聖女の骸は鉄にならない

赤崎弥生

第1話 黒い聖女と、鉄屑の丘。

 鉄屑の丘の頂で、見知らぬ聖女が祈りを捧げていた。

 真緑の湖水が寄せる白色の浜辺の一角にある、鈍色の光るなだらかな小山。その頂上で膝をつき、両手を組んで黙祷を捧げる一人の女性の姿があった。

 直上から降り注ぐ朧げな朝日に照らし出されたその人は……、美しい、神々しい、清らか、――聖女。そう、聖女だ。あの人の有り様を形容するのに一番しっくりくる言葉。動作とか雰囲気もそうだけど、修道服じみた黒い長袖のワンピースを着用してるものだから。

 でも、それはそれとして……あの人、なんで廃棄物の山の上で祈ったりしてるんだろう。お祈りする人の姿はライブラリで何度か目にしてるけど、大抵は神社とか教会とか宗教的に意味のある建物や土地で行われていた。聖地の方を向いていればいいってケースもあるらしいけど、だったら尚更、廃材の山の頂上まで登っていく理由にはならないと思う。

 その人が組んでいた手をほどき、おもむろに立ち上がった。丘の麓で棒立ちする私の姿を認めると、磨き抜かれた黒曜石みたいな色味を湛えた瞳を、ほんの少しだけ丸くした。

「髪色から判断するに、あなた、人間はなくてアンドロイドよね」

 澄んだ鈴の音のような、凛乎とした声。私は少しどきりとしながら、そうですけど、と答える。同時に、肩上で切り揃えた髪の毛の先端を軽くつまんだ。向こう側が薄っすらと透けるほどの白髪。紛れもないアンドロイドの証だった。反対にあの人の髪の毛は艶のある黒い長髪をしている。正真正銘、人間である証だった。

「こんなところで何してるわけ? 機械なら、意味もなく歩き回ったりすることはないはずだけど。鉄屑でも回収しに来たの?」

「い、いえ。そういうわけでは、ないんですけど……」

「それもそうか。小学生みたいななりで資材回収するなんて、非効率極まりないし。察するに、島に来た人間の案内役ってところ? 案内役の外見が幼い少女ってのも、気持ち悪い話だけれど」

「き、気持ち悪い、ですか。……それは、申し訳ありません」

「謝る必要はないわ。あなたの外見を批判したわけじゃないから。そこから透けて見える人間の趣味嗜好とか精神性とかが気に食わないだけで」

 なんだか抽象的な物言いをする人だ。私ははぁ、と曖昧な返事をこぼす。言ってる意味は良くわからないけど、悪口を言われたわけではない、のかな。多分。

「で、結局は案内役ってことでいいの? それとも貧弱そうな身なりはただのブラフで、本当は警護用とか?」

「あ、いえ。その……どちらでも、ありません。私は、何者でもありません、から」

 若干の間があった後、「今、なんて言った?」と訊き返された。予想通りの高圧的反応。

 私は即座に頭を下げた。もげんばかりの勢いで頭を上下に激しく振る。ぶんっぶん振る。

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! ニートでごめんなさい穀潰しでごめんなさい無駄飯食らいのポンコツでごめんなさい……!」

「は? なんで謝るわけ? 声が小さかったから訊き返しただけなんだけど」

「え? そ、そうでしたかすみません……! とんだ勘違いをしてしまって……!」

「謝るのはいいから、早く質問に答えてくれる?」

「ご、ごめんなさ――あ、いえ、何でもないです。……ええと。質問に端的に答えると、ですね。……ありません。私に与えられた役目は、何一つとして、ありません」

 しん、と死んだような静寂が流れる。無言で顔を俯けていると、ややあって、「そう」という相槌が返された。会話の流れを断ち切るような、少しだけ威圧感のある言い方だった。

 ぎし、と鈍い足音がする。窺うように顔を上げる。黒尽くめの格好をしたその人が、涼し気な表情でひょいひょいと鉄屑の丘を降りてくる。

 麓に並べていた靴と靴下を手に取ると、「名前はあるの?」と訊いてきた。「イオと言います」と正直に答えると、その人の手の動きがぴたりと止まった。

 今度は、相槌を打ってくることすらなかった。その人は何の反応も寄越さないまま靴を履く作業に戻り、履き終えると無言のまま鉄屑の丘を背に歩き始めた。その人の二歩後ろを追随する。幾度かの逡巡の末、勇気を出して私から声をかけてみた。

「あ、あの。さっきは、何をしていたんですか? 祈ってるみたいでしたけど」

「あなたには関係ない」

 取り付く島もない、といった反応だった。すみません、と言ったきり私は口を閉ざした。

 今までにも、島を訪れた人間の案内を買って出たことがある。回数としては大体、三十回ほどだ。この島にいる対話可能なアンドロイドは私とカルロだけだから、見かけたときは声をかけて案内するよう心がけているのだ。だけど目の前を行くこの人は、今まで見かけたどの訪問者とも雰囲気が異なっていた。他の人たちは皆、私に対してどこまでも淡白な受け答えをするのが常で、人間であるにも拘わらず機械的と表現したくなるような、言葉を選ばなければ生気のないとさえ言えるような顔つきや声をしていた。私みたいな穀潰しに人間的な応対をしてやる必要はないっていう、嫌悪感の表れなのだろうけど。

