第2話 私に存在価値を下さい。

 気づいたときには私の身体は、島の内部の路上にあった。

 碁盤の目状に走る路面も密集する工業プラントの外壁も、至るところが光発電素材の薄膜で覆われているせいで、頭上以外はのっぺりとした黒色に覆われている。プラントの屋上には植物の生産設備が設置されている事が多いから、空から見れば鮮やかな薄緑が広がっているのかもしれない。だけど生憎、私に飛翔機能はついてない。私はコールタールの沼に飲み込まれるような感覚を味わいながら、とことこと地上を歩くより他はなかった。

 改めて、ここに至るまでの記憶を整理する。あの後カルロは、茫然自失とする私を他所に滔々とナギサさんのパーソナルデータを読み上げてきた。制作者って事実だけでキャパオーバーだった私には、追加情報まで処理しきれる余裕があるわけなくて、次第に頭がくらくらしてきた。一旦ここまでの情報を整理しようと思って、半ば無意識に家を出た。

 行き先に浜辺という選択肢はなかった。万が一あの人に――ナギサさんに鉢合わせでもしたら、どんな反応をすればいいかわからないから。私は覚束ない足取りで内部に続く道に分け入り、暗黒の世界をふらふらと彷徨しながら頭の整理を試みた。

 その目的は概ね達成されていて、最低限の理性は息を吹き返してくれていた。

 そのとき、後方からキャタピラの駆動音が聞こえてきた。振り返らずとも音だけでわかる。資材回収用のロボットだ。鉄屑の丘から廃材を集めてきたらしい。

 慌てて右手の建物に寄り、身体を強く押し付ける。道幅に余裕がないから、こうでもしない限り緊急停止させてしまうのだ。性能の悪い呼吸器官が圧迫されて、息がうまく出来なくなる。すれ違い終わって外壁から離れた瞬間、肩で大きく息を吸う。

 昔は、もう少し楽にすれ違えた気がするんだけどな。ああでも、最後に内部に来たのって、もう三年も前になるのか。メンテナンスの度に外装が若干大きくなっているから、すれ違うのがきつくなるのも当然と言えば当然だ。

 かつての私は、島内部の道路を掃除するのを習慣としていた。ロボットたちが少しでも楽に移動できるようにしよう、光発電の効率が少しでも上がるように頑張ろう、と考えてのことだった。だけどある日、気づいてしまった。自分のしていることが自己満足以外の何物でもないって現実に。だって、道の清掃なんて掃除用のドローンが私の何倍も丁寧かつ効率良く実行してくれるのだ。私がやったところで、それは単なるエネルギーの空費でしかない。本当に人間のことを考えるなら、やめるべきなのは明白だった。

 だからといって、他の機械みたいにこれといった仕事があるわけではない。単一のタスクに特化した身体や思考回路を、与えられてはいないから。できることと言えば精々、島を訪れた人間に媚を売って道案内をすることくらい。でも、それだって結局は、自己満足に過ぎないのが現実だった。私が一方的にお節介を焼いているだけなのだから。

「……大きくなるのは身体だけ、か。中身は全然成長してない」

 はぁ、と。無意識にため息がこぼれ出る。それが引き金になったのか、気分が憂鬱な方向に引きずられているからか。唐突に、カルロとのこんなやり取りが思い出された。

「――あのさ。カルロは、生まれた時から私のお世話係であることが決まってたんだよね?」

「勿論です。私は、そのために作られたアンドロイドですから」

「そうだよね。機械っていうのは、何らかの役割を持って生まれてくるのが普通なんだから。でも、人間はそうじゃないんでしょ?」

「ええ。人間は機械とは違いますから。前もって生き方が決められているのではなく、自らの意志でどのように生きるかを決定することが出来るのです。とても幸福なことに」

 幸福なことに。何気なく付け足されたその一言が、やけに意識の端っこに引っかかった。

「それって本当に幸福なことなの? 生まれる前から役割が決まってるってことは、誰かに望まれて生まれてくるってことでしょ。私には、その方が断然幸せに思えるんだけど」

 意外だと言わんばかりに、カルロが目を見開いた。

 無理もない反応だった。カルロの意見に私が異を唱えたのは、これが初めてだったから。

「……確かに、一理ありますね。機械はあくまで道具でしかない。しかし道具である以上、望まれずに生み出されることもない。捉えようによっては、自由を与えられた人間よりも不自由を押し付けられる機械の方が、幸福と言えるのかも知れませんね」

