⑪沐浴をしよう
「よし、今日はこれくらいにしとこう!」
ぱん、と手を打ち合わせて、ココハはそう宣言した。
机の上には、薬草を調合してできた腹痛の薬や、消化を助ける薬が積まれていた。
けれど、修道女たちはきょとん、と首をかしげる。
「ココハさん。ウチらに遠慮してるなら、まだぜんぜんいけますよ」
「おー、リタたちこのてーどでねをあげるほど、やわなきたえかたしてない」
レナタとリタは物足りなさげな顔で、口々に言う。
「あの、ココハさん。正直、お薬の量、まだまだ足りないと思います。お祭りで食べすぎちゃう人、たくさんいますので」
マカレナも遠慮がちながら、調合切り上げに異を唱えた。
そんな三人の顔を順番に見回し、ココハはちょっと意地悪げな笑顔を見せた。
「ふむふむ。じゃあ、聞くけどレナタ。今作ってるエストマゴの薬の作業手順、それで合ってる?」
「えっ? えっと、まずガトの実の皮を剥いて、リンセの葉を刻んで……あっ、ガトの実は水に漬けとくんだった!」
「せいかーい。次はリタ。さっき作ってくれた、消化剤の元、分量合ってる?」
「んー。あれ? ちょっと少ないかも。レナタ、つまみ食いした?」
「するわけないでしょ!」
「でもって、わたしのとこに持ってくる前の最終チェックはマカレナのお仕事だよね。気づけてた?」
「すみません。いつの間にか……」
三人はそろって、しょぼんと肩を落とす。
それでも気を取り直して、
「すみませんでした、ココハさん。ウチら、ちゃんと気を引き締めなおします」
「おー、めいよばんかいさせて」
「私からもお願いします。今度こそ、ココハさんの足は引っ張りませんから!」
レナタ、リタ、マカレナの順に頭を下げる。
ココハは三人に顔を上げさせてから、、
「だーめ」
笑顔で、けれどきっぱりと告げた。
三人はますますしょぼんと落ち込んでしまった。
ココハは、少し偉そうにしすぎかな、と思いながらも、三人の頭を順番になでていく。
「魔法薬を作るのって、思ったよりも難しいし集中力がいるでしょ。それを分かってもらえれば、十分」
「でも……」
「いい? 薬はちょっと間違えるだけで毒にもなる。だから、魔法薬を作る時は絶対無理しちゃだめなの。ちょっと疲れてきたなーって思ったくらいで、止めるべきなの」
もちろん、これは師に習った言葉の受け売りだ。
ココハ自身、学士時代それを守れていたかというと、全然だ。
なにせ、調合に失敗することも、赤点を取って追試を受けることも、ココハは常連だったのだから。
そんな自分が偉そうに諭すのは、とてもとても気が引けた。
けれど、大事なことなので、顔が赤くなりそうになるのをこらえて、ココハは真剣に話す。
幸い、修道女の三人は真面目にココハの言うことを聞いてくれていた。
「今日のとこは三人に手順を覚えてもらうくらいでやめようと思ってたから、むしろ思ったよりたくさんできたくらい。チャボさんに頼んだ薬草が届くのも明日だし、今日はここまでにしよう。いい?」
「はい」
三人は悔しそうに、でも素直にうなずいた。
「その代わり、明日は今日の倍、ううん、三倍は作るつもりだから。今日やったことは忘れないでね」
「はいっ」
さっきよりも元気な返事が返ってくる。
そのあたりでココハも、先生面するのに限界がきていた。
「言っとくけど、三人ともすっごく物覚えがよくてびっくりしてるんだから。わたしが学生の時なんて……もう失敗ばかりでほんとひどかったんだから」
「えー、ほんとですか」
「ほんとだって。学士時代の話はさっき話したでしょ。わたしなんて、退学ぎりぎりの落ちこぼれだったんだもん。きっと、偉そうにしゃべったのをわたしの先生が聞いたら爆笑したと思う」
自分の魔法医学の師である、サハラ=スカーレットの姿を思い浮かべながらココハは言う。
修道女たちは、「そんなことないですよ」と口々に言ってくれたけれど、指さして笑い転げる師の姿が、ココハには簡単に想像できた。
「ココハさんのおっしゃってくれたこと、よく分かりました。皆さんの役に立ちたいと思っても、それで無理をしてしまっては意味がないですよね。まずは、わたし達自身が、健やかな心身でいることが大事なのだ、と」
聡明なマカレナに言うと、ココハは自分の方が教えを受けているような気持ちになった。
彼女たちは自分が魔道学院に入学した時よりも年下なのだ。
改めて、なんてすごい子たちなんだろう、と思う。
「あの、それでしたらココハさん。わたし達、夕飯前に沐浴をする習慣なのですが……。ココハさんもお付き合い頂けますか」
「沐浴? それって、修道院の人間じゃなくても、一緒にしていいものなの?」
「それはもちろん。強制ではありませんが、修道院にお泊りいただくお客様には、できるだけご一緒していただくようお誘いしていますので!」
「おー、いっしょにしよう」
「嫌じゃなければ、ぜひ」
「あ、う、うん。わかった」
三人の勢いに押されるように、ココハは首を縦に振っていた。
修道女たちはやったーと歓声を上げる。
「では、ココハさん。まずは沐浴場にご案内します」
「え……あ、うん」
マカレナたちに導かれるままココハはついていく。
せっかく修道院に泊まっているのだから、できるだけ三人のやることに合わせたいとココハも思っている。
けど、実をいうと、沐浴というものがなんなのか、ココハはよく分かっていなかった。
―――沐浴、って水浴びして身を清めること、で合ってるよね?
