⑤恩師たち
「おー、やってるなぁ、お前たち」
「うふふ、わたしたちもお邪魔していいかしらぁ」
魔導教諭の大人たちもパーティーに加わりはじめた。
教諭全員ではなく、学院長の姿もなかったが、卒業生が専攻している学科の専任魔導教諭はほとんど顔をそろえいていた。
生徒たちはそれぞれ自分の専攻している学科教諭の元に集まり、今日までの礼を伝え、歓談する。
魔導教諭たちも今日という日は格式ばることなく、元生徒たちとの会話を楽しんでいた。
エメリナとノエミも、それぞれ自身の専門分野の教師に挨拶にいった。
ココハもそれにならおうと席を立った時、だれかから呼び止められた。
「おや、ココハさん」
落ち着いた、おだやかな声だ。
ココハがふりかえると、そこにいたのは初老の、やや小太りの男性だった。
もちろん、ココハは相手を知っていた。
「グッドマン先生! お久しぶりです」
笑顔になり、深く頭を下げた。
アーロン・グッドマン。一、二年次の時、一般魔学を教わった魔導教諭だ。
個人的に、ココハが敬愛する教師の一人だった。
おだやかで決して声を荒げることがなく、生徒を叱ることはあっても誰かと言い争っているところを見たことのない、温和な性格の持ち主だ。
博識なことでも知られ、その知識の豊富さから”歩く魔導辞書”とも学院の中では呼ばれていた。
もっとも、そのあだ名には多分にあざけりの念もあり、知識ばかりが幅広く、特定の分野にこれといった功績を残さない、教養バカと彼をかろんじる魔導士も実は少なくなかった。
だが、彼はそんな評判を気にするそぶりをまったく見せなかった
ココハもそんな周りの評など気にすることなく、この教師のことを慕っていた。
「今日はあなた方が主役です。顔を上げてください」
「はい!」
ココハは顔を上げると少し誇らしげに胸を張った。
グッドマン教諭に”主役”と言われると、自分が卒業生なのだという実感が湧いてくる。
「ココハさん、卒業おめでとう。あなたがこの日を迎えられたのを、我がことのように嬉しく思います。今日までよくがんばりましたね」
「は、はい……」
うっ、と胸が詰まり返事をする声がかすれた。
また涙腺がゆるんでくる。
「グッドマン先生のおかげです」
そういったのは決して社交辞令ではなかった。
入学当時ぼろぼろの成績だったココハに根気よく向き合い、毎日遅くまで居残り勉強に付き合ってくれたのは、他ならぬこのグッドマンであった。
あの日々がなければ、とても卒業などできなかっただろう。
「それは違いますよ」
グッドマンは、この人にしてはやや強い口調できっぱりと否定した。
「あなたの努力の
「グッドマン先生……」
泣くのを我慢しようとするのを、ココハはあきらめた。
わっと声を上げ、グッドマンの胸に抱きついた。
グッドマンはそんなココハが落ち着くのを待ってから、椅子に座らせた。
そして、料理を取ってくると自分はその向かい側に座った。
「はい、こちらはココハさんにと思って」
「え、そんな先生にそんな悪いです……」
フルーツの盛り合わせを差し出され、教師を働かせてしまったことに恐縮するココハ。
「言ったでしょう。今日はあなた方が主役なのですから。欲しいものがあったらどんどん言ってください」
グッドマンは不器用なウィンクを返した。
冗談めかした物言いに慣れてないのが丸わかりで、ココハは思わず吹き出してしまった。
それから二人はテーブルをはさんで、ココハのこれからのことについてあれこれと話し合った。
「おう、ココハぁ、お前、あたしにはあいさつなしで、このカタブツ相手にずいぶん楽しそうじゃねえかぁ」
調子っぱずれな声で、ココハたちに絡む声が聞こえてきた。
「サハラ先生……、もう酔っぱらってるんですか?」
ココハは、グッドマン教諭の肩にどかっともたれかかるその人物にジト目を向けた。
サハラ=スカーレット。歳は三十代半ばごろの女性だ。
こげ茶の巻き毛に金のメッシュをいれた派手な印象で、赤いパーティードレスも、彼女が着くずして身にまとうとまるで踊り子の衣装のようだった。
スタイルもよく美人なのだが、凶悪なまでに尖った目つきが台無しにしていた。
不良がそのまま大人になったような姿だけど、これでも立派な魔導教諭の一人で、そのうえココハが専攻する魔法医学の専任教諭であった。
その手には、麦酒のなみなみ入ったジョッキが握られていた。
酩酊は魔導のさまたげになると、酒を好まない魔導士が多いなか、サハラは珍しく大の酒好きで知られていた。
うそかほんとか、二日酔いに効く薬を開発するために魔法医学の専門になったと噂されているくらいだ。
きっと手にしたその麦酒も、四、五杯めくらいはいっているに違いなかった。
「あぁ? こんないい酒、タダで飲めんのはお前らの卒業式の時くらいなんだ。飲まなきゃ損だろうが」
グッドマンの肩に回した腕に力をこめて、ココハをやぶ睨みで見やる。
これにはグッドマンも苦笑いの様子だった。
「これはこれはスカーレット先生。あなたの教え子を私一人でつかまえてしまって、すみませんでした」
「ああ、邪魔するぜ」
サハラはココハたちのテーブルの空いた椅子にどかっと腰掛けた。まるで安酒場のつまみのように、テーブルに並んだ料理を口に入れ、ジョッキをあおった。
ちょうどココハとグッドマンが対面に座り、その横にサハラが腰掛けるかっこうだった。
