⑥月に見守られて
名残り惜しげに大半の生徒たちはパーティー会場に残っていた。
けれど、一方で少しずつ寮や自宅に戻る生徒が出始めた。
いま、会場をぬけても誰も不審には思わないだろう。
ココハはそっとパーティー会場を抜け出した。
そして、一路魔導学院に戻っていた。
パーティーの間に、同じ魔法医学科の卒業生から、伝言を預かったからだ。
「ココハ、これ」
その女子生徒は、べろべろに酔っぱらってココハを手元から放そうとしないサハラの目を盗んで、そっと紙切れをココハに手渡した。
よくそうやって、授業の間に手紙をこそこそ回したものだった。
トイレに立つふりをして、ココハは手渡された紙切れを開いてみた。
『六つの鐘が鳴る頃に、いつもの場所に集合!』
手紙にはそれだけ書かれていた。差出人の名前はなかったけど、それだけでエメリナとノエミからのものであることが分かった。
酔っぱらったサハラを、グッドマンと、まだパーティーに居残っている魔法医学科の卒業生たちに託して、ココハはそっとパーティー会場をあとにした。
外には月明りが
光のアルケをもちいたランプも薄明かりを形作り、学院の敷地を照らしていた。
初春とはいえ、夜はまだほんの少し冷え込んだ。
夜の学院の敷地を歩いていると、いけないことをしているような背徳感と、高揚感があった。
こんなことをするのも今夜で最後だ。
誰かに見咎められないように、ココハはランプの照らす道を外れ、園庭の中を進んだ。
終課の時を告げる最初の鐘の音が響いた。
「いけない、いそがないと……」
ココハは小声でつぶやいた。
目指す先は学院の時計塔―――、エメリナとノエミの二人が待っている秘密の場所だ。
もちろんここは一般生徒は立ち入り禁止だ。
けれど、本校舎との間に秘密の抜け道があった。
一見近代建築ふうで華やかな魔導学院の建物だが、その実、長い歴史のなかで増改築が繰り返され、かなり複雑な構造になっていた。
時計塔へとつづく経路も、そんな歴史のなかで生まれた隙間のひとつだ。
校舎内外の階段やのぼりはしご、排気口のような裏道を上り下りすると、いつの間にやら時計塔の屋上にたどりつくのだ。
まるで縦方向にのびる迷路だった。
それを教えてくれたのは、いまは卒業してしまった、エメリナと同じ占星術学科の先輩だった。
優等生気質のエメリナやノエミは最初利用をためらったが(おまけにエメリナは当初高所恐怖症でもあった)結局、三人だけの秘密の場所があるというドキドキ感には勝てず、在学中何度も集まっては同じ時を過ごしていた。
幸いにして、ココハたちの在学中にこの抜け道がふさがれることはなかった。
はしごを昇った先には、エメリナとノエミの姿があった。
「おそいわよ、ココハ」
「ごめんごめん、抜け出すタイミングがつかめなくて」
ココハが小走りに駆け寄ると、エメリナがくるまっていた大きな毛布のはしを広げ、招き寄せた。
ココハも中に入り、三人は肩を寄せ合って座った。
ノエミがダンスホールから水筒に入れて持ち帰った蜂蜜入りの紅茶を回し飲む。
「…………」
しばらくの間、誰も口を聞かず、静かな時が流れた。
パーティーが賑やかだった分、夜のしじまがなんだか寂しく感じられた。
ここからだと街灯に照らされた学院の敷地がよく見えた。
どの場所にもたくさんの思い出があった。
教室棟、実験室、演習場、旧校舎、運動場、そして薬草園―――。
見上げるとまるい月が白くかがやいていた。
どこまでも遠い星のまたたきを見つめていると、夜空の中に吸い込まれてゆきそうだ。
お互いの肌が触れ合う温もりを感じながら、このままずっとここにこうしていたかった。
声を出してしまうと、時が動き出し、”いま”が終わってしまう。
―――そんな気がした。
「……わたし達、もう会えなくなるのかしら」
最初に沈黙を破ったのはエメリナだった。
地面を見下ろしたまま、小さな声でぽつりとつぶやく。
「エメリナ。……そんなこと……言わないで」
ノエミが咎めるように口をとがらせる。