おぼろげな知識をたよりに思考を巡らせるココハ。
年長者の意地もあったし、あまり無知をさらすと魔導学院の名誉に関わるような気がなんとなくして、修道女たちに聞くことはできずにいた。
「水が冷たくて最初はびくっとするかもしれないけど、この季節の沐浴は気持ちいいですよっ」
くるりとレナタが振り向き、元気よく言う。
ココハの戸惑いを感じとったのかもしれない。
「おー、リタも汗でベタベタだから、はやくさっぱりしたい」
「ふふふ、そうですね。今日は畑仕事もたくさんしたから、少し楽しみでもありますね」
「冬はまさしく苦行だけどねー」
「うう、あれはじごく。かみさまは、ふゆは川の水がお湯になるようにすべきだった」
「魚が住めないでしょ、それじゃ」
「そうですよ、リタ。神さまがお造りになった世界には、すべて意味があるのです」
「む~、分かってる。言ってみただけ」
少し厳しめにたしなめられて、リタはぷくっと頬をふくらませた。
けど、深刻な言い争いにはならずに、「やっぱりこの時期の沐浴はいい」という話題に戻っていた。
三人の軽い足取りを見ると、ココハも少しほっとする。
水浴みなのだとしたら、ココハにとっても楽しみだった。
サラマンドラからこの町に着くまでの間、野営地では濡らした布で身体を拭くくらいがせいぜいだった。
それも、天幕のすぐ外に男の隊員たちがいると思うと落ち着かなくて、そそくさと申し訳程度に済ませていた。
全身に水を浴びたなら、きっとマカレナたち以上にさっぱりとすることだろう。
―――って、ひょっとして、わたし、いまけっこう臭かったりする?
ふと、そんな疑惑がココハの脳裏によぎる。
いままで意識してなかったけど、そう思うとかっと頬が熱くなった。
そっと腕を鼻に近づけてみる。けど、よく分からなかった。
自分の体臭は自分ではあまり感じないのかもしれない。
―――けど、わたしと同じ条件のはずのイハナさんは、抱きつかれると臭いどころか、なんだかほんのりといい匂いがするんだよなぁ……。
あれは一体どういう生き物なんだろう。さっきのリタじゃないけど、神さまはどうして同じ女をこうも違って造ったりしたんだろう、なんてココハは思う。
「どうかなされましたか、ココハさん?」
「あっ、ううん。なんでも、なんでもないの!」
変な考えをしているのが挙動に出ていたのかもしれない。
不思議そうに問いかけるマカレナに、ココハは慌てて手をふってごまかした。
けど、すぐに別の考えが頭をもたげてくる。すなわち、
―――修道院の沐浴って、みんなすっぽんぽんで水浴びするのかな。
という疑問である。
なにせ初めての経験だから、想像ばかりがあちこちに飛んでゆく。
ココハの頭の中には、森の奥深くの泉で、一糸まとわぬ姿で水をかけあってきゃっきゃと笑っているマカレナたち三人の絵図が浮かんでいた。
それはとても美しい光景で、いっそ古代神話のタペストリーのごとく幻想的とすら思える光景だろう。
けど、その中に自分も混じるとしたら、ひどく気恥ずかしくなってくる。
ちなみに魔導学院の寮では、立って入るのがせいぜいの狭い浴室に時間制で一人ずつ入って、厳格に仕様量を守って水浴びするのが規則だった。
サラマンドラには湯をわかした公衆浴場もあり、貴族出身のココハの親友、エメリナは好んでよく利用していたが、何度誘われても、ココハはなんのかんのと理由をつけて断っていた。
気恥ずかしさと気後れがどうしても先に立ってしまうからだった。
つまり、ココハには”裸のつきあい”というものが、ほぼ経験ゼロであった。
―――うぅ、なんだか変な緊張してきた……
。
「ココハさん、気になることがありましたら、どうか遠慮しないで言ってください」
再びマカレナがココハの様子を気にかけて声をかけた。
「な、なんでもないの、なんでも! ちょっと考えごとしてただけだから」
今度はぶんぶんと首を振って無理やりごまかそうとするココハ。
ちょっと声が上ずっていた。
マカレナは微笑を浮かべ、
「ふふ。今日はもう切り上げようとおっしゃったのはココハさんですよ。魔法のお薬のことを考えるのは、明日にしませんか」
気づかわしげにそう勧める。
「まー、気持ちは分かるなー、どうしても気になっちゃいますよね」
「お~、しょくぎょうびょう~。でもきりかえもだいじ」
ココハの思考の迷走を、とても好意的に解釈してくれる三人。
―――うっ、ま、まぶしすぎる。
いますぐ、そんな三人に向かって五体を投げだし、懺悔したい衝動にココハは駆られた。
自分がひどく修道院という場にそぐわない雑念を巡らせていることを自覚し、「どうかこの邪念を滅ぼしてください」と、神さまに心の中で祈るココハだった。
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