 だけど、この人はそうじゃない。冷然とした物言いには棘があるし、鋭い双眸からは確固たる拒絶の意志が感じられた。そもそも、人間側から話しかけられたのなんて、今日このときが初めてだった。

 かといって親しみやすいかと言われれば、そういうわけでは勿論ない。普通に怖いし、今までのセオリーが成り立たないぶん、やりにくい。でも、ここで怖気づいてちゃいけない。多少なりとも人の役に立てるかもしれない機会を、ふいにすることなんてできない。

「あ、あの。どちらへ行かれるおつもりですか? 例のタワーなら、島の真ん中にありますよ。良かったらご案内しましょうか?」

「いらない。そういうの、必要ないから」

 ……気まずい。意識が逃げ場を求めるみたいに、目線が自然と脇へと逸れた。

 島中央に聳え立つタワーが目に入る。所狭しと集まった漆黒のプラント群から、空を貫く巨木のように突き出た白い円柱。その輪郭をなぞるように、視線を上方へと滑らせていく。塔の先端を視界に納めるより前に、視界が白一色に塗り潰された。リズミカルに瞬きをして眼球にフィルターを被せ、強すぎる太陽光の向こう側を見やる。霧のような光のベールは払われたけど、小さくて先の方までは視認できない。焦点はそのままに凝視してズームしてみるけれど、先端を視界に納めることは叶わなかった。

 当然だ。あの塔の先端は、この世界の内側にはないのだから。

 カルロ曰くあのタワーは、コロニーを母船に繋ぎ止めると同時に軸へと続くエレベーターの役割をしているらしい。重要なパラメータを弄るためのコンソール類は、全部あっちにあるとのことだ。島を訪れる人間は決まってタワーに向かうから、目的は軸への移動なんだろうと思ってる。じゃなきゃこんな生産性ガン振りで居住性を度外視した孤島なんかに、人間が訪れるわけがない。そう思い続けてきたし、実際、例外が現れることもなかった。今日このときまでは、という条件付きではあるけれど。

「あの……タワーでないなら、どこへ向かうつもりなんですか? まさか観光、とか?」

「機械のくせして、意味もなく私に話しかけないでくれるかしら」

「ご、ごめんなさい。……手伝えることがあればと思ったんですけど、ご迷惑でしたよね」

 流石にしつこかったかな。駄々っ子じゃあるまいし。いい加減自分の浅ましさに嫌気が差し得て、もう話しかけるのはやめて家に帰ろうと決意した、その直後。

「手伝えることなら、三つだけあるわ」

「っ、本当ですか――⁉」

 思っても見なかった申し出に、つい大きな声が出た。俯けていた顔をガバっと上げる。その人は相変わらずの無愛想な表情で後方の私を見やり、ええ、と首を縦に振った。

 どん底から一点。私は天にも昇るような心地で命令を待ちわびた。

 その人は指を人差し指を立てた右手を突き出して、淡々と告げた。

「一つ、私に話しかけないで。二つ、私についてこないで。三つ、私に出会ったことは忘れなさい。――それじゃ」

 これみよがしに突き立てた三本の指を折りたたみ、何てことのない所作で顔を正面に向けるその人。深緑色の漣が打ち寄せる湖畔に等間隔な足跡を刻みつつ、私から遠ざかる。

 黒い影のような後ろ姿が見えなくなるまで、私は一人、鉛色の小山をバックにぽつねんと佇み続けることしかできなかった。




 翌日の早朝、私は昨日と同じ時間に鉄屑の丘へと足を運んだ。頂に目を向けると、例の修道女じみた装いをしたあの人の姿があった。昨日と同じく丘の上で膝をついたまま微動だにせず、一心に手を組んでいる。お祈りが終わって私がいるのに気がつくと、何も言わずに近寄ってきた。聖女とはかけ離れた険のある顔と声で「忘れろって言ったんだけど」と詰問してくる。私は視線を右へ左へと逸らし、若干どもりつつも必死で弁解を試みる。

「た、確かに、言われましたけど、……この場所って私の朝の散歩コースに入ってるんです。忘れろって命令を忠実に遂行するなら、忘れろって言われたことも含めて忘れるべきじゃないですか。意図的にコースを変えたら、忘れたことにならないかなって……」

