⑩修道幼女たちの過去

 薬草のリゾットを作って、評議会のチャボを迎えに行って、大修道院長のお墓をお参りして―――。

 ココハが修道院の食堂に戻ってくるのは、これで三度目だ。


「どうぞ、ココハさん。薬草のお茶です」


 さっき作ったリゾットを作ったあまりの薬草で、マカレナたちがお茶をいれてくれた。

 ココハを囲んで修道女の三人も食卓の椅子に座る。


「へへ、こっちはいつも作ってるやつだから、失敗してないと思います」


 レナタが鼻の頭をかきながら、言う。

 さきほどのリゾット作りの失敗作のことを気にしているのだろう。


「ん。どくも入ってない」

「当たり前でしょ!?」

「あははは、ありがとう。うん、いい匂い。いただきます」


 ココハはお茶を一口すすり、ほうっと息をついた。

 身体の芯から落ち着く、そんなじんわりとした温かさだった。

 ココハがリラックスしたタイミングを見計らって、マカレナはゆっくりと口を開く。


「ふふふ、この後の大事なお薬作りもありますし、手短にお話させていただきます。

 わたしたちのこと、大修道院長様のこと」

「うん、お願いします」


 ゆっくりと、微笑とともに静かに語り始めるマカレナ。

 さっき本人が十二歳と言っていたけど、とてもそうは思えない、落ち着いた話しぶりだった。


「まずはそうですね……わたしたちが修道女になったわけですね。

 わたしたちは元々ラスカラスの町の住民ではありません。三人とも、旅芸人の一員でした」

「旅芸人……?」


 予期せぬ単語に、ココハはオウム返しに聞き返してしまった。

 老熟した修道士にも見劣りせず、まとったローブがさまになっているマカレナたちの姿からは、およそかけはなれた言葉だ。


 サラマンドラにも旅芸人一座がやってくることはしばしばあったが、一様に派手で賑やかな印象だった。

 彼らの披露する曲芸や軽業、奇術などはいずれも同じ人間とは思えない驚嘆すべきものだったけど、同時にどこか浮ついた、いかがわしげなイメージもつきまとう。

 魔導学院は、学士たちが彼らの興行を見にいくのに、あまりいい顔をしなかった。

 ココハの中では、どうしても旅芸人と目の前にいる修道女三人の姿が結びつかなかった。

 そんなココハのためにか、マカレナは詳しく説明してくれる。


「はい。三人とも、物心ついた時から一座にいました。

 座長の方針で、捨て子を集めてごく幼い頃から芸を仕込むのが一座のやり方でした。わたし達三人も、もともとは孤児だったのだと思います」

「…………」


 そう話すマカレナたちの三人の顔には、暗い影は一切なかった。

 生まれた時から親がいない。

 それがいったいどんな気持ちになるのか、ココハは想像もできなかった。

 だから何も口は挟まずに、黙って続く言葉を聞く。


「わたし達三人、それに一座のお姉さま、お兄さまたちとは実の兄妹同然に暮らしていました。

 ふふっ、一座は多いときは二十人くらいいましたから、大家族ですね。

 町から町へ移動しながら、わたし達は芸を披露していました。

 芸の稽古は厳しく、食べ物はお兄さま、お姉さまたちと取り合いで、いま思い返せば決して楽な生活ではありませんでしたが、生まれた時からそんな暮らしが当たり前でしたし、お客様の前で習い覚えた芸を見せるのは嫌ではありませんでした。時にはこっそり、わたし達末っ子だけにパンを恵んでくださる心優しいお客様もいらっしゃいましたし、いまでも一座のみんなが無事旅暮らしを続けられていますよう、神さまにお祈りは欠かしていません」

「院長、院長」


 マカレナの言葉を、レナタが袖を引っ張って中断させた。


「院長、”巻き”で。一座の時の話までがっつり話してたら、どんどん長くなるから」

「ん。おくすりつくるじかん、なくなる」

「あら! ごめんなさい、ココハさん。わたしったら、つい……」

「ううん、大丈夫だから、気にしないで」


 わたわたと頭を下げ合うマカレナとココハ。

 マカレナはうって変わってあっさりとした調子で、


「けど、一座にはわたし達の知らない”別の顔”がありました。お姉さま、お兄さまたちはご存知だったようですけど……」

「別の顔?」

「はい。詳細は省きますけど、あのまま一座の方針に従っていたらわたし達三人はずっと一緒にはいられなかったんです。それで、なんだかんだあってわたし達は一座を抜け出しました」

