第3話 聖女にメイドは必要ですか?

 翌日、約束どおりに鉄屑の丘に訪れた私を前に、ナギサさんは深々とため息を漏らした。

「その格好、どういうつもり?」

「奉仕に行くならメイド服以外ありえないとカルロに言われて」

「あいつに食わせる教師データの選択、完全にミスったわね」

 着替えてきなさい、とうんざりした顔つきで命じてくるナギサさん。私は慌てて家へと引き返し、いつも通りの白一色のシャツとパンツに服を変えた。

 なんとも不穏なスタートだけど、これはある意味、気合の裏返しとも言えるのだ。スペックの限りを尽くしてナギサさんにご奉仕しよう、と。そう思う気持ちが裏目に出てしまっただけで、やる気があること自体は悪いことじゃないはずだ。

 それが単なる希望的観測でしかないと気がつくまでに、大した時間はかからなかった。

 結論から言うと、私は盛大に出鼻を挫かれた。というのもナギサさんは、料理も掃除も洗濯も、およそ全ての雑務を自分でこなしてしまうのだ。処何一つとして私に申し付けてはくれなくて、代わりますと言ったところで「好きでやってるから」とに突っぱねられる。

 家事なんていくらでも機械に丸投げできるのに自分の手でやっている以上、その言葉に嘘はないはずだった。私としては、わかりましたと引き下がるより他はなかった。

 結局、何一つ命じられることがないまま、帰りの時刻の十五分前を迎えてしまう。

晩御飯の仕込みをしているナギサさんの傍に立ち、何か命令がないかと待機していると、ナギサさんが嫌そうに顔をしかめて私のことを睨みつけてきた。

「付き纏われてると落ち着かないんだけど。居間で大人しくしててくれない?」

「で、ですが、ナギサさんが働いているのに、私だけ呑気に休んでいるわけには」

「私の命令に逆らうの?」

 命令とまで言われては、アンドロイドの私には拒否権はない。大人しく居間へと引き返し、ナギサさんの席の斜向かいに位置する椅子を引いて腰掛けた。

 こんなはずじゃなかったのにな、と私がブルーになっていたところ、「やることないなら、子供は勉強でもしてなさい」とキッチンから声がかかった。

 稼働年数は七年足らずで、見た目年齢は十歳ちょっと。子供と言いたくなる気持ちもわからなくはないけど、アンドロイドと人間を一緒くたに扱うのはどうかと思う。

 ……あ、でも、ナギサさんは私の制作者なんだった。そういう意味では間違いじゃないのか。

「つまりナギサさんは、……私のママ?」

「それ、次言ったら解雇するから」

 いつの間にかこっちに来ていたナギサさんが、シート状の端末とペンを乱暴に机に置いた。口元には晴れやかな笑み。初めて目にするナギサさんの笑顔はあまりに可憐で、清らかで、後光さえ差して見えるくらいで、それはもう心臓が凍りつきそうなほどだった。

「ごごご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」

 私はもう、机に額をガンガンぶつける勢いで平謝りするしかなかった。でもナギサさんは私の卑屈な態度がえらく気に入らないらしく、あからさまに不機嫌になる。

「いい加減、黙って。そうやって馬鹿みたいに繰り返し謝られるの、私、大嫌いだから」

 声を荒げているわけではない。だけど、胸の深いところに突き刺さってくるような、重みのある声だった。私はもう返事だけして、項垂れることしか出来ない。

 考えるまでもなく、最悪の滑り出しだった。




 そうして迎えた業務二日目。幸いにも昨日の終盤の不機嫌は引きずっていないようだったけど、玄関を抜けるや否や首根っこ掴まれて、「あんたは勉強だけしてればいいから」と無理やり席に着かされた。完全なる厄介者扱いである。私がしゅんとしていると、何故かナギサさんが隣の席にかけてきた。椅子に座ること事態は何ら不自然なじゃないけど、昨日座っていたところじゃないし、敢えて真横に来る意味もわからない。

