【参】
せつなの推しが死んだ。長年の闘病生活からの病死だった。最期は入院中の病院内で迎え、葬儀は既に身内で済ませた後だという。そんな報道が、ごくごく小さなニュースとして、せつなの持つ携帯端末に届いた。
彼女は極端に口数が少なくなって、関連するニュースや情報を探して読み漁った。
「びょうきなのは、ね、知っていたのだけれど」
彼が死んだのは四日前だという。ちょうど僕が現れに来たのだがそのくらいだった。
彼女の目が見開かれていく。
僕は黙って、首を横に振る。
彼が死んだことと、僕がこの姿でここにいることは、関係がない。
彼女は見開いた目を伏せる。
「そう……よね。そんな……都合のいいこと、あるわけ、ないものね……」
せつなはそうぼやいて、俯いた。
僕が何か話しかけようとしたが、
「ちょっと……一人にしておいてもらえるかしら」
「でも」
「まだ……私の日にちはあるんでしょう?」
そう言われては、かける言葉が見つからなかった。
施設の中にいるとだけ声をかけて、僕は部屋を出る。
あてもないが、廊下を歩く。ゆっくり杖を突きながら歩く老人、逆に慌ただしく小走りの職員にぶつからないように避けながら移動して、初日に彼女と出会ったラウンジに辿り着いた。
穏やかな自然光の中で、何人かの入居者と思しき老人が一つの花瓶を囲んで絵を描いていた。
緩やかな曲線の飾り気のない花瓶に、何本かの紫の薔薇がささっていた。持たされた花言葉に違わず高貴な花弁が艶やかに咲き誇っている。
僕はその中から、気ままに一本抜き取って香りを嗅ぐ。まさに華やぐような、高貴で強い香り。
無造作に手に取ったが、棘などは綺麗に取り去ってあった。くるくる回しながら眺める。
「あら?」
絵を描いていた老婦人が声を上げた。
「お花、一本少なくなっていないかしら?」
「えぇ?」
一緒に絵を描いていた老紳士が首をかしげる。
僕は彼らの目の前で薔薇を持って腕を組んだり横を向いて花の匂いを嗅いだりしてみたが、その視線は花瓶の中の花へ向けられていた。
あまり惑わしてもしょうがないな、と僕は薔薇を花瓶に戻す。
花瓶に近づいてくる人間達にぶつからないようにそっと離れた。
ふと気が付くと、肩に花弁が一枚付いていた。
つまんで、捨てようかとしたが、何となく胸ポケットにそっと押し込む。
僕は、せつなの部屋の前まで戻る。
オートロックのドアは、部屋の主に招いてもらわなければ、入ることができない。
扉の前でどうしたものかと考えあぐねていると、急にドアが開いて、せつなが顔を覗かせた。そのまま黙って部屋に入るよう手招きをされる。
室内に戻り、向かい合って座ったまま、しばらく静寂の時間が流れた。
「どうしてエイはその姿なのかしら」
「それは」
「私が、そう望んだから」
確かにそうだ。だがここで肯定するのは彼女を傷つけるのが分かって、何もできないでいる。彼女は俯いて呟く。
「まだ、最近の姿に近ければよかったのに」
僕は、彼女が持っている本について尋ねる。
「それは?」
「これ? これはねぇ、彼のサイン入りの小説よ。はじめての単著で、本当は先に一冊買っていたのに別の本屋でたまたま一冊だけ残ってたサイン本を見つけちゃって買っちゃったの」
彼女が嬉しそうに続ける。
「ここに引っ越すときに……、他の書籍は、電子版にしたり人に譲ったりしたのだけれど、これだけは、どうしても処分できなくて」
彼女の声は次第に小さくなって、再び俯いてしまった。
「せつなは、彼のことが」
――好きだった?
そう聞きそうになって、思いとどまる。
言ってしまうと、今の彼女の心の揺らぎが、よどんでしまうようだと感じた。
彼女が口を開く。
「『かっこいい』って、思うこともあるし、言ったこともあるけれど。でも、彼はアイドルではないから……」
彼女が言葉を選んで話そうとしている。
「本当だったら、彼のことを語るなら、彼が作った、関わった、作品や成果物の方で言わなくてはならないのに」
本の表紙を撫でている。
「私にだけ言ってくれているわけでもないのに、きっとそんなつもりで発したわけではない言葉で……励まされたとか、あまつさえ……、ときめいた……なんて言うのは」
「なんだか、気持ち悪いわね」
「僕は、この人のことを、せつなから聞いた話しか知らないけれど」
口を開いた僕を、彼女が見つめてくる。
「きっと、多くの人から好かれたり、尊敬されたりしていたんだろうって、思う」
彼女が、僕の言葉を待っているように黙っている。荷が重い。
「僕がこの姿なのは、確かにせつなの願望だけれど、でも、その、そういうものなんだ」
「そういうもの?」
「僕が、そういう」
「死神だから?」
「そう」
「死神の、仕事のため?」
「そう」
「死神はそういう存在だということ?」
「だから、せつなの願望だけれど、せつなのせいじゃない」
「励ましてくれるんだ?」
「まぁ」
「それも、お仕事?」
「うん」
「真面目ね」
「もっと……気の利いたことが言えればいいんだけど」
「世間ではどう言うか知らないけど、私は真面目な人の方が信用できるわ」
彼女が立ち上がって窓の方へ行く。
「そう……ねぇ。私と彼が、おんなじ所に行けるという保障は、どこにもないけれど」
それから振り返って僕の目を見て言う。
「ちゃんと、『仕事』を……してくれるんでしょう?」
「勿論」
僕がはっきりと言うのを聞いて、せつなが微笑んだ。
せつなが死ぬまで、あと二日。
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