けれど、三人とも本当は分かっていた。
エメリナが口にしたことが真実であるということを。
「二人はともかくわたしはサラマンドラからもいなくなっちゃうから……もう一度会うのは大変だよ」
「ねえ、ココハの故郷の村ってここからいったいどれくらい遠いの?」
「うーん、順調にいって3、4か月くらいかかるかなぁ。来るときは道に迷ったりしたのもあるけど、半年くらいかかったよ」
「えぇ……。この国ってそんなに広かったのね……。だれか、乗っただけで瞬間移動する魔法陣とか開発してくれないかしら」
「いやいやエメリナ、そんな、一般人の抱く”魔法使い”のイメージじゃないんだから」
「……いちおう、理論上は……そういう研究もある」
ぽつりとノエミが言う。
「ほんとに!?」
「ん。実現するのに……百年はかかると……言われている」
「ダメじゃん!」
「そこをなんとか。十年にまけてくださらない、ノエミ」
「……わたしがつくるの?」
「当たり前でしょう。学院に残るのはあなただけなのですから」
「……わたしの研究内容とちがう」
「そこをなんとかお願いしますわ!」
「……街道をつくったほうが……はやい、と思う」
「ああ。たしかに道がまっすぐ続いていればもっと早く着けるのになあ、とは思ったなあ」
しんみりした空気もどこへやら。いつの間にか三人はとりとめのないおしゃべりに夢中になっていた。
「考えてみるとわたくし、生まれてからこのかた、サラマンドラの周辺しか知りませんわ」」
「ん……、実習とか、採取で、あちこちいったりはしたけど……」
「色々行ったよねえ。エメリナが占いで使いたいって言って、珍しい石を探しに鉱山の方とか」
「それもりもあなたが薬草を採りにいくと言って、西の森まで行った時のほうが大変でしたわ」
「ん、崖から落ちかけたり……、魔物にあったり……、迷ったり……さんざん」
「あははは、いま思うとよく無事だったよね、わたしたち」
「笑いごとではありませんわ」
「ん。……でも、野宿した時は、ちょっと楽しかった」
「ですわね。あの時もこんなふうに三人で星を眺めていたわよね」
「そのあとさ、サラマンドラに戻ってから、クラーチャのお店に入って食べまくったよね」
「ええ、そうでしたわ。ノエミがいい匂いがするといってふらふらと裏路地の方まで行って……。正直、外見は廃屋のようで入るのにためらいましたけど、味は絶品でしたわ」
「……クラーチャを、食べたことない人見たの……エメリナがはじめて」
「しかたありませんわ。うちの食卓には出てこなかったのですもの。けど、ひき肉と玉ねぎをあげパンにつめただけの料理があんなおいしいものとは、知りませんでしたわ」
「ん。クラーチャは……サラマンドラの……ソウルフード。貴族も知るべき」
「うぅ、食べ物のことになると相変わらず手厳しいですわね、ノエミは」
「あはははは。あ、買い食いっていえばさ、覚えてる―――?」
五年間の思い出話に華を咲かせる三人。
声を出すのを惜しんださっきまでとは真逆だ。
どんな些細なことでも思い出して話さないと気が済まないような気がした。
いま話さないともう二度とおしゃべりできない、そう思うといくら話しても話したりなかった。
こぼれ落ちそうになる涙をせきとめるように、三人は話し続けた。
在学中、いつもこうやって三人で過ごしていた。この時計塔の上でも、なんどもなんども。
ただ一緒にいて、話をしているだけで本当に楽しかった。
こんな時間が永遠に続けばいいと思っていた。
「……でも、それじゃダメだよね」
ふと会話がとぎれた時―――、
ココハがぽつりと言い、エメリナとノエミもうなずきあった。
「ん。……わたしたちには……それぞれ、目指す場所がある……」
「ええ。わたくしはサラマンドラに占い師の店を開いて、悩める市民の皆様にとってのしるべになりたいと思っていますわ」
「ん。……エメリナならなれる」
「ね。エメリナの占い師すがた、すっごく想像できるし」
