⑨大修道院長
「あの、ココハさん。当修道院にお泊りになるお客様にはお願いしていることなんですが……」
「はい、なんでしょう」
改まったマカレナの口調に、ココハも思わず敬語になった。
ここは修道院なのだから、宿泊者にもいろいろと規則があって当然だろう。
ココハがちょっと身構えて次の言葉を待っていると、
「一緒に大修道院長様にごあいさつしていただけますか?」
マカレナは微笑とともに、そう告げた。
「えっ、大修道院長様……? あ、うん。もちろん」
マカレナが菜園でその呼び名を口にしていたことを、ココハはいまのいままですっかり忘れていた。
その時は、リゾット作りのために詳しく話を聞けなかったが……。
目の前の三人以外にも、修道院に住んでいる人がいるのだろうか。
その方が、子ども三人だけで暮らしているよりもずっと自然ではあるけど……。
これだけ騒がしくしていても姿を現さないのは、どうしてだろう。
よほどご高齢で寝込まれているのかもしれない。
そんなことをココハが考えていると、
「ふふっ、よかったです。それでは、ご案内しますね」
マカレナがほっとしたように笑って、部屋の外へと歩き出した。レナタたちも一緒だ。
ココハもその後についていった。
てっきり修道院の奥へと案内されるのかとココハは思っていたけれど、彼女たちは玄関から表へ出てしまった。
「えっ、外に出ちゃうの」
「はい、少し坂を登ったところです」
不思議に思いながらも、ココハはマカレナの笑顔につられるようにおとなしくついていった。
犬のオットーがちらりと薄目を開けてそんなココハたちを見たけれど、すぐに居眠りを再開する。
修道院の横には、菜園に続くのとはまた別の道があった。
山の奥にさらに分け入るかっこうの、上り坂だった。
―――別棟でもあるのかな。
だとしたら、いままでその姿を見かけなかったのも納得がいく。
修道院の中には、静かに瞑想するための離れがある、とココハも聞いたことがあった。
大修道院長という方は、そんなふうに一日の大半を孤独な別棟で過ごしているのかもしれない。
そういえば、魔導学院の学院長先生も滅多にその姿を見かけない人だったなあ。
と、ココハは懐かしいことを思い出す。
坂の道を分け入ると、緑がいっそう濃くなってゆく。
まだ町の中にいるはずだが、雰囲気は深山の奥といったおもむきだ。
なんとなく、辺りには静謐(せいひつ)な空気が漂っている気がする。
そういえば、ちょっとした移動中でもおしゃべりを欠かさないレナタやリタも、いまは神妙な顔つきで黙々と歩いていた。
―――もしかして、大修道院長様って、けっこうおっかない方だったりするのかな。
明るく元気なマカレナたちを見る限りそこまで心配はないとは思うが、少しだけココハの背筋に緊張がはしった。
「つきました、こちらです」
坂道をのぼりきったあと、マカレナがくるりと振り向いた。
山中でも少し開けた場所だった。
平らな地面の先―――、周囲を圧するほどの威厳をほこっている、見上げるほど大きなケヤキの木が立っていた。
そして、その木の前には、きれいに磨き挙げられた、御影石が立てられていた。
―――あっ。
ココハは自分の勘違いに気づいた。
明らかにそれは―――墓標だった。
マカレナたち三人は墓標の前で並んでひざまずいて、両手をそっと組んだ。
ココハも彼女たちにならい、その後ろで膝をおった。
「大修道院長様、今日はとてもステキなお客様がたずねてくださいました。隊商のイハナさんと魔法医のココハさんです」
「ついでにチャボも」
「ついでとか言うなし」
小声でリタとレナタがささやきあって笑うのをマカレナが「こら」と軽くたしなめた。
「ココハさんは今日と明日、修道院に泊まってくださいます。あさってのお祭りのために、魔法のお薬を作ってくださるんです。すごいですよね。わたしたちもそのお手伝いをします。わたしたちがココハさんのお役にちゃんとたてるように、どうか神さまのおそばから見守っていてください」
心のこもった、温かな声音でマカレナが呼びかける。
そして三人は静かに黙とうを捧げた。
ココハも彼女たちの邪魔をしないよう後ろからそっと見守り、そっとこうべを垂れた。
「ココハさん、お付き合いいただいてありがとうございました。さあ、戻りましょう」
「あ、うん」
マカレナに笑顔であっさりとそう言われると、ココハもなにも聞けなかった。
ココハの代わりに副院長のレナタがマカレナの袖をちょんちょんとひっぱり、
「院長。そろそろココハさんにウチらのこと、ちゃんと説明したほうがいいんじゃない?」
「ん、大しゅ~ど~いんちょうさまのことも、なにもしゃべってない」
「え? ああ! いけない。わたし、すっかり話した気になってました!」
レナタたちの言葉にマカレナはぱんと手を打ち、「すみません、おっちょこちょいで。あはははは~」と照れながらも陽気に笑う。
「も~、また院長は~」
「としとると、ものわすれがひどくなってこまる」
「わたし、まだ十二歳だもん! あなたと一つ差でしょう、リタ!」
「でも、なんかおばあちゃんっぽいとこあるよね、院長」
「レナタまで。もう!」
その時、今朝から吹いていた強い風が、目の前の大きなケヤキの梢を揺らした。
――――ふふふふふ。
その葉ずれの音が一瞬、誰かの優しい笑い声のように、ココハには聞こえた。
「えっ……」
「ココハさん、どうかしましたか?」
「ううん、なんでも……」
レナタに問われ、ココハは首を振る。
―――気のせい、だよね。
「ココハさん。すみません、うっかりしていて……。わたし達のことは中に戻ってからお話します。ココハさんの大切なお仕事もありますし、ひとまず帰りましょう」
「うん、分かった」
マカレナに促され、今度こそココハと修道女三人は元来た道を歩きはじめた。
ココハは三人の後ろについていきながら、ちらりと後ろを振りかえった。
ケヤキの木は、まるで三人の修道女を温かく包みこむように両手いっぱいに枝を広げ、ゆったりと佇んでいた。
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