 しばしの沈黙。凝り固まった静寂を打ち破るかのように特大のため息を漏らすと、その人はこめかみを拳でぐりぐりとやりながら、なるほどね、と呟いた。

「確かに、筋は通ってる。これは私の言い方が悪かった。改めて説明する。つまり私が、何を要求してるかというと――」

 その人は眉間の辺りを人差し指でトントンと叩きつつ、思案する。でもそのうち面倒になったのか、投げやりな態度でこれだけ言って、その場から立ち去った。

「……もういいや。私のことは覚えててくれてもいいし、ここに来るのも好きにして。だけど、話しかけてくることだけはしないで。それだけ守ってくれれば、後はいいから」

 そんなわけで、私は図らずもその人のお祈りを自由に鑑賞する権利を獲得したのだった。




 それから二週間後のことだ。朝の散歩を終えた私が居間でエネルギー補給をしていたところ、傍らに佇むカルロが声をかけてきた。

「ここのところ、いつもより寝起きが良いですね。直近二週間の平均起床時間が十二分三十七秒も短くなっています。なにか、イレギュラーなことでもあったのですか?」

 カルロは私と同じく、自然言語でのコミュニケーション能力を備えたアンドロイドだ。背が高くスラリとした体躯をしていて、見た目年齢は人間で言うところの二十歳前後。髪色は当然白色だ。年がら年中パリッとした執事服を着用しているものだから、二十一世紀のコミックやアニメに出てくる執事みたいな印象を受ける。

 みたいっていうか、まさしく執事そのものだけど。カルロは私の世話役だから。

「イレギュラーっていうか、最近、変な人がこの島に住み着いててさ」

 ミドリムシを主成分とする燃料が詰まったパウチから唇を離し、私は端的な答えを口にする。話がよく見えなかったらしく、「と言いますと?」とカルロが訊き返してくる。

「その人、よくわからないけど毎朝決まって鉄屑の丘の頂上でお祈りしてるの。変だよね。祈祷なら、もっと別の場所でやればいいのに」

「確かにあまり例を見ない行動ですが、何か特別な事情があるのでは? 例えば、祈りの対象が鉄屑だとか」

「……いくらなんでも、それはなくない?」

 鉄屑の丘は、定期的にタワーから落ちてくる金属塊が積もりに積もって形成されたものだ。鉄屑は人間がタワーに上った数日後に落ちてくる。軸に移動した人間が不要な機械やら外壁やらをスクラップして、投棄しているのだろう。鉄屑の丘という字面からはどこか幻想的な印象を受けるけど、本質的には不燃ゴミの山でしかないのだ。この世のどこに、不燃ゴミを崇拝する人間がいるっていうのか。

「ですが、この船の祖国である日本には、大切に使った物や道具には魂が宿るという考えがあったと聞きます。役目を終えて破棄された機械を悼んでいるのでは?」

「……ああ。そういえば人間って、遺体を燃やして土に埋める風習があるんだっけ」

「必ずしも荼毘に付すわけではありませんが、日本では火葬が一般的だったようですね」

「理解できないな、燃やすなんて」私はため息交じりに言った。「だって、もう死んでるんだよ? 燃料は無駄になるし空気は汚れるしで、無意味どころかマイナスなのに。こういう道理の通らないことをしてるから、人間って地球を駄目にしちゃったんじゃないかな」

「ですが、文化とは基本的に無駄なものです。文化がなければ、文明を興すことさえ叶わなかった。そう考えると、一概に否定できるものでもないでしょう。そもそも人と機械とを隔てる最も本質的な違いは、無駄なことができるか否かです。何故なら人間は――」

「自らの意志で在り方を選択できる存在だから、でしょ」

「その通りです。よく覚えてらっしゃいますね」

「何百回も聞かされれば流石に覚えるって。だけどこの言説って、自分が何をして生きていくのかを決められるって意味じゃないの? 死後のことなんて、関係なくない?」

 訝しむ私に対し、カルロは神妙な面持ちで首を二、三度横に振った。

「ありますよ。人間というのは、肉体が生命活動を停止した瞬間に全存在が消え去るわけではありませんから。その人が現世に残した業により、何らかの影響を与え続けるものなのです。だからこそ人間には、どう生きるかだけでなく、どう終わるかを決める権利がある。死した後の世界や社会に、思いを馳せる権利があるのです」

 そういうものかな、とだけ返して口を噤んだ。正直、納得はできなかった。死んだ後にまで影響が残るというのなら、なおのこと理に適った死に方をすべきじゃないのかって、私なんかは思ってしまう。……まあ、火葬による環境汚染への影響なんて高が知れてるし、死体をどう扱うかくらい故人や遺族の自由にするのが道理なのかも知れないけれど。

「ところで、その方のお名前はなんと言うのですか?」

「さあ。訊いてないからわからない。あ、でも、カルロの方で調べられたりしない?」

 私と違って、カルロはコロニー内のネットワークと常時繋がっている。個人情報へのアクセス権も限定的には持っている。あの人は長期滞在者のようだから、もしかしたら閲覧が可能かもしれない。

 承知しました、とカルロが頷く。承知しましたの「し」の字を発音したときには検索は終わってるから、答えが返ってくるのはすぐだった。

「どうやら、来訪していらっしゃるのはナギサ様のようですね。……そうか、あの御方が」

「え。なに、その含みのある言い方。もしかして、知ってる人なの?」

「勿論です。ナギサ様は、私の制作者ですから」

「……はい?」

「ちなみに、イオ様の制作者でもありますよ」

「…………………………………………はい?」

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