エメリナは卒業後、職人通りの占い師に助手として師事することが決まっていた。
すでに在学中から雑事を中心に働いていた店だ。
やがては助手仕事だけでなく、一人でお客さんを担当し占える日がくるだろう。
最終的には独立して、自分の占いの館を開くのが彼女の夢だった。
彼女ならきっとステキな占い師になるだろう、とココハは思う。
他の生徒の悩みに真摯に耳をかたむけ、ココハのとりとめのない愚痴にも付き合ってくれたし、時には嫌われ役を買ってでも厳しく叱ってくれることもあった。
「ノエミ。あなたは上級修学士として、さらに魔導の研究を続けるのよね」
「……うん。そのあとは……まだ決めてないけど……たぶん魔導研究所に入るか……ここで教師になる……と思う」
「ええ。あなたならきっと、この国の―――いいえ、世界の魔導学発展に、大きな貢献を果たすのでしょうね」
「うん。先生になるのもいいよね」
「……ん。向いてるかは……わかんない。でも……魔導学が好きだから……」
ノエミは耳元まで毛布をかぶり、猫のように丸くなった。
親しい二人は、それが不機嫌になったわけでなく、ただ照れているのだと知っていた。
エメリナはノエミの背中を抱き、ココハは頭を「よしよし」となでた。
「そして、ココハ。あなたは―――」
「うん」
ココハは顔を上げ、前を向いた。
夜空の向こう、はるかかなたにある自分の故郷を見すえるように。
「わたしは生まれた村に戻って、そこで魔法医になるよ。そのために、学院に来たんだし」
きっぱりと言うココハに、親友の二人はまぶしげに目を細めた。
「
「……ココハはえらい、と思う」
ココハは照れ臭げに頬をかいて「えへへ」と笑った。
「ま、二人みたいにあんまり成績よくなかったし、わたしなんかじゃサラマンドラみたいな都会じゃ通用しないってのもあるんだけどさ……」
ノエミがやったみたいに、ココハは毛布を手繰り寄せながら、
「でも、魔法医どころかふつうのお医者さんだって、歩いて三日かかる町から呼んでこないといけない田舎だから。わたしなんかでも、たぶん役に立てるんじゃないかな」
「……たぶん、じゃない。……ぜったい」
「さっきの言葉そのままお返ししますけど、ココハが素晴らしい魔法医になる姿がはっきりとわたくしの目には映っていますわ。未来の美少女占い師のわたくしが言うのだから間違いありませんわ」
「……エメリナが、自分の店をもつ頃は……もう少女じゃない、と思う……」
「余計なお世話よ、ノエミ!」
「んー、じゃあ、なんだろ。美熟女の館?」
「やめて、ココハ。まるでわたくしの店がいかがわしい店のようですわ」
なにやらツボにはまったみたいで、三人は笑い転げた。
けれど、笑い声が止むと、そのあとにはまたしんみりとした空気が戻ってくる。
「……故郷に戻ったら、手紙を書きなさいよ」
「うーん、ちゃんと届くかわかんないよ」
「だったらたくさん出しなさい。何十通でも、何百通でも」
「それ全部届いたらたいへんなことになるね」
「……そしたら、一枚一枚に……暗号をのせるといい。全部、そろえて読み解くと……財宝の地図になる……」
「手紙の趣旨変わってるよね!?」
またくすくすと笑う三人。
「なんだか、明日もこうしてくだらない話を三人でしている気がするなぁ」
「そうですわね。……もうこれが最期なんて、信じられませんわ」
「ん。なんだか夢の中にいるみたいな……きぶん」
「ノエミ、ココハ、忘れないで。どんなに離れていても、わたくしたちの心はずっと、永遠に三人いっしょですわ」
「あ、エメリナ、なんかいまの言い方、占い師っぽい」
「……わたしも、思った」
「あら、そうでしたかしら?」
三人は小さく笑いあう。
「うん、わたしも絶対二人のこと、忘れないよ」
「……わたしも」
毛布にくるまり、三人はひしと抱き合った。
白い月がそんな三人を優しく照らしていた。
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