「なんだかんだって……」

「なんだかんだはなんだかんだです。全部順を追ってお話しますと、時間をたくさん使ってしまいますので……」


 ―――そんなに慌てなくても、話を聞くくらいの時間、別にいいのに。


 ココハはそう口にしようとして、その言葉を喉元で飲み込んだ。

 マカレナ院長は相変わらずの微笑を浮かべていたので気づきにくかったけれど、三人のかもす雰囲気がどことなくぴりついていた。

 特に修道女見習いのリタなどは、はっきりと目を伏せ、暗い面持ちをしていた。

 マカレナが”一座の別の顔”とやらの話をしはじめた辺りからだ。


 一座を抜け出した。


 そう言っていたからには、”なんやかや”の部分は楽しい内容ではないのだろう。

 できれば思い出したくない辛い過去なのだとしたら、ココハもそれを無理に聞き出すつもりはなかった。


「うん、分かった。それで旅芸人一座を辞めて、三人はこの町にやってきた……ってことかな?」


 ココハが先を促すと、三人はどこかほっとした様子だった。


「はい。ちょうど二年前、わたしとレナタが十歳、リタが九歳の時です。アテはありませんでしたが、旅人が寄り集まってできた町があるとお客さんから聞いて、ここ、ラスカラスに行ってみようと思ったんです!」

「おー、あのときはいまよりもっとびんぼーだった」

「貧乏っていうか、フツーに行き倒れかけてたよね。大修道院長様が見つけてくれるのが、あと一日か二日遅かったらさ」

「ええ。ひもじいのは慣れていましたけど、あれは―――ちょっとギリギリでしたね」

「ええ!?」


 なかなかに凄絶なことを、三人は笑ってしゃべる。


「大修道院長様は不思議な方でした。とうとうご本人から詳しくはお聞きできなかったのですが、なんでも、もともとはもっと大きな町の修道院長様だったらしいのですが……。

 慈悲深く、優しくて、神さまのお話に登場する聖母様のようなお方だったのですが、同時に自分にとてもお厳しい方で……。お弟子さんも取らず、たった一人で修道院に住まわれていたのです」

「でも、なんかウチらのことははじめから気に入ってくれてたよね。捨て犬拾うみたいなカンジだったのかな」

「おー、リタたち、オットーといっしょ」

「うふふ、そうですね。あの頃のわたし達、そうとう人間不信になってましたし、なんで大修道院長様があんなに優しくしてくださったのか、理解できませんでしたね」

「なー、病んでたよなー、ウチら」

「おー、病んでた病んでた。リタがめんどーみてあげないと、二人ともぼろぼろ」

「いや、あんたが一番ひどかったでしょ、リタ!

