第4話 聖女の孤高と、元素合成。
――とまあ、こんな感じの小事件が月に一度くらいはあったけど、そこにさえ目を瞑れば私達の生活は平穏そのもの。繰り返す日常からは何かが抜け落ちることはなく、逆に何かが足されることもなかった。
当然と言えば当然だ。ナギサさんがこっちに来てからというものの、新たな人間の来訪は何故かぱったりと途絶えていたから。
そのわけを知ることになったのは、出会って一年が経過した、ある朝のことだった。
コロニーの中の気候は一年を通じて過ごしやすい気温と湿度に保たれているから、日常生活の中で時間の流れを意識する場面は少ない。だけど私とナギサさんの関係性は、この一年の間に明確な変化を遂げていた。ここのところ私は、自分の家に帰らないことが増えていた。実際この日も、ナギサさんの家に泊めてもらったところだった。
「ここの鉄屑も、随分と量が減りましたね。これじゃ、丘というよりただの浜です」
鉄屑の丘へと向かう道中、数百メートル先に広がる鼠色の大地を見やりつつ、私はぼやいた。タワーに昇る人間がいない以上、新たな鉄屑が降ってくることはない。それでいて回収はされるから、鉄屑の総量は減っていく一方だった。
「さしずめ鉄の渚ってところかしらね。……あ。言っておくけど、洒落じゃないから」
「洒落ですか? って、ああ。ナギサさんの名前と一般名詞の渚がかかってるんですね」
「解説しないでいいから」
すぐ横を歩くナギサさんが、コツンと肘打ちしてくる。ごめんなさい、と軽く謝る。
名前の話をしたからだろう。唐突に、ナギサさんの両親のことが気になった。
考えてみれば、ナギサさんの口から両親の話を聞いたことは一度もない。というかこの一年で、ナギサさんが本土に戻ったことは一度もない。里帰りとかしなくて大丈夫なのかなと心配になり、それとなく探りを入れてみたところ。
「帰省なんてしたところで意味ないわよ。このコロニーにいるのって、今は私だけだから」
平然とした顔で、衝撃の事実を突きつけられた。私はやっとの思いで、「どういうことですか?」と訊き返す。ナギサさんは勉強を教えるときのような語り口で、「この宇宙船の構造がどうなってるかは知ってる?」と質問に質問で返してきた。
「は、はい。……まず円柱状の母船があって、四つの円環がそれを取り巻いている。それぞれの円環は一本の柱、つまり島中央部のタワーに貫かれて母船と繋がっている。円環が柱ごと回転することにより、重力が生み出されている――でしたよね」
「正解。じゃ、更に質問。これまでにイオが見かけた人間の年齢はどのくらいだった?」
「見た目からの推測になりますが、十代後半から二十代前半くらい、だったと思います」
「奇妙に思うことはなかった? なんで若い人間しかいないんだろう、って」
……言われてみれば。島で出会った人間なんてたかだか二十人くらいだから、年齢の偏りなんて気にしたことはなかったけど、口ぶりから察するに何か理由があるらしい。
「こっちでの生活が許されているのは、若い人間だけなのよ。大人になったら母船へと移住して働くことを義務付けられているから」
「あ、なるほど。タワーに登った人間が一人も戻ってこないのは、だからなんですね。……でも、それがどうしてナギサさん以外の人間がいないことに繋がるんですか? ナギサさんよりも後に生まれてきた子供とかが、移住してきて然るべきなんじゃ」
「それはないわ。このコロニーは、閉鎖されることが決まってるから」
「……閉鎖、ですか?」
「そう、閉鎖。百年前に、船が小惑星と衝突する事故があってね。そのときに核融合の燃料が流出したの。それ以来深刻なエネルギー不足に悩まされてて、いい加減、全部のコロニーを運営する余裕がなくなったから。このコロニーは事故のときに外壁の一部が剥離してるし、捨てるにはお誂え向きだったのよ。ああでも、心配はいらないわ。閉鎖と言っても、冗長性の確保のために最低限の環境は維持されるから。人工太陽が止まったりすることもない。私が母船に移った後も、安心して稼働年数が尽きるのを待っているといいわ」
「稼働年数……って、そっか。私が動いてる間に太陽が止まる可能性もあったのか」
今更のように驚くと、ナギサさんが怪訝そうな面持ちで小首を傾げてきた。
「今気が付いたの? なら逆に、さっきまで何が不安で憂い顔してたわけ?」
「ナギサさんがいる内に太陽が止まったらどうしようって、気が気じゃなくて」
面食らったように目を見張るナギサさん。でもすぐに破顔して、馬鹿ね、と笑った。
本当に馬鹿だって自分でも思う。燃料が尽きる前に、いなくなるに決まってるのに。
「でも、移住しようと思えば今からでも母船に移れるんですよね。どうして未だに、ナギサさん一人しかいないコロニーに残っているんですか?」
「そんなの、人間が嫌いだからに決まってるでしょ」
何を当たり前のことを、と言わんばかりの即答。その声の鋭さに、少しだけ臆された。
