」
マカレナ達に囲まれ、ココハの表情も弾む。
隊商のみんなは今頃どうしているだろう、とふと思い出したけれど、きっと最初の交易拠点に着いて、忙しくしているに違いない。
イハナも今頃は本業に精を出していることだろう。
だとしたら、自分もここで出来ることをがんばろう、と思う。
「マカレナ院長。この後はどんな予定なの?」
「そうですねー。まずはお洗濯ものをいっぺんに済ませてしまいましょうか」
「おー。ついでにオットーもそろそろ洗ってやるといい、と思う。本人はいやがるけど」
リタがそう口をはさみ、レナタも同意する。
「たしかに。ノミにたかられてたりしたらかわいそうだし……」
「んー。その身体で抱きつかれるリタもかわいそう、と思う」
「あはは。最初に会った時も、オットー君、リタちゃんに飛びついてたもんね」
マカレナ修道院長も、笑いながらうなずいて、
「ええ。リタは昔から動物たちに不思議となつかれるんです」
「庭にいると鳥とか鹿とか寄って来るんだよね。本人も動物っぽいせいかな」
「おー。たびげーにんのころは、ヘビさんやトカゲさんといっしょに芸をしてた。ヤなこともいっぱいあったけど、あれはヤじゃなかった」
「へー、それはちょっと見てみたかったかも」
田舎育ちなせいか、ココハは他の女子魔道学士たちとは違って、爬虫類や虫の類は特に苦手ではなかった。
もちろん、毒を持っているやつや、魔物化してしまったようなヤカラは全力で避けたいが……。
嫌がるエメリナとノエミを無理やりさそって、ヘビ遣いのショーを見に行ったこともあった。
その時の旅芸人は、真っ白なひげを生やした仙人みたいな男の人だった。
あどけない少女のリタがするなら、それとはまた違った魅力的なショウになりそうだ。
「っと、ごめん。話を戻すね。お洗濯のあとは?」
「あ、こちらこそごめんなさい。そうですね、夕飯の準備をして、院内の掃除をして……」
「院長。奥の廊下、いい加減補修しないといけないんじゃない?」
「あ、そうですね、レナタ。それに保存食ももう少し作りおいて……。あとは、お祈りの時間まで出来る限りのことを色々する感じです!」
「オッケー、分かった。正直、学士時代はあんまり家事とか得意じゃなかったけど、出来る限り力になるよ」
「はい! とっても助かりますです」
その後、修道女三人とココハは時に協力して、時に役割分担しながら修道院の仕事をこなしていく。
どんな時も、みんな笑い声とおしゃべりは欠かさなかった。
マカレナ院長は、感謝の言葉は欠かさないけれど、案外遠慮なくココハにも仕事をどんどん頼んだ。
修道院は宿ではないのだ。
それに、様々な雑事をこなすことも、修道院の修行の一環のようだ。
自分で口にした通り、洗濯も掃除もあまりココハにとって得意分野ではなかったけれど、修道女たちと一緒に
していると、楽しく感じられた。
昼食に比べると簡素な夕飯を終え、その日の仕事はおしまいだった。
ココハが抱いていた修道院のイメージに違わず、修道女たちは飽くことなく、一日中働きどおしだった。
ただ違っていたのは、笑い声を絶やさず、心から楽しそうにこなしていたことだ。
「ココハさん、ありがとうございます。とてもとても助かりました。では、これから寝る前のお祈りをしたいと思います」
夜も更けた頃、マカレナ院長に連れられ、ココハは修道院の本堂にきていた。
サラマンドラの大教会と違って、本堂も簡素な造りだ。
どこか洞窟をほうふつとさせる、丸い天井に、ごつごつとした白い壁。
飾りっけのない椅子、それと小さな聖母像と祭壇があるだけだ。
壁の窪みに置かれた燭台に、マカレナ達は順に火を灯していく。
ろうそくの灯に照らされたマカレナの姿は、まさに修道院長の肩書にふさわしい厳粛なものだった。
副院長のレナタも修道女見習いのリタも、この場では聖女めいた気配を漂わせていた。
さっきまで笑い転げながら、一緒に廊下の雑巾がけをしていた女の子たちとは、まるで別人のようだ。
マカレナが祭壇の後ろに立ち、その両隣りにレナタとリタが控える。
ココハは三人に向き合って椅子に座っていた。
自分が場違いなところにいるんじゃないか、という思いがココハの中で、また首をもたげはじめた。
それに気づいたように、マカレナ修道院長は微笑を浮かべ、
「では、これよりお祈りをしたいと思います。ココハさんは、神さまを信じているわけではない自分が参加してもいいのか、とおたずねでしたね」
「う、うん……」
修道女たちの前で少し気後れもするが、正直にココハはうなずいた。
マカレナは厳粛な空気はそのままに、よりいっそう表情を柔らかくし、