「ぷはぁ。しかし、あの落ちこぼれのココハが無事卒業かあ。わたしも教師として鼻が高いぜ」
しみじみと言いながらも、今度はワインのグラスを棚からとってきてかぷかぷ空けはじめた。
少しむっとしてココハは返した。
「サハラ先生だけのお陰じゃないですよ。グッドマン先生や他の先生方、それに勉強を教えてくれた友だちたちみんなのおかげです」
サハラはこんななりだが、魔導教諭としての腕はたしかで、薬草学の知識はもちろん、魔法医学士としての心構えも教えてくれていた。
ココハにとって、もちろん尊敬にあたいする面も大いにある教師なのだが、ふだんの言動がこんな荒っぽさなので、つい素直に感謝の言葉を口にできずにいた。
「ああ、そりゃもちろんだ」
サハラは
「魔導士にとって、それが自分ひとりの力だと思い込むほど危険なことはねえ。
あたしらが魔導教諭なんてやって給料もらってられるのも、国の方針のおかげ。もっといや、国民一人一人が払ってる税金のおかげだ。教えてる魔導学だって、先人たちが血のにじむような試行錯誤を繰り返して研究したもんの上に成り立ってる」
サハラの言葉に、グッドマンも深くうなずき同意を示した。
ココハも神妙な顔つきで師の言葉をきく。
「さらにつきつめて言えば、魔導そのものが自然界に存在するアルケってもんをちょいとお借りしてるに過ぎねえって、あたしは思ってる。そうやって無数の目に見えるもの、見えないものの上に支えられてあたしら魔導士ってものはあるんだ。いいな、ココハ」
「はい」
「故郷に戻って魔法医になっても、まちがっても人の命を自分が左右できるなんて思いあがるんじゃねえぞ。魔法医ってのは、学んできた経験をつかって、病人が健康になる手助けをほんの少しさせてもらってるに過ぎねえ。魔導士がまだ”村の魔女”だった時代からずっとそうだ」
そこまで話してから、サハラは照れ隠しに、がしがしとココハの頭を乱暴になでた。
「わっ、ちょっと……先生!」
「やー、卒パだってのに説教臭くなっちまったな。んなこと念押ししなくたって、お前なら大丈夫だろうに、いや、悪かったな」
「……いえ、ありがとうございました、サハラ先生。でも、もう放してください。っていうか、お酒臭い!」
「つれねえこと言うなよ、あたしとお前の仲だろぅ、ココハ」
サハラはココハの抗議を無視して、いっそう羽交い締めにするように抱きつき、教え子の髪をわしわしやり続けた。引きはがそうとするものの、力ではサハラの方が上だった。
「とはいえ、無事卒業できたのは、お前が頑張ったからだ。胸を張れ、ココハ」
「その通りです、ココハさん」
そんな師弟の様子を傍観しつつ、静かな声でグッドマンも同意した。
「ま、お前がここにこうしていられるのも、このカタブツががんばったおかげでもあるからな。グッドマンに先に礼を言うのも悪くはねえ」
「スカーレット先生、その話は―――」
「あ? いいじゃねえかよ。どうせもう卒業式だふだん自己主張も全然しねえ、あんたがあんなにがんばったんだからよ」
「なんの話ですか?」
サハラとグッドマンのやりとりにココハはきょとんと首をかしげた。
なにか自分のことで隠し事があるみたいな様子だった。
サハラは「どうする?」と問いたげな目線をグッドマンに送った。
「いいでしょう。……わたしからお話しましょう」
グッドマンはやや気の進まない様子で、口を開いた。
改めて、ココハの顔をじっと見据え、言う。
「今日はパーティーなので、わたしは少々酔っています」
「……?」
「いまから申し上げることはどうかこの場限りの秘密にしておいてください」
なにやら不思議なことを言いはじめるグッドマン。
彼は一滴たりともお酒を口にしてはいないはずだ。
横でサハラがケタケタと腹をかかえて笑った。
「ココハさん、実はあなたの一学年終了次の成績は、合格基準に少し足りませんでした」
「えっ……ええー!?」
衝撃の告白にココハは固まった。
「退学の勧告をするのは私の役目でした。ですが、私はその役目を放棄しました」
「え、え……?」
「あなたの故郷マヨルカ村はここサラマンドラからとても遠い。ほとんどこの国の端から端といってもいいくらいです」
さすが博識のグッドマン教授だった。
ココハが出身地を名乗っても、それがどこにあるのか分かる人間はサラマンドラにはいままで一人もいなかった。
「そんなはるか遠方から魔導を学びに女性の身で単身やってきたのですから、その決意は並大抵のものではないでしょう。その覚悟と意志があるなら、多少現時点で成績に不足があったとしても、必ず最後には学院が誇るべき魔導士として卒業してくれるに違いない。私はそう思い周囲を説得しました。そして、私の目に狂いはなかった」
「そう、だったんですか……」
決して周りと口論したりしないこの人が周囲を説き伏せてまで、自分を学院に残そうとしてくれた。
「つうことだ、ココハ。お前はあたしの―――いや、わりい、あたしら魔導学院の誇りだ。田舎に帰ってもそれを忘れるんじゃねえぞ」
「その通りです、ココハさん。故郷に戻ったなら、ここで学んだことを思い出し、どうか立派な魔法医になってください」
「サハラ先生、グッドマン先生……。はい!」
涙に声をにじませながらも、ココハはしっかりと返事をした。生徒としての、最期の返事を。
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