⑧契約

「さて。話を元に戻そう。ココハ魔道学士……いや、魔法医殿。この仕事、引き受けてはもらえないだろうか。無論、報酬は正規の料金をお支払いする。イハナ―――契約に立ち会ってくれ」

「あいよ~、もちろんっ!」


 チャボが懐から簡易のペンと紙を取り出した。

 そして、ココハがなにか口をはさむ間もなく、二人でものすごいスピードで計算式を書きこんでいく。


「魔法薬の値段は、こんなとこか……」

「妥当でしょうね~。重量基準で計算するなら―――」

「製作費と手間賃は……、サラマンドラの魔法医の相場はどんなもんだ?」

「ココちゃんはガッコーを卒業した正規の資格があるからね~。こんなとこね」

「あとは当日の診療代か……。合計でこんなとこか」

「ん~、材料はこっちで調達するなら払い過ぎね~。こことここから差し引いて……」

「しかし、急な頼みだし、多少は色はつけても……」

「だめよ~。正規の依頼なら、少なすぎも多すぎもよくないわ」


 イハナの様子もふだんとは打って変わって、鬼気迫るほど真剣だった。

 この姿こそ、隊商の長としての本来のありかたなのだろう。


「ココハさん、お待たせしてしまったな。こちらが報酬額だ。引き受けてもらえるだろうか」

「こっ、こんなに!?」


 思わず、ココハは驚きを声に出してしまっていた。

 学士時代、町の依頼を受けていた頃とはケタ一つ違っていた。


「うん。あたしも二度計算したから間違いないわ」


 イハナがそう言って太鼓判を押す。

 イハナの計算を疑う気はココハには微塵もないが、正直、プレッシャーを感じる額だ。


「こ~ら、リタ。のぞきこむな。失礼でしょ」

「ぐえ。数字がたくさんならんでて、よくわかんなかった」


 レナタに襟首を引きずられながら、表情も変えずにリタが告げる。

 なんだか親猫にくわえられた子猫みたいでちょっとかわいかった。


「とりあえず、これは概算の見積もりだが持っててくれ。すぐに正式な契約書を作ってくる」

「ううえぇ~、け、契約書!?」


 うろたえるココハのお尻を、イハナがぱん、と叩いた。


「ふにゃっ!?」

「ココちゃん、呑まれちゃだめよ~。これから魔法使いのお医者さんとしてやっていくんでしょ」

「イハナさん……。は、はいっ」


 いまこそ、隊商たるイハナに同道させてもらって本当に良かったと、ココハが心から思う瞬間だった。

 それに、よく考えてみれば、これは魔法医の仕事第一歩として、またとない機会かもしれない。

 食べ過ぎ、飲み過ぎの患者であれば、よほどでないかぎり命の危険性まではないだろう。

 契約関連の分からないことは、イハナたち隊商に頼れる。

 これほどの好条件がそろうことなど、この先そう滅多にないだろう。


「分かりました。では、魔法医として責任もって薬をご用意します」

「おお、ありがたい!」


 チャボとココハは笑顔で、固い握手を交わした。

 イハナと修道女の三人がその周りで、温かな拍手を送る。


  いざ依頼を引き受けることになったいま、ココハにはどうしても念押しすべきことがあった。


「あの、魔法薬といっても、ぱっと何もないところからできあがるわけじゃないですよ。薬の原材料も必要ですし、調合にも時間がかかります」


 王立魔導学院のあるサラマンドラですら、魔導士に対する誤解は根強い。

 いまだに魔術のことをなんでも叶えてくれる万能の力だと思い込んでいる市民は少なからずいた。

 そんな人たちからの、当の魔導学士からしたら絶対不可能な依頼の数々を丁重にお断りした経験は、ココハにもあった。


「それは無論承知しているとも。日がないなかの無茶な依頼であることは十分わかっているつもりだ」


 チャボは、ココハの懸念をふっしょくするくらい、はっきりとうなずいた。


「人手が足りないなら助手をつける。力仕事が得意な者、手先が器用なもの、この辺りの植生に詳しい者、なんでも言ってくれ。原材料もできるかぎり用意しよう」

「あのぅ、それでしたら……」


 修道院長のマカレナが遠慮がちに会話に参加した。


「当修道院の薬草を使っていただけますか。あと、使える器具などありましたら、施設も使っていただきたいです」

「うん。あと、足手まといじゃななければ、ウチらにも手伝わせてほしいな、薬作り」

「お~、おてつだい~。リタもします」


 修道院の三人が積極的に協力を申し出た。みんなそろって笑顔だ。


「えっ、でも、修道院のみんなはリゾット作ってお祭りに参加するんじゃあ……」


 マカレナが微笑とともに首を横にふった。


「わたしたちも何かお祭りにコウケンできればと思いリゾット作りを考えましたけど、付け焼き刃の料理を出すよりもココハさんのお手伝いをした方がずっと町のみなさんのお役に立てると思います。

