SOSファミレス

みおさん

SOSファミレス

 手のひらを見せて、親指を折ってから、その親指を覆い隠すように他の指を折る。

 SOSを表すハンドサインだ。

 由奈は実際にサインを送られるのは初めてで、思わずじっと凝視してしまった。


 送り主は若い女性だった。

 ファストファッションの店で買っただろう、よく見るワンピースを着ていて、恋人らしき男に肩を抱かれていた。

 由奈が働くファミリーレストランに来た二人は、四人用のテーブル席のソファに並んで座った。

二人客がこの席に着く場合、多くは向かい合わせに座るので、妙にベタベタしたカップルだなと思ったところだった。


 DVだ。由奈は直感した。

 インターネットで見た知識だが、DV男は支配している相手が他者と接触しないように振る舞うという。

 男が通路側に座り、女性を壁際に置くのも、女性が立ち歩いたり店員と会話するのを避けるためだと書いてあった。奴らは判で押したように同じような行動を取ると。無意識にそうするのだと。

 そして、女性のハンドサイン。

 男性から見えない壁際の左手でサインを送っている。

これはもう確実だ。女性は暴力的な男と交際してしまい逃げ出せずにいるか、誘拐などの被害者である。






「警察を呼びます」

 厨房に戻って低い声で宣言した由奈に、同僚と、そして店長がギョッとした顔を向けた。


「な、なんで?」

 店長はまだ若い。大学生の由奈から見ても若く、おそらく二十代後半ほど。

しかしいつも疲れた顔でオドオドしていて、若者らしい溌溂とした印象はない。きちんと身なりを整えれば男前になりそうなのに、その卑屈な態度からアルバイト従業員の間では遠巻きに見られている。


