第二話 隊商

①イハナ隊

「うんしょ、うんしょ……と。ふぅ~」


 ふうふう息を吐きながら、ココハは坂道を歩いた。

 サラマンドラ西の門からつづく丘の道は、だんだんとその傾斜がきつくなった。

 舗装された道とはいえ、登りきるのはそれなりにひと苦労だ。

 長旅を想定した装いだけに、丘を登りきる頃にはココハは汗だくだった。


「ふぅ、あついあつい」


 ローブの襟をつかんでぱたぱたやるココハ。

 頬をくすぐる春風が心地よく火照りをさました。

 坂の上は景色が開け、背の低い草の生えた台地になっていた。その先にはなだらかな道が続いている。


 不意に、ぴぃーっと、笛のような甲高い音が、空の上から風を渡って聞こえてきた。

 ココハはつられて上を見上げて、


「おぉ~」


 感嘆の声をあげた。

 高い空の上で、大きなワシが翼を広げていた。

 太陽の光を背に、黒いシルエットが悠然と滑空している。

 それはココハが見上げているうちにも、風を切って南西の空へと消えていった。


「いいなぁ、羽根があればあっという間なのに……」


 なんてぼやく。けど、自分が目指すのと同じ方角へ飛ぶ大きな鳥に、なんとなく勇気づけられた気がした。


「っと、いけない。ぼーっとしてる場合じゃなかった」


 ココハは開けた周囲を見回した。

 少し離れたところに小川が流れるのが見えた。そのほとりに、人影が一団になってたむろっていた。

 遠くて顔形までは分からないけど、ココハはそれが自分が探している人たちだろうと見当をつけた。


「あっちだ」


 ココハは小走りにそちらに駆け寄った。

 相手もこちらに気づいたみたいだ。そのうちの一人が手を大きく振ってぴょんぴょんと跳ねた。


「あ、ココちゃんきた! おーい、こっちこっち!!」


 離れていてもよく通る、はつらつとした女性の声だった。

 跳ねるとふわりとウェーブのかかった髪がぴょんぴょん揺れ、ついでに大きな双丘がゆさゆさ弾んでいた。

 ココハも手を振り返しながら走った。声の届く距離まで近づいて、


「イハナさん、みなさん。お待たせしてすみま―――おぶっ」


 あいさつしようとしたところを、猛ダッシュで駆け寄ってきた相手に抱きつかれた。


「やー、待ってたよぉ、ココちゃん。うんうん、旅人ルックもかわいいねえ」

「ちょ、イハナさん、く、苦しいです」

「や~、ココちゃん、ココちゃん。むぎゅー」

「おぶ、うぶぶぶ……」


 イハナと呼ばれた相手はココハを放さず、ますます全力で抱きしめた。

 豊かな胸に挟まれて、軽く窒息しかけるココハ。


「隊長、そのあたりにされては。ココハさん、困っておりますよ」

「ぶぅ、乙女のスキンシップに横やりを入れるもんじゃないわよ~、エステバン」


 イハナは頬を膨らませながらも、ココハから離れた。


「ぜえぜえぜえ……」


 ココハは苦しさと恥ずかしさで頬を赤く染めながら、息を整えた。

 肩でぜいぜい息をしながらも顔を上げて、改めてそこに集っている一同の顔を見回す。

 クリーム色のターバンとマントを身に着けた一団。誰もが、どこか旅慣れた精悍な顔つきをしていた。


「エステバンさん、みなさん。これからお世話になります」


 そして深々と頭を下げる。


「ええ、こちらこそよろしくお願いします、ココハさん」


 一同を代表する形で、エステバンと呼ばれた男がやんわりと返答した。

 その間に割って入るように、ココハに抱きついた女性―――隊長のイハナがココハの手を取り、


「やーやー、かたい挨拶はいーから。いこっ、ココちゃん」


 元気よく言った。


 “イハナ隊”―――といえば、サラマンドラではそこそこ有名な隊商(キャラバン)だ。

 人数は十人ぴったりと決して大隊とは言えないけれど、彼らはその機動力で名を馳せていた。


 サラマンドラを拠点に、少人数ならではの行動力を活かして、大商人が訪れないような僻地(へきち)にも交易ルートを築き上げ、一年の半分ほどを旅に費やしていた。

 険しい山岳地帯にある村の工芸品を持ち帰ったり、野盗が横行する森を抜けて、その地でしか手に入らない貴重な宝石の原石を商ったり……。稀少品の数々をサラマンドラに持ち帰るため、貴族や好事家たちの間ではなかなかの評判だった。

 また代わりに、そういった滅多に人の訪れない地域に食糧や生活必需品をもたらすため、地方においてもイハナ隊の来訪は歓迎されていた。

 大規模な土砂災害で孤立した村に、国の兵士達よりも先に駆けつけて救援物資を届け、国から表彰されたこともあった。


 ”イハナ隊に行けぬ地なし”と謳われるほど、彼らはどこへでも商いに赴いた。

 行商というより、冒険家のような性格を持った隊商だ。

 