「あ、あの……どうして、私の隣に?」

「だって、隣に来なきゃ勉強教えてあげられないでしょ」

「へ? 教えるって、もしかしてナギサさんが私に、ですか?」

「逆に、あんたが私にご高説を垂れるつもりなの?」

「い、いえそんな、滅相もないです……! だけど、その。ナギサさんに勉強を教えてもらう理由も、よくわからないというか」

「だってあんた、こうでもしないと四六時中私に付き纏うでしょ」

「それは……。でも、つきっきりで勉強を教えていては、本末転倒じゃないですか」

「つきっきりってわけじゃないわよ。ちょくちょく家事で離脱するから。いいから、どの範囲まで終わってるのか教えて。義務教育課程くらいはカルロから教わってるのよね?」

「は、はい、そうですね。終わってます。……二千年代初頭の、なら」

「え? それって要は、中学課程までってこと?」

 ナギサさんが愕然とする。私はただただ、すみませんと肩を窄めることしかできない。

 このときほど、自分がハイブリッド型のアンドロイドであることを恨めしく感じたことはなかった。通常のアンドロイドなら、勉強なんて学習用の教師データを読み込めば一瞬で終わってしまう。だけど私の思考回路は、有機体の脳とマイクロマシンとの複合型だ。外部から直接データを取り込めるのは稼働する前までで、稼働後に新しい知識を得ようとしたら、人間のように地道に勉強するより他はなかった。

 やっぱり、特別な身体であることに価値なんて感じられない。普通の機体に生まれた方が良かったって、切実に思う。まあ、通常型ならナギサさんに勉強を教えてもらうという事態が発生することもないから、憎らしく思うのは筋違いなのかもしれないけれど。

 ナギサさんが私を責めることはなかった。謝る必要はないから、とだけ口にして、高校範囲の教材のドキュメントを検索し始める。

 結局その日の業務時間は、勉強を教えてもらうだけで終わった。次の日も、そのまた次の日も同じだった。一週間が経っても一ヶ月が経ってもすることと言えば勉強だけで、仕事を申し付けられることは一度もなかった。

 正直言って、不本意だった。だってこれじゃ、役に立つどころか余計に手を煩わせているだけだ。私としては心苦しいどころの話じゃない。本当に迷惑ならいつでも辞めますとお伝えしたことも、何度もあった。だけどナギサさんはその度に、「ただの私の暇潰しだから」「アンドロイドの分際で命令しないで」などと突っぱねてくるだけだった。

 釈然としないものはあったけど、そう言われては粛々と勉学に励むしかなかった。

 ナギサさんが教えてくるのは決まって、数学や物理といった理科系の科目だった。暇潰しというのもあながち嘘ではないらしく、解説をするときのナギサさんは意外にも饒舌で、表情も活き活きしていることが多かった。私は理系科目にはあまり興味がなかったのだけど、熱っぽく説明をしてくれるナギサさんの姿を見るのは好きだった。私の勉強のモチベーションは九分九厘、ナギサさんに端を発していると言っても過言じゃなかった。

 とはいえ、純粋に興味を惹かれる分野が一つもなかったわけじゃない。人間の身体の仕組みを学ぶのなんかは好きだった。人体の骨髄や神経の構造を勉強していた日には、自分の骨と人間の骨がどのくらい異なるのか気になって、実物を観察してみたこともある。

 そのとき、ナギサさんは外で洗濯物を干しているところだった。声をかけて邪魔するのも悪いと思い、黙ってキッチンに足を踏み入れた。引き出しから包丁を取り出して、左腕の痛覚をカット。刃先を腕に突き立てて、力を込める。薄皮を裂き、左右に押し広げるようにして人工筋肉を切断していく。程なくして、こつん、と。何か硬いものに刃先が触れた。包丁を引き抜くと、鼠色をした金属製の骨格が鈍く光っているのが見えた。