「人間なんて、やることなすこと欺瞞ばかりだもの。醜いエゴをそれらしい理屈で正当化してばかりで、気持ちが悪い。その点、イオはアンドロイドだから。人間よりよっぽど素直で従順で……私達なんかより、よっぽど誠実な生き方をしてると思う」
ナギサさんが足を止める。いつの間にか、鉄屑の丘改め、鉄の渚の手前まで辿り着いていた。ナギサさんは境界部で靴を脱ぎ、冷え切った鈍色の地面に躊躇なく素足を置いた。
「だから私は、少しでも長くこのコロニーに留まっていたい。鉄の冷たさだけが支配する、一人きりの世界にね」
その日、ナギサさんはいつもよりも長時間、祈りを捧げているように思えた。
隣にカルロがいないから、本当なのか気のせいなのかは、判断に迷うところだけれど。
さて、そんなこんなで驚愕の事実が明らかになったわけだけど、その程度で変化がもたらされるほど日常はやわじゃない。帰ってからやることは、普段と何一つ変わらなかった。
お決まりの席に腰掛けて、端末で資料を開く。高校課程の学習は既に修了していて、今は大学範囲に入っていた。今日の科目は物理で、内容は原子核の合成についてだ。ドキュメントに目を通していると、ナギサさんが早速「核融合が何かはわかる?」と訊いてきた。
「恒星の内部などで起こる、原子同士がくっついてまた別の原子になる反応、ですよね」
「その通り。核融合は原則として、エネルギーが安定な状態に遷移するよう進行していく。最安定の原子核は質量数五十六の鉄だから、恒星の元素合成の終着点は鉄なのよ」
「……なるほど。つまり鉄は、星の遺灰のようなものなのですね」
「へぇ、言い得て妙ね。アンドロイドのくせに、私よりよっぽど詩的な表現するな」
ナギサさんがくすりと笑う。珍しく褒められたこともあり、なんだか無性に気恥ずかしくなった。私はむず痒い気分から逃れたくて、あの、と質問を切り出した。
「一つ訊きたいんですが、ナギサさんは、どんなふうに死にたいと思ってるんですか?」
「ん? 喧嘩売ってるの?」
「ち、違います……! 以前、カルロと弔いの文化について話したことがあるんです。そのとき、人間は生き方だけでなく死に方も選べる存在だと言われたのを、思い出して」
「ああ、そういうことか。ストレートに死ねって言われたのかと思った」
どうやら誤解は解けたらしい。命拾いしたなと胸を撫で下ろしていると、ナギサさんは視線を脇に差し向けて、さり気なくため息を漏らした。
「希望なんて、特にないわよ。適当に火葬して、遺骨保管庫に回されて終わりでしょ」
「え。それでいいんですか? 他の人間たちと一緒に眠ることになりますけど……」
「構わないわよ、別に。確かに私は人間全般が嫌いだけど、こうしてこの世界に生きてるんだもの。それって、誰かの助けを受けているってことでしょ。なら、死んだ後のことで我儘言って、他人に迷惑かけるつもりはないわ。……私には、その資格もないしね」
どことなく意味深長な響きがあった。どういうことかと訊き返したかったのだけど、そんなことより資料を読めと急かされたので、それきり話題は途切れてしまった。
三時間ほど勉強を続けたところで、昼食休憩と相なった。ナギサさんの作ってくれたサンドイッチを二人で食べる。人間に食事を用意してもらうアンドロイドってなんだよと思わなくもないけれど、役立たずの汚名を被せられるのは勘弁したい。
「じゃ、食器は私が洗っておくから、お風呂と部屋の掃除をお願いしていい?」
「喜んで!」と私が威勢良く答えると、ナギサさんは呆れ顔で嘆息して、「地球時代の飲み屋の店員みたいな返答するの、やめてほしいんだけど」と苦言を呈してくる。「だって嬉しいんですもん」と答えつつ、意気揚々とお風呂場に足を踏み入れた。
三ヶ月前、ナギサさんに初めて家事をお願いされた。頼まれたのは洗濯物の取り込みで、その二週間後には洗濯物を干す作業が追加された。一ヶ月後には洗濯機を回すようにもなった。今では、居間と風呂場の掃除も任されるようになっている。
なんてことのない雑事ではある。だけど私は、ずっと誰かの役に立ちたいと願い続けてきたのだ。お願いね、とナギサさんに言い渡されるときの喜びと言ったら、それはもう筆舌に尽くしがたい物があった。
掃除洗濯と来れば次は料理と言いたいところだけれど、そちらについてはまだまだ譲ってくれる様子はなかった。「私、なんだか料理の才能がある気がするんですよね」とさり気なくジャブ打ちしてみても、「湖で養殖されたミドリムシしか食べてこなかったシェフの手料理なんか、恐ろしくて口にできないから」と突っぱねられるのがオチだった。
仕方ないといえば仕方ない。ナギサさんは料理上手だから、修行中の身でしかない私に同等の味を出すことは不可能だ。でも、ここまで来たら家事三銃士をコンプリートしたいという気持ちはある。私は日夜、勉強の合間を縫って料理の練習に明け暮れた。
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