⑦さらば王都サラマンドラ!

 魔導学院を卒業してから旅立ちの日までは、目まぐるしく過ぎていった。

 ココハ自身意外なほどに、やるべきことはたくさんあった。


 大部分の時間を使ったのが、世話になった人たちへのあいさつ回りだった。

 サラマンドラには、学院の外にも学生生活中に世話になった人がたくさんいた。


 王立魔導学院が”魔女の巣窟”などと呼ばれて、市民から気味悪がられていたのははるか昔のことだ。

 ココハが入学する時代には、学院はサラマンドラの名物として市民たちの間でも親しまれていた。


 特に正規の魔導士に依頼できない庶民にとって、安価で様々な仕事を引き受けてくれる学生の存在は重宝していた。

 薬草図本や参考書を買うのにも事欠く、苦学生のココハにとっても町での依頼は生活を支える大事な糧だった。


 まずは、ほとんどの依頼を斡旋してくれた冒険者酒場のマスターに、あいさつにいった。

 ときおり納品していた酔いさましの薬草茶が手土産だ。

 定期的に受けていた依頼の一部は、魔法医学科の後輩に引き継いだ。

 自分も先輩にしてもらっていたことだ。


「そうか……、分かった」


 寡黙なマスターはうなずいただけだった。けど、無言でグラスをふくその姿は少しさみしげだった。

 その次は、冒険者たちに別れのあいさつにいった。

 郊外で薬草の採取をする時など遠出の際、よく護衛を引き受けてくれたのだ。

 彼らには、それぞれ傷薬を調合して持っていった。


「はい、これがドロテオさんの分、こっちがウンベルトさんの分。一応おおめに作りましたけど、あんまり怪我するような危ないことしないでくださいね」

「なあに、俺らの仕事は怪我してなんぼよ」

「そうそう、傷は冒険者の勲章ってな」

「もう、またそんなこと言って。ウンベルトさんが大怪我して街に帰ってきたときは、心臓とびでるんじゃないかってくらいあせったんですから」

「なんだ、嬢ちゃん。俺にホレてたのか?」

「もう、そんなこと言ってるんじゃありません」

「そうだ、ウンベルト。自分のオーガみてえな面(つら)見てから物を言え」

「てめえだって似たようなオーガ面(づら)じゃねえか。くそっ、なんでこいつにあんな美人な女房がいるのか理解できねえ。サラマンドラの七不思議だぜ」

「なにッ、七不思議だと。てめえ、マルタさんの悪口言うやつは許さんぞ」

「言ってねえよ!? むしろ持ち上げてるよ。このウスラバカヤロウ!」

「ちょっと、わけわかんないことで喧嘩しないでください。またテーブル壊して店を追い出されますよ」


 そんなやりとりを方々で繰り返してバタバタしたりもしたが、無事冒険者たちへのあいさつも終わった。

 なかには、護衛かなにかの依頼で街から離れているのか、どうしてもつかまらない者もいたが……。

 しかたなく、他の冒険者に伝言と、彼らの分の傷薬を渡してもらうよう頼んだ。

 冒険者は腕自慢の荒くれものたちだが、ココハの護衛を引き受けるような者は根はいいやつらばかりだ。

 そんな彼らとの付き合いかたも、いつの間にかココハはすっかり慣れていた。

 街に来たばかりの頃なら、剣や鎧で武装したいかつい彼らと気軽に会話している自分の姿など、想像もできなかった。


 まだまだ、故郷に帰る前に話をしたい者はたくさんいた。

 腰痛に効く薬をいつも届けていた、街はずれに住むおばあちゃん。

 上京した頃から親切にしてくれ、いつも値段をおまけしてくれたパン屋のおやじ。

 昔、スリにあった時に助けられ、それ以来なにかと自分を気にかけてくれる警邏隊けいらたいの団員。

 エメリナやノエミと一緒によく通い、すっかり常連になっていた食堂。


 その誰とあった時も、これでお別れと思うと名残惜しく、ちょとあいさつのつもりが、ついつい話し込んでしまったりした。

