⑨冒険者の唄
木立に月明りが遮られて辺りが薄暗くなる。歩けないほどじゃないけど、少し不安な心地になった。
―――こんなとこでイハナさんはなにしてるんだろう。
いぶかりながら歩くココハ。
ちょうど野営地も遠くに離れ見えなくなった頃―――。
ココハの耳になにか聞こえてきた。
最初は虫か夜行性の鳥の鳴き声だろうか、と思った。
けど、前に進むにつれその音ははっきり聞こえるようになり、その正体に気づいた。
「これ……ギターの音?」
ギターはこの国でもっともメジャーな楽器の一つだ。
耳を澄ますと、音はたしかにメロディーを奏でていた。
それで、ココハにも分かった気がした。
夜中にイハナが天幕を抜け出してなにをしているのかを。
音を頼りに、少し早足になってココハは歩いた。
すると、林は途切れ、開けた崖の上に出た。昼間であれば、さぞ見晴らしがよさそうだ。
頭上に、丸い月が煌々と照り輝いていた。
そして、崖の縁に、こちらに背を向けて腰掛ける人の姿も見えた。
近づくと、それが探していた人物であることが、夜目にもはっきり分かった。
月の光を浴びて崖の上でギターを奏でるその姿は、なんだか名画を見ているようだ。
弦の奏でる甘い音色が夜の静寂を乱すことなく、夜闇と調和する。
その幻想的な雰囲気を壊したくなくて、ココハは声をかけるのをためらった。
隊員が行くとめちゃくちゃ怒るとテオが言っていたのを気にしたのも、ちょっぴりあった。
―――もう少し、このまま聞いていよう。
ココハはイハナが見えるくらいの距離に立ったまま、ギターの音に耳を澄ませた。
と、イハナが弾きたがえたみたいで、思いっきり調子はずれな不協和音が鳴って、曲が途絶えた。
「んが」
虫が口に入ったみたいな声を上げるイハナ。
幻想的な空気が一瞬でがらがらと崩れ落ちた。
そのタイミングで、ココハはそーっと近づき、後ろから声をかけた。
「イハナさん」
「ん? ををっ、ココちゃん!?」
イハナは飛び上がらんばかりに驚き、軽く崖から落ちかけてココハを慌てさせた。
「もしかしてさっきからいた? 聞いてた、いまの」
イハナの顔は、月明りでもはっきり分かるほどうろたえていた。
まるでお菓子をつまみ食いしているのを現行犯で母親にバレた子どもみたいな表情だ。
「あ、はい……。曲のまんなかあたりから」
「うっひゃー、恥ずかしい~」
イハナは手にしたギターを両腕で抱きかかえ、身悶えした。
旅の吟遊詩人が使うような、ギターのなかでも最小サイズのものだった。
放っておくとまた崖から転がりそうで、ココハはその隣に座って、軽くその肩をつかんだ。
「へ~き、へ~き、もう落ち着いたから。はふぅ~」
イハナは豊かな胸に手を沿えて、大きく息を吐く。
まだ動揺収まりきらない様子だった。昼間なら、顔が赤らんでいるのを見れたかもしれない。
「ココちゃんがいるってことは……いまの時間は、んと、テオの奴かぁ。後でとっちめてやる」
「え、えっと……テオさんは何も教えてくれなかったですよ。バラしたら怒られるかもって」
「ここを教えたんでしょ。そんなのバラしたのといっしょだし」
イハナは本気で憤慨しているみたいだったけど、ココハにはそこまでイハナが取り乱す意味がよく分からなかった。
「えっと、どうしてギター弾いてるの、秘密なんですか?」
「え? そんなんヘタクソだからに決まってるじゃん」
言わなくても分かるでしょ、とばかりにイハナは不満げに口をすぼめた。
けど、ココハはそうは思わなかった。
「そんなことないですよ! すごいお上手でびっくりしました」
「えぇ~、いやいや~、ありえないから」
ココハが本心から伝えると、イハナはきっぱりと断言。ココハの言葉をはなからお世辞と決めつけてるみたいだった。
ココハはなおも言葉を重ねて、自分が本心からそう思ってることを力説した。
それでようやくイハナもココハを疑うのはやめたけど、恥ずかしげな様子は変わりなかった。
「イハナさん、いまのって『冒険者の唄』ですよね」
「そうそ、酒場の定番曲」
それはココハもサラマンドラにきてから、何度となく耳にした曲だった。
