【肆】
彼女は、毎日ピアノの練習を欠かさなかった。
毎日やらないと弾けなくなってしまうものらしい。人間は難儀なものだと思う。
部屋のアップライトピアノを弾いているせつなの後ろに立っていると、彼女が思いついたようにこう言ってきた。
「貴方も弾いてみる?」
「うーん……」
そもそも、自分は楽器の演奏ができるのだろうか?
疑問は消えないが、促されるまま彼女の右隣に座らされる。
指で鍵盤を押さえると、音が鳴る。
「遠慮しなくてもいいのよ?」
そう言われていくつか鳴らすと、横に座っていたせつなが合わせて和音を展開しだす。
僕がびっくりして固まっていると、せつなはクスクスと笑った。
「さすがに何かないとやりにくいわよね。ちょっと待ってて」
彼女はそう言って、横長のノートに大きく五線譜が二行書いてあるものを出してきて、うんうん唸って思い出しながら書き起こす。
手書きの音符を追いながら何度か練習する中で、少しは曲っぽく聞こえなくもない。くらいにはなったと思う。
「けっこう上手いじゃない」
「どうかな」
「芸術系には興味ないの?」
「別に……」
「手帳とペンはあるんだし、何か書いてみたら?」
「作家の見た目をしているからと言って、能力も同じというわけではない」
「それもそうね。……誰かの受け売りだけれど」
そこでいったん言葉を切って、壇上の役者のような顔で呟く。
「言葉の羅列は、詩にならない
音の羅列は、曲にならない
ならば……」
彼女はそこで一旦言葉を切る。虚空を見つめる瞳には、何も映っていない。
せつなが死ぬまで、あと三日。
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