「わたし個人としては、そのような方にこそ、お祈りに参加してほしいと思っています。そもそも、神さまは信じたりしなければいけないものではない、とわたしは思います」
「ど、どういうこと……でしょう?」
まるで魔道学院の授業を受けているみたいで、ココハはつい敬語を発していた。
「はい。うまく言葉にできるか分かりませんが……。
お日様の光が日なたにいる人にならだれにでも降りそそぐように、神さまの愛はどんな時にでも平等に降りそそがれていると、わたしは思っています。神さまのことなんて、なにも知らなかった旅芸人の頃のわたし達にも……。少しだけ心の耳に澄ませて、そのことに気づいてほしい。それが、わたし達の考えるお祈りなんです」
「え、えっと……」
正直、ココハにはマカレナの言うことは難しくてよく分からなかった。
助け舟を出すように、レナタ副院長が言葉を継ぐ。
「これはウチなりの考えだけど……。神さまの創ったこの世界にも不幸なことや嫌なことはいっぱいある。あんなに優しかった大修道院長様が亡くなった時は、なんで、で神さまを恨んだりもしたな。
けど、幸せなことだっていっぱいあふれてる。どうせならそっちの方に心を向けてみようよって感じかな。ヒラソル会のお祈りは」
「それは……なんとなく、分かるかも」
修道女三人のような波乱万丈の経験をしたわけではないけれど、ココハにだって辛いこと、苦しいことはたくさんあった。
魔道学院の授業についていけず、もう辞めようと思ったことも何度もあった。
けれど、そんな辛い思いを経験したから、いまの自分がある、とも思っている。
そのことに気づくための時間が“お祈り”だとしたら、ココハにも理解できる気がした。
「ん。リタは二人とちがって、神さまなんていないと思ってる」
「えっ」
それは修道院で発する言葉としては、きわめて衝撃的な発言だった。
けど、驚いたのはココハだけで、マカレナは変わらぬ微笑を浮かべているし、レナタもとがめだてるような様子はなかった。
「リタは二人のことが好きだから、ここにいるだけ。マカレナもレナタもそれでいいって言ってくれる。だから、リタはしゅ~ど~じょみならい」
「それもまた、一つのありかたです。神さまをうたがってもいい、不幸を嘆いてもいい。リタはそうしたくなるだけの経験をしています。どうか、嘆きの思いも祈りとともに吐露してください。そんな思いもぜんぶ抱きとめて、ともに分かち合えたならステキなことだとわたしは思っています」
「ぶっちゃけて言っちゃうと、どんな理由でお祈りに参加するのもウチらは歓迎なんだよね。単なる好奇心でもいいし、疑ってかかってもらってもいいし、それで何を感じるのかも本人次第ってことで」
「おー。だからココハおねえちゃんも楽にしてほしい。リタもよく分からずやってることだから」
「そうなんだ……。うん、わかった」
ココハが魔導士だから気遣って言っているのではなく、それは修道女たちの本心なのだろう。
とりあえず、どんなものか体験してみる。
そんな適当な気持ちでいるのも、アリのようだ。
本堂のかもす厳粛な空気に気圧され気味だったけれど、それならココハにとっても気が楽だった。
「さて、明日も早いのにあまり夜が更けるのもよくありません。そろそろ、お祈りの歌を始めたいと思いますが、ココハさん、よろしいでしょうか」
「あ、うん、ごめん。……っと、待って。お祈りって歌うものなの?」
「あ、そう言えばお伝えしていませんでした!」
「おー、いんちょう、またうっかり」
「今回ばかりはウチらもでしょ」
マカレナはこほん、と咳払いして、改めて言う。
「わたし達ヒラソル会女子修道院は歌に乗せてお祈りします。その方がお祈りの言葉も覚えやすいし、修道院にいらしてくださるお客様も楽しめるから、と大修道院長様がお決めになったんです」
「元旅芸人のウチらにとってもなじみやすかったしね」
「おー、リタもお歌は好き」
「そうなんだ」
それを聞いて、ココハも少しほっとした。
正直、お祈りとかお説教なんて途中で居眠りしてしまいそうに思っていたのだ。
歌であれば、最後までじっと聞いていられそうだった。
「ココハさんは、どうか気持ちを楽にして聞いていてください。では、改めて、レナタ、リタ、お祈りを始めましょう」
マカレナ達は互いの顔を見合わせ、うなずき合う。
そして、深く息を吸い込み、第一声を発した。
それはまさしく天使の歌声だった。
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