 あらためて、五年間サラマンドラで暮らしているうちに、多くの人とつながり、支えられてきたことを実感するココハだった。


 あいさつ回りが済んだ後は旅支度だ。

 けど、これは経験豊富な冒険者たちがアドバイスをくれたから、そう難しいことではなかった。

 彼らは競い合うように自分の使わなくなった旅道具をココハに譲ってくれたし、安くて品質のよい雑貨屋も紹介してくれた。


 それよりてこずったのは、部屋の掃除だった。

 さして広くもない部屋に、驚くほど大量のものがあった。

 よく五年間でこれだけため込んだものだと、自分に呆れてしまう。

 モノを買う時間もお金もないと思っていただけに、びっくりだった。


 もちろん、長旅にあれこれと荷物を増やすわけにはいかない。

 はじめて街からの依頼で報酬をもらった時、その記念に買った木のティースプーン。(使うのがもったいなくて、けっきょく部屋のインテリアと化していた。)

 郊外のおばあちゃんから薬のお礼にともらった手袋や、帽子。(街で着るぶんにはよかったが、旅用のものではないのですぐにぼろぼろになってしまうだろう。)

 エメリナとかわいいかわいいとはしゃいで、衝動買いしてしまったクマのぬいぐるみ。(兄弟という設定でそっくりに作られたものをエメリナも買って持っている。)

 採取の護身用にと買った短剣(結局魔物と戦うよりも、草木を刈り取る時ばかり使用していた)


 そんな思い出のこもった品々も、泣く泣く売り払うしかなかった。

 それ以上に多かったのが、売りたたくこともかなわないガラクタだった。

 五年間勉強につかった、大量のノート。(後輩に譲り渡そうかとも思ったけど、大部分は自分でも解読不能なほどぐちゃぐちゃな書き込みだった。後輩も、できることならもっと成績の良い卒業生から勉強法を学びたいだろう)

 薬の試作品の数々。(そのなかには、明らかに調合に失敗したものもあった。)

 魔法薬は毒になるかもしれないため、普通のごみ捨て場には捨てられず、廃棄には特別な手続きが必要だった。ココハはそれをついつい後回しにして、寮にため込んでいた。

 アルケの調整に失敗して、壊れてそのままになっていた魔道具。(もはやなんの使い道もないのだが、元の値段が高かったため、なんとなく捨てられずにいた。)


 掃除をしていると、あとからあとから出てくる出てくる。

 自分でも買ったこと、作ったことすら忘れていたガラクタの数々。

 もはや自分一人で処理できるレベルではなく、最終的には魔法医学科の担任であるサハラ教諭に文字通り泣きついた。


「ココハ!  てめえは、立つ鳥跡を濁さずって言葉知らねえのか。卒業してまで迷惑かけやがって!」

「ふぇ~ん、ごめんなさい~」


 最後の最後でお説教を喰らうはめになってしまったが、サハラの協力もあってどうにかガラクタの数々もすべて処分できた。


「ふぅ~…………。よしっ」


 掃除を終えて、ココハは大きくひとつうなずいた。

 もう、紙くずひとつ落ちていない。

 ココハがはじめてこの部屋に入寮してきた時と、同じ姿だ。

 ここも間もなく、新入生が使うこととなるだろう。

 いよいよ、出発の用意がすべて整った。

 最期にもう一度だけ、エメリナとノエミに会いたい気持ちもあったが、それをしてしまうとずるずる出発の決意が鈍ってしまいそうだ。

 彼女たちももう、それぞれの未来に向かって準備をはじめているはずだ。

 いつまでも、後ろ髪を引かれてはいけない。


「うん、いこうッ」


 声に出して決意を固めるココハ。

 からっぽの部屋に背を向けて、荷袋をしっかり背負い、杖を握りしめた。

 魔導学院魔法医学科第百三十八期、卒業生、ココハ。

 彼女の故郷に帰る旅がここからはじまった。

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