 そして、ココハに抱きついた女性がその隊商の隊長、イハナだ。

 ゆるくウェーブがかかったふんわりと広がる栗色のショートヘア。色白の肌に、ネコの目のように大きな瞳。歳はココハよりかは上だろうが、ぱっと見では二十代の半ばにも届いていなそうだ。(歳のことを聞くとなぜか猛烈に怒るので詳細は不明だ。)


 身に着けた隊商独特のターバンやマントはさすがに様になっていたけど、口調といい、容姿といい、”ふわふわっ”としていて、町娘―――、それもケーキ屋さんとか花屋さんをやっているのがぴったりあうようなお姉さんだった。

 そうと知らなければ、とても歴戦の隊商、それもその長だとは誰も思わないだろう。


 一方、イハナ隊副隊長のエステバンは彼女とは好対照に、いかにも凄腕と思わせる物腰の男だった。

 やせぎすの高身長で、年の頃は三十代の半ば頃。

 隙のないぴしりとした佇まいや鋭い眼光をもったまなざしはまるでベテランの傭兵みたいだけれど、微笑を浮かべると洗練された執事のようにも見える。

 声は低くて渋みがあり、いかにもその容姿に似つかわしい。


 ココハは内心ひっそりと、隊長、副隊長逆なんじゃないか、なんて思っていたりした。


 そんな隊商たちとココハがなぜ顔見知りなのかというと―――、


「……でも、本当にわたしなんかがご一緒していいんですか」

「あたりまえだろ。なんたってココハちゃんはうちのボウズの命の恩人なんだからな」


 隊商の一人がココハにそう答えた。

 彼の名前はテオ。

 年はエステバンと同い年くらいだけど、無精ひげを生やして恰幅がよく、なんとなく人懐っこい印象の男だった。

 彼こそが、ココハが最初に知り合ったイハナ隊の隊員だった。


「いえ、もうずいぶん前のことですし、それにほんと偶然で……」


 ココハはあわてて、わさわさと両手を振って答えた。

 それは、ちょうど二年前のこの季節―――ココハが魔道学士三年生になったばかりの時のことだ……。


 テオにはサラマンドラに妻子があった。 

 ココハはサラマンドラの近くの森で迷子になっていた、6歳になるテオの息子を偶然見つけ、街に連れて帰ったことがあった。

 テオの妻は我が子の無事を手をあげて喜び、夫のテオやイハナにココハのことを息子の命の恩人として紹介した。


 それ以来、イハナ隊の面々―――特に隊長のイハナがココハのことを気に入り、在学中は何かと気にかけてくれるようになった。

 本業の貿易のついでにと遥か遠方の薬草や衣服、食べ物をほぼ仕入れ値のまま格安で売ってくれたり、交易に出てないときは冒険者の代わりに、採取の護衛に付き合ってくれたりした。

 このイハナの援助がなければ、いまごろ餓え死にしていてもおかしくないくらい赤貧だった時代もあった。


 そして今度は、イハナが故郷に帰ることを聞きつけ、隊商に同道することを申し出てくれたのだ。


「これくらいじゃボウズを助けてくれた礼にもなんないよ」

「そうそう。隊員の家族はあたしの家族も同然だもん。ほんとはココちゃんの村まで送り届けてあげたいんだけどねー」

「いえ、十分過ぎますよ」


 今回、イハナ隊が次の交易地としている町まで、およそ一か月くらいの旅路を同行する話になっていた。

 もちろんココハの帰り道と同じ方角だ。

 ココハがテオの息子を見つけたのは、森に薬草の採取に来ていたというまったくの偶然で、いつまでもそれを恩に着せる気はココハには毛頭ないのだが……。

 最初は何度も遠慮して断ったけど、イハナは頑として取り合わず、最後にはココハの方が折れて好意に甘えることにした。


 本音を言えば、心強いことこの上なかった。 

 それに旅の間、歴戦の隊商から学べることはたくさんあるはずだ。

 故郷に戻って魔法医になったら、学生気分のままではいられないだろう。

 のどかな田舎ではあるものの、街に薬の材料などを買い付けに行く機会もあるだろうし、診療所のやりくりもしなくちゃいけない。


 それに、田舎の魔法医といえば、ちょっとした名士だ。

 自分から偉そうにするつもりはまったくないけど、何か相談事があれば、サラマンドラという大都会で過ごした経験を活かして、故郷の力になりたかった。


 隊商と一緒なら、ココハ一人で旅をしていては気づけないことをたくさん学べるチャンスでもあるはずだ。

 ―――せっかく隊長のイハナさんに気に入ってもらえてるんだもん。できるだけ傍にいて処世術を勉強させてもらおう!。


 ココハは心中密かにそう決意していた。

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