⑧ふと目覚めた夜

 ココハがサラマンドラを旅立ってから三日目の夜。

 この日の野営地はまばらに針葉樹が生い茂った林の中だった。


「んあ……」


 少々間の抜けた声を上げて、ココハはぱちりと目を覚ました。


「んん……?」


 あおむけに寝たまま、ぼんやりと上を見つめた。それが見慣れた自分の部屋の天井でないことをいぶかる。ゆっくりと思考が焦点を結び、自分が隊商とともに旅をしていること、ここが天幕の中であることを思い出した。


「夢、か……」


 口のなかでぽつりとつぶやく。

 目覚める直前まで見ていた夢の内容を思い返してみる。


 ◇◆◇


 夢の中、ココハは帰り道の旅を終えていた。

 けど、帰り着いた先は、故郷のマヨルカ村ではなくて、なぜか出発したはずのサラマンドラだった。

「ただいま」と告げて街に入ると、そこに待ちかまえている者がいた。

 ココハの担任の魔導教諭、サハラ=スカーレットだった。

 サハラは眉尻を吊り上げて、ただでさえ凶悪な目つきをいからせ、


「おせえぞ、ココハ! 大遅刻だ!!」


 ココハを怒鳴りつけた。


「は、はいぃぃ」


 情けない声で返事をして、慌てて魔導学院の実習室に駆け込むココハ。

 そこには、学科が違うはずのエメリナやノエミ、なぜかイハナの姿もあった。よく覚えてないけど、世話になった冒険者たちやイハナ隊の人たちもいたような気がする。


 ココハの前には、おとぎ話に出てくる魔女が使ってそうな寸胴の大きな釜があった。

 夢なのではっきりしないけど、実習の内容は滋養強壮剤かなにかの調合だった。

 ココハはエメリナたちと協力し、真剣に魔法薬を作りあげた。

 そして、その場にいた皆に、鍋の中身をふるまった。


 ところが、それを口にした皆は、そのとたんにケタケタと笑いはじめた。

 苦しい、苦しいと言いがながらも、腹をよじり、転がりまわって、笑うのを止められないでいた。


 ―――調合は失敗だった!