 もともとチャボさんも、その相談でいらしてたんですよね?」

「ああ。腹痛に効く薬がここにないか聞きにきたんだが、まさか本職の魔法医さんがいらっしゃるなんて。きっと神さまの思し召しだろう」


 マカレナ修道院長は改めてココハに向かって、深々と頭を下げた。

 あとの二人もそれにならう。


「チャボさんのおっしゃった通り、きっとこれも神さまのお導きにちがいありません。ご迷惑でなければ、ぜひ、わたしたちに協力させてください」

「迷惑だなんてそんな……。ありがとう、みんな。とっても助かります」


 話がまとまったところでイハナがぽつりと、


「ほ~。そしたら、ココちゃんは今日と明日は修道院にお泊りか~」


 その言葉に、修道院の三人がわっと喜びの声をあげた。


「そうですね。ぜひお泊りください!」

「やー、お客さんを泊めるなんて久しぶりだから、ちょっとわくわくするかも」

「お~,ココハおね~さんがおとまり。たのしみ」


 迷惑がるところか、心から喜んでくれているようで、ココハもほっとした。

 信心のない魔導士の自分が修道院に泊まってもいいのだろうか、とちょっと不安に思う気持ちもあったけど、この三人がいまさらそのことを咎めるとも思えなかった。


「イハナさんはどうするんですか?」

「んー、あたしは隊商のみんなと打ち合わせかな~。今頃うちの連中もそれぞれお祭りの情報は仕入れてるだろし、こっちはこっちでバタバタ忙しくなりそう」

「そう、ですよね……」


 サラマンドラを旅立ってからこの日まで、ずっと行動を共にして一つの天幕の下で寝泊まりしていたイハナとココハ。

 久しぶりの別行動は、ココハにとってちょっぴり寂しくもあった。

 けれど、子どもじゃないのだから、一日、二日の別れで騒いでもしかたない。


 それに遠くない未来、イハナたち隊商とも別れの時が来るのだ。

 もしかしたら、それが永遠の別れとなるかもしれない。

 いまは、あまりそのことは考えたくなかったけれど、少なくともイハナにあまりべったり甘えるのは良いこととは思えなかった。


「と、いうことで、明日また様子見にくるわね~、ココちゃん」


 一度そうと決めると、隊商の行動は早い。

 イハナはすっくと立ちあがると自分の荷を手に取った。

 ココハも見送ろうと席を立ったその時、


「じゃ、元気でねー、ココちゃん、むぎゅ~」

「わ、わわっ、ちょ……」


 イハナが熱烈にココハをハグした。


 ―――し、しまった!?


 と、思った時には遅かった。

 不意をつかれて、ココハはされるがままだった。


「おお~、たいしょーのごあいさつ」


 マカレナたち修道女三人の見つめるまなざしが気恥ずかしいことこの上なかったが、イハナはなかなかココハの身体を手放そうとしなかった。

 ようやく離れたかと思うと、くるりと振り返り、


「修道院のみんなも、むぎゅ~」

「わっぷ……」

「んん……」

「お~……」


 イハナは腰をかがめて、修道女三人を順番に抱きしめていった。

 最後には、チャボとも抱擁を交わし、


「んじゃ、またね~。みんな」


 風のような素早さで部屋を出ていった。

 見送る隙すら与えない。


「あいかわらずだな、ヤツは……」


 チャボがぽつりとつぶやく。


「イハナさん、なんだかいい匂いがしました……」

「うん、あとやわらかかった。いろいろ……」

「お~、あれがオトナのおんな……」


 修道女の三人はなにやら軽い放心状態だった。

 こほん、とチャボが咳払い一つして、


「では、私もこちらで用意すべきものを確認したら、いったんおいとまさせていただくとしよう」


 その言葉に慌ててココハが応じた。


「あっ、は、はい。じゃあ修道院と菜園にあるものとないものを確認しましょう。マカレナ修道院長、いいかな?」

「あっ、ご、ごめんなさい。いますぐ」


 マカレナたちもはっと我に返り、その場にいる全員で打ち合わせる。

 チャボたち町の評議会に用意してもらうものも決まり、彼も帰っていった。

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