 ひゅう、と。胸中に空いた風穴を空気が通り抜けていくような錯覚をした。

 ナギサさんと時間を共有するうちに、私は時折、こんな疑問に襲われるようになっていた。私と人間の間には、大した差異なんて存在しないんじゃないか、って。だけどこうして中身を切り開いてみると、わかる。私は、絶対に人間じゃない。

 包丁を持ったまま、切り裂かれた腕の内部をぼんやりと見つめていると、「何してるの!」という鋭い声を背中で受けた。振り向くと、駆け寄ってきたナギサさんがすぐそこに迫っていた。いつになく険しい顔つきで、包丁を取り上げてくる。それを仕舞うと戸棚から救急箱を取り出して、腕の傷を修復用接着剤で塞ぎ始めた。

 接着剤の上からぐるぐると包帯を巻くナギサさんに、私は当惑混じりに言った。

「あの、大丈夫ですよ? 痛覚はカットしてますし、放っておけばそのうち治りますから」

「だとしても、修復にかかる時間が違うでしょうが」

「ですが、ナギサさんの治療道具を使わせてもらうわけには――」

「そこに罪の意識を覚えるのなら、今後一切、自傷行為はしないことね。あんたは私の所有物なの。自分の身体を傷つけるのは、私に対する器物損壊に当たると心得なさい」

「は、はい、わかりました。……ごめんなさい」

「……で、なんでこんなことしたわけ?」

「人間とアンドロイドの骨格の違いを、確かめたくて」

 ナギサさんが巻き終えた包帯の端を切り、テープで留める。私の手のひらを両手で包み込むようにして握ると、「二度と、しないで」と有無を言わさぬ声色で言ってきた。

 はい、と一度だけ返事をした後、切っていた痛覚をオンにする。たちまち鋭利な痛みが走る。だけど私はこのとき初めて、ナギサさんの手のひらの感触を知ったのだった。

 温かい、と無意識のうちに感想が声に出た。ナギサさんは精緻な容貌を惜しげもなく歪めつつ、何が、と不機嫌そうな声のまま訊いてくる。

「ナギサさんの手のひらが、です。温かくて、なめらかで、すべすべしてます」

「呆れた。反省してると思いきや、そんなこと考えてたの? ……そっちは体温低いわね。子供のくせに」

「あ、あの。以前にも言いましたけど、私は子供では――」

「安心して家の中に一人きりに出来ないやつは、お子様以外の何者でもない」

 ぐうの音も出なかった。う、と私が口ごもっていると、ナギサさんが話題を変えてきた。

「でも良かった。人間みたいな体温してたら、触った瞬間にぎょっとしてただろうから」

「ぎょっと? どうしてですか?」

「私、人間の体温が嫌いなのよ。触れてる内に自分と相手の境界がなくなるみたいで、気持ち悪くて。人肌の温もりなんかより、金属の冷たさのほうがよっぽど心地いいって思う」

 その感性は、私にはないものだった。人肌に触れたのはこのときが最初だし、ナギサさんの手のひらが気持ち悪いだなんて微塵も思わなかったから。それに、ナギサさんの物言いにはどこか含みがあるような気がした。もう少し詳しく訊いてみようと思ったのだけど、私が質問を投げかけるより先に、ナギサさんが包帯の上からパチンと傷を叩いてきた。

「っあいた――⁉ な、何するんですかナギサさん! 痛覚オンにした後なのに……!」

「当たり前でしょ、腕に包丁突っ込んだんだから! 馬鹿を躾けるには、痛みを与えるのが一番いいの。それに懲りたら、無闇矢鱈と身体を切り刻んだりしないことね」

 乱暴な手付きで救急箱を片付けるナギサさんを、私は恨みがましい目で見やった。

 ナギサさんって、やっぱり意地悪な人間だ。

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