「カルロはどうなの? カルロは、自分のことを幸せだって思ってる?」

「幸せですよ。私は、イオ様のような高貴なお方にお使えできることを、この上なく僥倖なことだと感じています。たとえそれが、生まれる前から定められていたことだとしても」

「そっか。……ま、そりゃそうだよね。なんせ私は、特別なアンドロイドなんだから」

 腕を組んで偉ぶりながら、私は冗談めかして口にした。そうですね、とカルロは笑った。

 だけどこのとき、私の胸中にはこんな疑問がぐるぐると渦を巻いていた。

 望まれずに生まれてきた機械はいない。でも私は、人間から何の役割も与えられてない。じゃあ私は、どうしてこの世に生み出されたの? なんで人間は、私のことを作ったの?

 以来、この問いかけはいかなるときも、私の胸の奥底に横たわり続けていた。いや、本当はもっと昔から存在し続けていたのだと思う。単に言語化されてなかったというだけで。

 私の存在理由。存在意義。自我が芽生えてこの方、探し求めてやまなかった命題。

 その答えが、ほんのすこし手を伸ばせば触れられるところにまで、今は迫っている。

 ナギサさん、と。私を作った人の名前を、試しに声に出してみた。舌先に馴染ませるように、ナギサさん、ナギサさん、と予行練習のように繰り返す。

 ねえ、ナギサさん。ナギサさんは、どうして私を作ったの? どうして今になって私の前に現れるようなことをしたの? どうして私に正体を明かしてくれなかったの?

 きっと、何か理由があったんだよね。私と別れなくちゃいけない、のっぴきならない事情とか。或いは、何かの試験だったりするのかも。

 それらしい仮説は幾つも思いつくけれど、どれが事実なのかはわからない。

 でもナギサさんは、私を作った。それは即ち、私を必要としてくれているということで。

 ナギサさんが私にとって、正真正銘の聖女となるには、それだけのことで充分だった。




 次の日の朝、祈りを終えたナギサさんは立ち上がって踵を返した瞬間に、前に出した右足を唐突に静止させた。フリーズから立ち直るや否や、傲然とした足取りで麓まで降りてきて、「馬鹿にしてるの?」と問い詰めてくる。ピッと向けられた人差し指の示す先には、砂の上にデカデカと書かれた「話しかけてください」の文字列。

「は、浜辺に文字を書くなとは、言われなかったので……」

 苦しい言い訳だと思った。でもナギサさんは話しかけた時点で自分の負けだと思ったらしく、要件は何かと訊いてきた。ナギサさんの潔さに感謝しつつ、単刀直入に私は訊ねた。

「私を作ったのは、ナギサさんなんですか?」

 呆れと不満の入り混じるようだったナギサさんの表情が、瞬間的に凍りつく。でもすぐにいつもどおりの不機嫌そうな容貌に立ち返り、嘆息混じりの気重な声で答えた。

「……カルロから聞いたのか。ええ、そうよ。イオを作ったのは、他ならぬこの私」

「じゃあ、教えてください。私は一体、何のために生み出されたんですか? 私は、何をして生きれば良いんですか? ナギサさんは、私が何をすることを欲しているんですか?」

 恐怖とも期待ともつかない感情に襲われて、心臓が早鐘を打つ。そんな私とは対象的に、ナギサさんの様子は至って平静だった。指先に髪を巻き付けてはほどいて、また巻き付けて、という動作を何度か繰り返した後、桜色の唇を気怠げに縦に開いた。

「別に、何もしなくていいけど。だって私は、あんたのことを捨てたんだもの」

 ズドン、と。お腹の底を、見えないバットか何かでぶん殴られた錯覚をした。

 ……望まれずに生まれてくる機械はいない。でも、作った後で不要になって、捨て置かれる機械はいくらでもいる。私だって、空になったパウチを何千回とダストシュートに放り込んできた。なのにどうして、こんなにもシンプルな結論に辿り着けなかったんだろう。