 ココハは急いで解毒剤を作ろうとした。けど、材料が見つからない。

 たしかに、この辺りにしまっていたはずなのに……。


「あれ、あれれ?」


 ココハがまごついている間にも、みんなの笑い声はどんどんひどくなっていく。

 目に涙を浮かべ、のたうち回り、ひいひいと肩をなみうたせている。

 どうしようどうしよう、と焦りばかりがつのっていき―――、


 ◇◆◇


 ぱちりと目を覚ました。

 起きた頭で思い返してみると苦笑してしまう。

 実に夢らしい、荒唐無稽な内容だった。


 けど、旅立ってから三日目―――、

 サラマンドラのこと、魔導学院のことをはっきり思い出したのはこれがはじめてだった。

 夢に現れた親友たちの姿に、胸がきゅっと締めつけられるような、切ないなつかしさがこみあげてきた。

 天幕の中はまだ暗い。

 どうやら真夜中に目を覚ましてしまったみたいだ。


 ―――わたし、寝言とか言ってたのかなぁ。


 意識がしゃんとするにつれて、恥ずかしくなってきた。

 イハナを起こしてしまっただろうか。

 そっと、寝返りを打つみたいに横を向いて、


「あれ?」


 思わず声が漏れた。

 隣に眠っているはずのイハナがいない。

 半身を起こして見回してみるけど、やっぱり天幕のなかにその姿はなかった。


「火の番、かなぁ」


 だとしたら、目も覚めてしまったことだし、話相手になってもらおうかな。

 そう思って、ココハはくるまっていたマントをちゃんと肩の辺りで留めなおして、天幕の外に這い出た。

 春先とはいえ、夜の風はまだ少し肌寒かった。

 深閑と寝静まる野営地のまんなかで、焚火の明かりがぼんやりと見えた。

 近づくと、声をかける前に相手がこちらに気づいて振り向いた。


「あれ、ココハちゃん?」


 そうココハに声をかけたのは、イハナではなかった。

 サラマンドラに妻子を持つ隊員のテオだった。


「どうしたんだい?」

「その……なんか目が覚めちゃって」


 なんとなく気恥ずかしくなって、ココハはもごもごと答えた。

 テオは優しく笑って、腰かけている丸木の上で身じろぎして、ココハの分のスペースを空けた。


「あったかいお茶、飲むかい?」

「あ、はい、ありがとうございます」


 その好意に甘えてココハはテオの隣りに座った。


「はい、どうぞ」


 テオが差し出したカップは温かく、白い湯気がたっていた。


「あちちち……」

「あはははは、ヤケドしないように気をつけて」


 お茶は熱くてちびちびとしか飲めないけれど、砂糖がたっぷりと入っていて、ほっとする甘さだった。


「えっと、テオさん、ルイ君は元気ですか?」


 なにか話をしようと、ココハはテオの息子の名前を挙げた。

 森で迷子になっているのを街に連れて帰ったのが二年前のことだから、もう八歳になってるはずだ。

 何度かテオの家に招かれて一緒に遊んだりもしたけど、最近はココハも卒業に向けた勉強が忙しく、久しく顔を見ていなかった。


「おお、元気も元気。うちで暴れては嫁さんの手を焼かせてるよ」


 テオの顔がぱっと明るくなった。息子の話ができるのが、心底楽しそうだ。


「また家を飛び出しかねないくらいでなあ、わはははは」

「いや、それ笑い事じゃない気が……」

「今回の交易にココハちゃんも一緒に来るって知ったら、あいつもついて来ようとしたかもしれんなぁ」

「えっ、なんでそこでわたしの名前がでるんですか?」


 ココハが首をかしげると、テオは、


「ん? 言ってなかったっけ」


 と首をかしげ返し、告げた。


「あいつ、『オレはココハ姉ちゃんと結婚する』って、俺がうちに帰るとずーっと言ってるからなぁ」

「ええ!? そ、それは、その……あははは、ありがとうございます」


 ココハはリアクションに困って苦笑い。

 顔を知っている男の子に結婚したい、なんて言われてまったく嬉しく感じないわけでもない。

 けど、五年間の学生時代、異性にまったく縁のなかった自分の唯一のモテエピソードが、十歳離れた男の

子に懐かれてることだけというのは、ちょっと微妙な心境だった。


「でも、そしたらわたしが故郷の村に帰るっていうこと、テオ君には……」

「ああ、言ってない。めんどくさくってなぁ」

「めんどくさいって……」


 テオは隊員たちが起きてしまうんじゃないかと心配になるくらい豪快に「わはは」と笑った。


「ま、あいつが結婚できる歳になって、ココハちゃんの故郷まで一人で旅するだけの根性見せるっていうなら、

俺も認めてやらんでもないけどな」

「はぁ……。その、冗談ですよね」

「ああ、三分の一くらい冗談だ」

「三分の二も本気なんですか!?」


 テオはわざとくさく真面目な顔を作って、


「ココハちゃんが相手なら文句のあろうはずもない。うちのボウズにはもったいなすぎるけどな」

「いやいやいやいや、歳の差! わたし、めっちゃ姉さん女房ですよ」

「最高じゃないか。一つ年上の女房は金の長靴を履いてでも探せっていうだろう」

「十! 十歳差ですよ、わたしとテオくん」

「そのうえ魔法のお医者さんだなんて、逆玉の輿もいいとこだ」

「いやいや、絶対イハナ隊のみなさんの方が稼いでますから。ほんと、ド田舎ですし……」

「うーん、そうかなぁ。わははは」


 家族の話ができるのかよほど楽しいのか、テオはわはははと終始笑いっぱなしだった。

 釣られてココハも笑いながら、テオの妻や息子のことをいろいろ聞いた。

 お茶を全部飲み終わった頃、はじめて天幕から出てきた元々の理由を思い出した。

「あ、あのテオさん。イハナさん知りませんか。起きたらいなかったんですけど……」

「ああ、隊長か……」


 テオは急に口ごもりはじめた。知ってはいるけど言いにくい、そんな感じだった。


「うーん、まあ、ココハちゃんならいいのかなぁ。俺達が行くとメチャクチャ怒るんだけどな」

「え、え、なんですかそれ」


 テオはココハの困惑をよそに、その手から空になったカップを受け取って、一方を指さした。


「隊長は、あっちの方にいるよ。そんなに離れたとこじゃないと思う。今夜は月が明るいから松明はいらないと思うけど、気をつけて」


 テオが指さした方向は、野営地がすぐに途切れ、もう針葉樹が茂る林のなかだ。

 少なくとも、ここからはイハナの姿は見えない。


「あっちの方って言われても……」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。近くまでいけば分かるから」

「……どういうことですか。あの、本当にわたしが行ってもイハナさん、怒らないことなんですか?」

「うん、平気平気。オレからばらすと後々めんどそうだから、とりあえず行ってみてくれ。あ、夜食の差し入れにこれ持ってくといいよ。あとで俺が食おうと思ってたんだけど、万一隊長が不機嫌になった時の保険にさ」


 ココハがどれだけ問い詰めても、テオは笑ってはぐらかす。

 小さなパイの包みを渡されて、渋々とココハは立ち上がった。

「行けば分かる」というテオの言葉をとりあえず信じることにした。

 隊長のイハナの性格ゆえか、イハナ隊の面々は色々と大事なことの説明を省略したがる癖があるみたいだった。


「はぁ、じゃあまあ、行ってきます」

「うん、足元気をつけて」


 のんきに手をふるテオにぺこりと頭を下げて、ココハは林の中に分け入った。

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