「イハナさんはやっぱりすごいですね。隊商のリーダーなのに、楽器まで演奏できるなんて」
「たはははは、だから全然だって。ヘタの横好きってやつ。本職の吟遊詩人さんとか楽団さんにはとても聞かせらんないから、こうして移動中、夜中にこっそり練習してるってわけ」
「はぁ……」
イハナの技量についてはひとまず置くとして、なんとなくその気持ちは、ココハにも理解できる気がした。
ココハの魔導学院時代の親友の一人、エメリナも人に努力しているとこを見られるのを嫌がっていた。
自分に厳しい完璧主義者特有の感覚なんだろう、と思う。
けど、イハナの演奏はお世辞ぬきにステキだとココハは思った。
たしかにそれでお金をもらっている人たちに比べたら及ばないかも知れないけど、だかららこそ本職でもないのに、流麗に楽器を操れるなんてすごい、と思う。
「でも、どうしてギターを練習しはじめたんですか」
「あぁ、それねえ~」
イハナはぽろんぽろんと弦をてきとうにつま弾きながら、
「ほら、わたしたちって交易でいろんなとこに行くでしょ。どこに行っても、その土地その土地での音楽があってなかなか面白くってね~。仕事の合間ぬってそういうの聞きにいくのが、けっこう好きなの、あたし」
「へえ~、いいですね」
「うん、そんでね、なかにはサラマンドラのプロの楽団にも負けないくらい、歌も演奏もめちゃくちゃうまい人もいてねー。それだけの腕があって、なんで上京してプロ入りしないのかって聞いたんだけど、笑っていうわけさ。『ここでこうしてずっと演奏できればそれで満足です。こうして村のみんなやあなたのような旅の方が聞いてくれますから』ってね。そしたらあたしも、なんかそんな気持ちで楽器を弾けたらいいなあ、って思っちゃったわけ。それがきっかけかな」
イハナは話し終えると、照れ隠しなのだろう。むちゃくちゃにギターをかき鳴らした。
「すてきです。イハナさんが憧れてしまうような方の演奏、わたしも聞いてみたいです」
「おお~、ぜひぜひ。……って言いたいとこなんだけど、残念ながらぜんぜん方角が違うんだよね~。ちょっと立ち寄るのは無理だな~」
「そうなんですね、残念です」
ココハはちょっと肩を落としたけど、すぐに元気に顔を上げて、
「それなら、イハナさんの演奏をもっと聞かせてください!」
「ええ~。いまの話の流れでそうくるかね。こちとらプロばりのその人の足元にも及ばないっていうか、全然人に聞かせられるレベルでないわけで……」
イハナの言葉は弱ったみたいに尻すぼみに消えていった。
この三日間、いつも自信たっぷりでココハを翻弄してきたイハナがこんな様子を見せるのが、なんだかおかしかった。
ココハは純粋にイハナのギターをもっと聞きたい気持ちが八割、ちょっと意地悪したい気持ちが二割でさらに強くせがんだ。
「わたし、さっきの『冒険者の唄』が出だしからもう一度聞きたいです」
「う、うみゅう……。どうしても?」
「はい、どうしてもです!」
「ううむ、そっかー、どうしてもか~。速弾きのとこは飛ばしていい? 難しくってさ~」
「はい、わかりました」
「たぶん途中何度かトチるけどかんべんしてね」
「はい、だいじょうぶです」
「まあ、ココちゃんがそこまで言うなら……」
イハナは観念したみたいに「ふう~」と大きく息を吐き、ギターを構えなおした。
「それじゃ、耳よごしだと思うけど……。―――『冒険者の唄』」
ココハはぱちぱちとひかえめな拍手で答えた。
イハナの細い指が弦をつまびく。
旅行く冒険者たちのマントが風がたなびくさまを思わせるような、力強くも、どこかはかなげな旋律が流れた。同じ旋律を繰り返すようで、少しずつ変調していく。
それはタイトル通り、冒険者たちのために奏でられる曲だ。
昨日を忘れ明日を思わず、刹那を生きる命知らずの若者たち、そんな彼らの生きざまがそのまま音楽になったような曲だった。
誰がいつ作曲したのかはいまもって不明だが、冒険者酒場でもっとも好まれ、ギターバージョンだけでなく、ハープや笛など様々な楽器でもよく演奏されていた。