「DVか誘拐の被害者がいます。E12の卓です」

「な、なんでそんなこと分かるの?」

「ハンドサインです」

 由奈は実際に自分の手を使ってSOSのハンドサインを説明する。

「よ、よくそんなこと知ってるね」

「TikTokで見たんです。あと、テレビでも見ました」

「へ、へえ」

 店長は明らかに迷惑そうな顔をした。

「ま、まずは僕が状況を確認してくるよ。E12卓さんだよね。とりあえず、注文を取りながら様子を見てくるから」

「……お願いします」


 チェーン店の雇われ店長が、店での騒ぎを嫌っているのはすぐに分かった。

 なので由奈は、店長が様子見と称して問題のテーブルで注文を取っている間に110番通報を済ませることにした。


『事件ですか? 事故ですか?』

「事件です。女の人がSOSのハンドサインを送っています。男が横にピッタリついてて、こっそりサインを送ってきたんです」

 由奈がファミリーレストランの場所を伝えると、最寄りの交番から警察官が向かうこと、女性警察官を同行させることを述べて、通話は終わった。


「え、ええ! もう通報しちゃったの?」

 厨房に戻ってきた店長は予想通り酷く狼狽した。

由奈は冷たい視線を送る。

「一刻を争うと思ったので」

「いや、でも、おかしな様子はなかったよ。仲の良さそうなカップルじゃないか。君の勘違いじゃないの?」

「この、ハンドサインを見間違えると思いますか? それとも、あの女の人は特に意味はないけど、私に向けて三回もこの動きをしたと?」

「い、いやあ」

 店長は顔を白くして首筋をかいた。

 由奈は引かなかった。

もう警察は呼んだし、万が一勘違いだったとしても、何もないならそれで良い。自分が恥を掻くのも、迷惑をかけた警察と店に頭を下げるのも一向に構わない。

 早口にそう言い募ると、店長は顔を上げた。

「分かった。じゃあ君はあの二人を見ててくれ。僕が表で警察を誘導するから」

「はい!」






 店長は裏口から店を出た。

 彼が店長を務めるファミリーレストランは郊外型の独立店舗で、建屋の前には十台ほどの車を止められる駐車場があり、歩道と片側二車線の道路に面している。

 土曜の午後三時過ぎ、車道には多くの車が行き交っているが、歩道を歩く人はほとんどいない。


 ほどなくして、覆面パトカーが現れた。誘拐事件の可能性を視野に入れているようでサイレンは鳴らしていない。

 黒い車体から降りてきたのは三十代と思しき男女一組であった。


「お店の方ですね?」

「ここの店長です。長瀬といいます」

「通報された方は?」

「それが、その、店員の勝手な行動なんですよ。すみませんが、お帰りいただけませんか」

 店長・長瀬の言葉に警察官二人は一瞬動きを止めた。絶句、といった表情だ。


「通報された方は?」

 男性警察官が聞き直した。

「中にいますよ。うちのアルバイトです。でも、私の許可なく通報してしまって」

「通報に店長さんの許可は必要ありませんよ」

「困るんですよ、店に警察が来たとか、騒ぎになったら。もし本当にあの男が誘拐犯であなた方に取り押さえられたりしたら、今日はもう営業できなくなりますよね? 困るんですよ、そんなことになったら。本社からなんと言われるか」


 長瀬が必死に言い募ると、女性警察官の方が眦を釣り上げた。

表情は憤怒の形相だが、発せられた声は落ち着いたものだった。


「ご心配には及びません。人道的な対応だったと、我々からも説明しますから」

長瀬はなおも食い下がった。

「そんなことしてもらっても何も有難くはないんですよ。売り上げが増えるわけじゃなし。営業を止めた責任を取らされるのは、店長である私なんですよ? ただでさえ雀の涙の給料が減って、営業目標は引き上げられるに決まってます。お巡りさん、毎日うちに来てご飯食べてくれますか?」


 本当に厳しいのだ、店の経営は。

 いや、経営は順調だ。長瀬が真面目にマニュアルを遵守し、本部の要求に懸命に答えている。同程度の郊外型店舗の中では上位二割に入る売り上げ規模で、このまま数字を維持できれば今年もペナルティを課されずに済むだろう。

 しかし、どんな理由であれひとたび売り上げが落ちれば容赦されない。


「昨日からの新メニュー、平日は20食、休日は50食達成しなきゃならないんですよ。もし売れ残ったらどうなるか分かりますか? 三食分までなら、私の買い取りなんです。これから毎日三食『鶏胸肉のソテーアボカドワサビソース』を食べ続ける気持ちがあなたに分かりますか? 僕は鶏肉は絶対ムネよりモモがいいし、アボカドもワサビも嫌いなのに!」


 そう。そうして売り上げ目標を守っているのだ。

自腹で消えていく分の給与をなんとか維持しなければ長瀬の生活は立ち行かない。

 DVだか誘拐だか分からないが、不確定なものに自分の人生をくれてやるわけにはいかない。

もし刃物を振り回すなら店の敷地を出てからにしてほしいし、警察が取り押さえるのも、できれば目の前ではなくもう少し離れたところでやってほしい。

 それならお客の出入りの妨げにならず、長瀬の店は変わらず営業を続けられる。


 そうだ、そうしてもらおう。


「では、こうしましょう」

 長瀬が提案を持ちかけるより先に、女性警察官が再び口を開いた。

「SOSを発した女性を保護し、同行してる男性から事情を聞きます」

「ですから……!」

「その後、おたくの本社が労働基準法に違反している疑いがあると、私の知り合いの監督官に連絡しましょう」


 女性警察官の言葉に、長瀬は目を見開いた。

さらに隣の男性警察官も重ねる。


「このことが原因で本社から長瀬さんに、さらなるハラスメントや被害が及んだ場合、私の知り合いの弁護士も紹介しますよ。企業のコンプライアンス関連の専門です」

「もしよろしければ、民間の転職活動に詳しい業者も紹介できますよ。犯罪被害者や、服役後の元受刑者などにも職を斡旋してる意欲的な組織です」

「弁護士を立てて退職金や、未払い残業代もきっちり請求しましょう。違法に自腹で買い取りされていた分の損害賠償請求もできる可能性があります」


 長瀬は叫んだ。


「よろしくお願いします! 助けてください!」














  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

SOSファミレス みおさん @303miosan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