「わかったら、もう私に関わらないで。あなたの世話はカルロに任せてある。私の生活に無許可で立ち入ってくるのは、やめて」

 とどめを刺すように冷然と口にして、ナギサさんが私を追い越していく。

 翻る黒衣の裾を、気づけば指で摘んでいた。ナギサさんが振り返る。鋭い眼光に射竦められて、一瞬だけ呼吸が止まる。鈍い輝きを帯びた漆黒の瞳が示すのは、徹底的な拒絶だった。が、それでも、ひとたび口をついた言葉が押し留められることはなかった。

「ナギサさんは、私のことを必要としていないんですね。それはわかりました。……でも、責任は最後まで取ってください。不要になったのなら廃棄するのが、人間社会のルールなんじゃないですか? このままじゃ私、誰の役にも立てないどころかエネルギーを無駄遣いするだけになってしまいます。そんなの……そんなの、あまりに惨めじゃないですか」

 両目からこぼれ出る熱を持った液体を拭いつつ、どこに涙を流すアンドロイドがあるって、心の中で吐き捨てる。こんなだから捨てられるんだ。いらないって言われちゃうんだ。私を捨てた張本人の目の前で、私は不良品です、役立たずです、不法投棄して正解ですって証明してるみたいで、今の私はあまりにも滑稽だった。

「お願いです、ナギサさん。今ここで、私を粉微塵に壊してください。私にだって鉄はあります。この場所で壊してくれたら、いつかは回収ロボットに運ばれて、生まれ変われるかもしれないから。今度はちゃんと、必要としてもらえるかもしれないから。だから――」

「手、離して」

 ナギサさんが強引に私の手を払った。くるりと身体を反転させると、これまでにないほど怒気に塗りたくられた形相で、私のことを睨めつけてきた。

 それで確信した。ああ。私、死ねるんだ、って。

 恐怖はある。でも、それを打ち消して余りある安堵があった。

 心残りがあるとすれば、カルロのことかな。ごめんね、カルロ。私が消えたら、カルロもいる意味なくなっちゃうね。粗大ごみになっちゃうね。

 でも、いいか。本当のことを言うと、私、カルロのこと少しだけ嫌いだったし。

 カルロは何かと、私の身体を褒めそやすことが多かった。生体内で象られた臓器を、機械の骨格や神経で繋ぎ合わせて作られた、無機物と有機物のハイブリッド。成長する身体を持った、他のどのアンドロイドよりも人間らしいアンドロイド。だからイオ様は特別なんです、アンドロイド界の特権階級なんです、と。こんなふうに、私のことを誇らしげに語ってくれたことが何度もあった。私はその度に満更でもなさそうな、ちょっとだけ偉そうな態度を取った。

 だけどね、カルロ。私はいつも、カルロのことが羨ましかったんだ。

何も出来ない非力な身体じゃなくて、カルロみたいな大人の男の人の肉体が欲しかった。

 普通の機械みたいに、何らかの仕事するための身体を持って生まれたかった。

 誰かの役に立ちたかった。誰かのために生きてみたかった。

 自由なんていらないから。意志なんていらないから。

 特別になんて、なりたくは、なかった――

「あなたの主張は、わかったわ」

 ナギサさんが静かに頷いた。ありがとうございます、と私は心から感謝した。全身から急速に力が抜けて、深い眠りに落ちていくみたいな安心感に包まれながら、目を閉じる。

「機械なら、機械らしくして。私の言うことに逆らわないで。それを誓ってくれるなら、あなたを、使ってあげなくもないわ」

「はい。ありがとうございま――、って、え?」

 閉じていたはずの目が、気づかぬうちに開いていた。しばらくの間、何を言われたのかわからなかった。投げかけられた言葉の意味を理解していくに連れ、わなわなと、全身が震えるような感慨に貫かれた。やっとの思いで「本当ですか」と訊き返す。ナギサさんは何食わぬ顔で、首を縦に振るだけだった。

「明日の朝、いつもみたいに丘に来て。こっちの用事が済み次第、私が住んでる管理小屋につれていくから。で、夕方になったら帰ってもらう。そういうわけだから、よろしく」

 一方的にそれだけ告げると、ナギサさんはスタスタとその場から去っていった。

 ……ナギサさんの中で、一体どんな心変わりがあったのか。それは、私にはわからない。

 だけど私は生まれて初めて、存在する意味を与えてもらった。それだけで充分だった。

 理由なんて、どうでもよかった。

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