ココハの耳にもいつの間にかなじみ、気づけば大好きな一曲となっていた。
ココハは弦の音色に心を預け、そっと目を閉じた。
イハナの演奏はところどころ危なげではあったものの、曲は幾度もサラマンドラで聞いたのと同じものだ。
自然と、まぶたの裏にあの街の冒険者たちの姿が浮かんでくる。
はじめて先輩に連れられ、おそるおそる酒場に足を踏み入れた時のこと。
郊外に採取に行くとき護衛をしてくれた、こわもてだけど気のいい冒険者たち。
魔物相手にもひるむことなく立ち向かう彼らの背中。
酒宴にむりやり参加させられ、さんざん酔わされて二度とお酒は飲まないと誓った日のこと。
やがては冒険者たちのことだけでなく、五年間で出会えたすべての人たちのこと、過ごした日々のことが次々と胸によみがえってきた。
ギターの音色に導かれ、懐かしい面影が浮かんでは消えていく。
もう二度と戻ることはないだろう、サラマンドラの街の人々……。
大好きな親友たち……。
「……ココちゃん、泣いてる?」
ふつりとイハナが演奏を止め、心配げにきいてきた。
「え?」
言われて頬に指を当て、ココハははじめて気づいた。
自分がいつの間にか涙を流していたことに。
「あ、あれ……。す、すみません、演奏の途中で。なんだか色々懐かしくなっちゃって……」
ココハは袖でごしごし顔をぬぐって、さっき見た自分の夢をイハナに話した。
一緒に笑ってもらおうと思ったのに、話しているうちによけいに涙があふれてきた。
ココハは泣き笑いの表情に震える声で、
「あはは、ヘンですよね。これから田舎に帰ろうとしているのにホームシックって……」
「ヘンじゃないよ」
イハナは優しく答え、ココハの頭を撫でた。
「ココちゃんにとって、サラマンドラはもう第二の故郷なんだね」
「そう……なのかな」
「うん。そういう時はガマンしたりしないで、思いっきり懐かしんで泣いちゃうといいよ~。あたしもがんばって弾くから」
イハナの指が再び「冒険者の唄」を冒頭から奏でなおし、ココハは言われた通りがまんするのをやめて、静かに涙を流した。
ところどころの章を飛ばして、演奏が終わる頃―――、
「ありがとうございました。なんだかスッキリしたみたいです」
目を赤くはらしながら、でも言葉通りすっきりした顔で、ココハは告げた。
その顔を見たイハナもにこりと笑った。
「ヘタな演奏で申し訳ないけど、聞いてくれてありがと」
「だからそんなことないですって。こちらこそ、ステキな演奏を聞かせてくれて、ありがとうございます」
イハナは立ち上がると、ぱんぱんとお尻の土埃を払った。
「よっしゃ、泣きつかれたらもう寝ちゃおう」
「……なんだかそれって、赤ちゃんみたいですね」
「いいじゃないの。明日も日の出といっしょに出発だし、寝とこっ」
「はい」
イハナに手を引かれ、ココハも立ち上がった。
帰り道、二人はテオに手渡されたパイを半分こして食べ、野営地に戻った。
ちなみに戻る頃にはテオは火の番を別の隊員と交代していたので、イハナに怒られるのはまぬがれた。
―――第二の故郷……か。
天幕の中で横になり、ココハはイハナの投げかけてくれた言葉を心の中でつぶやいてみた。
人生のなかのたった五年間を過ごしただけかもしれない。
けど、その言葉がぴったりくるくらい、サラマンドラの街はココハの心の大きな場所を占めていた。
もう二度とは戻らないかもしれない。いつまでもくよくよと思い出ばかりに浸ってもいられないだろう。
けど、そこで過ごした日々のことは一生忘れたくない。
そんなことを思いながら、ココハの意識は再び夢の中へと落ちていった―――。
◇◆◇
ココハがサラマンドラを立ってから五日目―――。
野営地での野宿も、隊商の移動のペースも、騎鳥にもすっかり慣れ、イハナ隊一員の顔と名前も覚えた。
そして、とうとう、この日のお昼頃―――イハナ隊一行は、最初の目的地である町に辿りついた。
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