 あの時のあんた、食べ物もろくに食べないし、しゃべらなくなるし、どんどん痩せて、ウチ、リタはもうダメかと思って……」

「おー、よしよし。いまはげんきだから、泣くのはおよし。レナタ」

「うるさい、バカリタ!」


 頭をなでようとするリタの手を、ちょっと乱暴に振り払うレナタ。

 言葉の断片から浮かんでくるのは、明るく健気な修道女たちから想像もつかない重い過去だった。

 底抜けに明るく、大人顔負けに聡明で天使のようにかわいい修道女達。

 ココハは彼女たちのことを、ただそんなふうに思っていた。

 その印象は間違いとは思えなかったし、いまの彼女たちが無理しているようにも見えない。

 けど、その強じんなまでの明るさは、幼くして辛い過去を乗り越えてきたからこそ、持ち得たものだったのだと、はじめて分かった。 


 ―――イハナさんは、なんとなくそれに気づいてたみたいだった。


 そう思うと、自分の浅はかさが恥ずかしなるココハだった。

 けど、そんなココハの気落ちを、マカレナの笑い声が一発で吹き飛ばした。


「ふふっ、大修道院長様はわたし達の面倒を見てくださるだけでなく、たくさん「神さまの話」を聞かせてくださいました。わたしたちの心が救われるようにと……。

 温かなお話をたくさん聞かせてくださり、そしてわたしたちのためにたくさんお祈りくださいました。

 いつしか、わたしたちも、もっと神さまのこと、修道生活のことを知りたいと思うようになっていました」

「あの頃はマカレナが一番立ち直り早かったし、勉強熱心だったよねー。読み書きも覚えて、修道院にあった本もかたっぱしから読んじゃってさ」

「ん。だいしゅーどーいんちょーさまもおどろいてた」


 マカレナは懐かしげに、ちょっとだけ恥ずかしそうに笑った。


「ふふっ、新しい世界が次々開けていくのが楽しかったのかもしれません。

 大修道院長様も、わたしたちには神さまがお与えくださった才能ギフトがあるとおっしゃってくださいました」

「うん、わたしもそう思う」


 ココハも心からうなずいた。

 最初出会った時はまだ幼い少女たちが修道院長や副院長を名乗ってることに驚いたけど、いまはその役割を立派に果たしていることを疑っていない。

 それがたった二年程度のことだというのだから、それは才能と呼ぶにふさわしいだろう。


 魔導学院にも、魔導学と出会った瞬間、水を得た魚のようにものすごいスピードでそれを習得してしまう、天才型の生徒が一年に一人か二人はいた。

 ココハの親友のノエミもそんな一人だ。


 もちろん、彼女が学年首位の座を守り続け、上級修学士に進級した背景には、並々ならぬ努力があったことも知っている。

 けれど、スタートの時点ではっきり才能の差というものが魔導にはそんざいするのも、厳然たる事実だった。


「ありがとうございます。もともと旅芸人だった頃も、お客様に楽しんでもらえるのが嬉しかったので……。 いまはわたしたちが大修道院長様に出会って救われたように、少しでも誰かのことを元気な気持ちにしてさしあげられたら、と思っています」

「うーん。ウチはそこまで深く神さまのことを考えられないけど、マカレナが熱心なのに釣られた感じかな」

「ん。リタはもっとよくわかってないけど、三人でいっしょにいたいから……」

「そっか」


 マカレナたちの思いはココハにもしっかりと伝わった。

 きっとラスカラスの町にも、彼女たち修道女の存在に癒されている人間がたくさんいることだろう。


「ほんとはもっと、大修道院長様に教えていただきたいことがたくさんありました。けれど……」


 マカレナの言葉に、レナタとリタは寂しげに目を伏せた。

 言葉のつづきを聞かなくても、その先は分かった。

 ココハは、彼女たちを気づかいながらも、そっと聞く。


「大修道院長様は、いつお亡くなりに……?」

「はい。ちょうど半年前、神さまのおそばに旅立たれました。お眠りになる少し前、大修道院長様はわたしに修道院長になって、ここを継ぐようお勧めくださいました」

「ウチには副院長になってマカレナを支えるようにって」

「おー、リタはまだしゅーどーじょみならいね、ってさいごまでずっと笑ってた」

「ええ、そうでしたね。だから、わたしたちも泣かないように、笑顔で大修道院長様の旅立ちをお見送りしようと決めたんです」


 言葉通り、三人は微笑を絶やさずに話す。

 その瞳は潤んでいたけど、ついに誰も涙をこぼさなかった。

 その健気な姿に、ココハの方がなんだか泣きそうになってしまった。


「評議会の方々もわたしたちが修道院を継ぐことを、正式に認めてくださいました。

 町の方々に支えていただきながら、こうしてなんとか三人でやってこれました。

 ふふっ、以上でわたし達のお話はおしまいです。結局、長くなってしまってすみません」

「ううん、聞かせてくれてありがとう」


 想像したよりずっと波乱万丈な少女たちの話に、ココハはなんと言葉を返していいか分からなかった。

 ただ、彼女たちが年齢以上にしっかりして見えるわけ、そして人を不思議と元気にしてくれる明るさの根底にあるものが分かった気がした。


「今度はココハさんのお話が聞きたいな。もちろん、魔法薬のお仕事のあとで構いませんので」

「おー、まほうのがっこうってどんなことするのか、リタも知りたい」

「うん、もちろん。じゃあ、そろそろ薬づくりの準備に取り掛かろうか」


 ココハの言葉に、三人は明るく元気に返事を返した。

 彼女たちの話が聞けたこと、そしてほんの偶然から、この修道院に寝泊まりすることになったのを、いまさらながら嬉しく思いはじめるココハだった。

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