⑧釣り人
腹ごしらえも済んで心機一転。
二人は川沿いの道をもう少し歩いてみることに決めた。
川の流れと反対にさかのぼっていく恰好だ。
「イハナさん、この川沿いの道の先って何があるんですか?」
「ん~、実はあたしも川の先は来たことないんだよねぇ。すまんねえ」
「すまんくないです。そしたら、いっしょに何があるのか見にいきましょう」
上流に向かうにつれ、人通りはだんだん減ってきた。
道も山道のようになって、建物もあまり見かけなくなる。
市壁は出ていないから町中にはいるのだろうが、この辺りはまだまだ町内でも未開拓の地域なのかもしれない。
そろそろ引き返したほうがいいか、と思った矢先―――、
「あれ、マルヴィンじゃない!」
道の先、川辺で釣りをしている男にイハナが呼びかけた。
まだ顔形が分かるかどうかくらいの距離だが、イハナは一発で相手を見分けたようだ。
例によって相手の懐まで駆け寄ると、相手が釣り竿を持っているのも構わずに抱きついた。
「うおっ!?」
急な身体接触に驚いた男はイハナの顔を見て、さらに驚きの声を上げた。
「おまっ、イハナか!?」
「やー、久しぶりねー、マルヴィン。こんなとこでばったり会うなんてね~」
「やめろ、暴れるな。魚が逃げる!」
「へ~きへ~き。どうせあたしがこなくても、かからなかったって」
「おまえそれ喧嘩売ってるだろ!?」
ココハが歩いて近づくと、イハナはぱっと相手から離れて、ココハに紹介した。
ココハも、イハナがこんなふうに再会の喜びを全身で表すのを今日だけで何度も目にしたので、すっかり慣れていた。
「こいつはマルヴィン。行商人なの」
「行商人さん……ですか」
「そっ、あたし達の商売ガタキ」
イハナは冗談めかして言う。
マルヴィンは三十代半ばくらいの、やややせ型の男だった。
くすんだ銀髪に、閉じているのかというくらい細い目が特徴的だ。
なんとなく軽薄そうな第一印象を受けるが、行商人といわれると、たしかにイハナ隊の面々と似た空気がある気もした。
「いや、いまはもう行商人じゃねえんだ」
マルヴィンは面映ゆげにイハナの言葉を否定した。
「この町で小さな雑貨屋を開いてな。まあ、ぼつぼつやってる」
「え~、ウソ~! 聞いてないわよ~」
マルヴィンの言葉に、イハナは大仰に驚いてみせた。
「別に菓子折りもってあいさつ行くような仲じゃないだろ。商売ガタキさんよ」
「寂しいこと言ってくれるじゃない、もう~。教えてくれたら開店祝いに花束くらい持ってたのに~。とにかく、おめでとう。とうとうあんたも一国一城の主なのね」
「っつうほど大層なもんじゃねえけどな。ぎりぎり赤字をまぬがれてるくらいで、元金の回収はまだまだ先の話だな」
「なーんて言うわりに余裕じゃない。のんきに釣りなんてしちゃって」
「小僧に店番させてる。なぁに、こういう商売はあくせくやっても、すぐに結果につながるもんじゃねえからな。それに、店の試作品の使い勝手もたしかめないとな」
細い目をさらに細めてにいっと笑い、マルヴィンは釣り竿をくいくいっとゆすってみせた。
雑貨屋といっていたが、釣り道具も扱っているのだろう。
「使い手の腕がヘボすぎて検証になんないんじゃないの~」
「バカ言え。行商の合間に世界中の河川で鍛えた俺の腕はプロ並みだぜ」
自慢げにマルヴィンは言うが、からっぽのいけすを見ると、説得力はまるでない。
武士の情けか、イハナはそれ以上はノーコメントで笑って流すのにとどめた。
「そういうイハナはどうしたんだ。ラスカラスに行商で立ち寄ったのは分かるが、川の方になにか用か。それにそっちのお嬢さんは、隊商の一員ってわけではなさそうだが……」
さすが商人というべきか。ココハがイハナ隊の一員ではないことは、一目で分かったようだ。
「あっ、ココハと言います。その、わたしはサラマンドラ魔導学院の卒業生で……」
視線を向けられ、ココハはマルヴィンに自己紹介した。
そして、イハナと二人でこれまでの経緯を話して聞かせた。
ココハがサラマンドラから故郷に帰る旅をしていること。
途中まで、イハナ隊の行商に同道させてもらっていること。
ココハのためにイハナが町案内してくれていること。
そして、いまは特に目的地もなく川沿いをぶらついていることまで話した。
「なるほど。んじゃ修道院に用があってきたってわけじゃねえのか」
話を聞き終えたマルヴィンはぽつりとそうつぶやいた。
「修道院?」
「ああ。ヒラソル会女子修道院っていってな。この川をもう少しさかのぼったとこにあるんだ。修道院っていっても、お堅い苦行者みてえな雰囲気じゃ全然ねえぞ。小さな聖堂があってな。町のもんもよくお参りにいってる」
「ふ~ん」
「どうだ。他に行くアテがねえってんなら、寄ってみるのもアリじゃねえか」
「修道院ねぇ~」
イハナが迷うそぶりを見せると、マルヴィンは存外熱心な口調ですすめはじめた。
「あそこはいいぞ。ガキの頃はおふくろに日曜教会に連れてかれるのが嫌でしょうがなかった俺もな、あの修道院にいくと心が洗われたような気分になる。実はここで釣りしてんのも、鮎の五、六匹でも釣って修道院に届けようと思っててな」
「へえ~、あなたがそこまで言うなんてねえ。けど、急に押しかけてもいいもんなの?」
「まったく問題ねえよ。旅の安全を祈願する旅人だってよくいるからな」
「そっかー。そんなだまされたと思って行ってみるのもいいかも」
「おう、ぜひそうしろ」
「おっし、分かった。教えてくれてあんがと。じゃ、マルヴィン。店の住所教えて。そのうち隊のみんなで行くから、ちゃんと商売しなさいよ」
「おう。ついでに鍋の一つも買ってけ。旅に便利な携行用もあるぞ」
「そん時はちゃんと負けなさいよ~」
「そっちのお嬢さん―――ココハさんも、町歩きを楽しんでな」
「はい、ありがとうございます、マルヴィンさん」
釣り竿を片手にひらひらと手を振るマルヴィンに別れを告げ、言われた通りココハとイハナはさらに川の上流へと歩いていった。
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