【伍】

 せつながテレビ電話で誰かと話している。

 画面の向こうには、不安げな表情の中年の女性が映っている。

「お義母さんこそ、お加減いかがですか」

「私は元気よ。最近どう?」

「■■が、その……最近私と話してくれなくなって」

「あら、今いくつだったかしら?」

「小学五年生です。今までだったら何でも話してくれてたのに最近は返事もろくに」

「反抗期かしらねぇ」

「早くないですか?」

「そんなもんじゃなあい? 個人差あるものだし。何かきっかけとか、喧嘩したとか、心当たりはあるの?」

「それが全くなくて……」

「んー。実は気に障ってた、ということもあるかもしれないけれど、ないなら大丈夫なんじゃない?」

「そうでしょうか……」

「まぁなんて言うのかしらね。お母さんだと思って甘えているというか、甘えられているというか」

「それは……いいことなんでしょうか」

「いいことよー。親は自分のことを見捨てたりしないって信頼しているってことだもの」

「そう……なんでしょうか」

「そうよ。別に関係が変わってしまったわけでも■■の人が変わっちゃったわけでもないわ。ちょっと大きくなって、自分の頭で考えてみたくなっただけよ」

「そういうとき、せつなさんはどうされるのですか」

「どうも。□□も子どもの頃はそんな時期もあったわ。変わらず接するだけよ。まぁせいぜいあーしなさいこーしなさいを控えるとか」

「そう……ですね。それがいいですね」

「ふふ。たまにはおばあちゃんのところに遊びに来てねって言っておいて」

「はい。そうですね。なんか私の方が話を聞いてもらってしまって」

「いいのよー」

 せつながふと、後ろに立っていた僕の方を見る。電話の女性がすかさず聞いてくる。

「そこに誰かいるんですか?」

「いいえ、何も」

「はぁ……。じゃあそろそろ切りますね」

「ええ。……さようなら」

「え?」

 女性の顔が曇ったが、せつなは構わず電話を切ってしまった。


 その夜、中庭で天体観測会が行なわれていた。天体望遠鏡を覗いたり、星表を見ながら星空を見上げたりしている。

 せつなは他の入居者と世間話をしていた。

「星を眺めていても、それを『犬だ!』とか『山羊だ!』とかにはならない気がする」

「そうよねぇ。昔の人は想像力が豊かだったのかしらねぇ」

「光る点三つか四つ、よねえ」

「それは情緒なさすぎー」

 人間たちに混ざれない僕は少し離れたところから様子を見ている。

 ふと、せつなが手招きしていた。そっと寄ってみると、望遠鏡を覗いて見るように促される。

 望遠鏡には、ぽつんと浮かぶ土星が映し出されていた。


「あ、こんなものが残っていたわ」

 せつなが寝る前に、戸棚から一本の赤ワインを取り出した。

「保管状態がそんなに良くないからどうかしらねぇ」

 手慣れた手つきで開封してグラスに注ぐ。

「あなたも飲む?」

「やめておく」

 彼女は、ついでにこれも使っちゃおー、などと呟きながらキャンドルを取り出し火を灯す。

「あらやだ。このキャンドル香り付きだったわ。ワイン好きからは怒られそうな取り合わせね」

 言われてみると、微かに甘い香りがした。

 彼女は部屋を暗くして、しばらく黙って飲んでいたが、決心がついたように口を開く。

「私の夫の話を聞いてもらえるかしら」

「はい」

「変わった人だったわ。マイペースというか……自分なりの法則で生きているような人で。仕事一辺倒で仕事に関しては優秀だった。それでも一人息子のことは本当に大事にしていたわ」

 キャンドルの火が揺れる。

「息子は、□□は、夫の連れ子なの。私と血の繋がりはない」

「昼間の電話の人は」

「息子のお嫁さん。ときどき様子見に電話をかけてくれるの」

 せつなの目線はキャンドルの火を見ている。

「夫と私は年が離れていたし、いきなり連れ子の母親になるのは、周りから反対された。やんわりとだけれど。最初は□□と打ち解けるのも苦労したけれど、今ではいい思い出」

 せつなの口調は、あくまでも淡々としていた。

「息子が独立して、夫が定年間近ってなったときに、夫がここを見つけてきた。余生はここで過ごそうって。わざわざ張り込んで、どうしてもこれがいいって言うオーダーメイドのベッドを頼んで、他の家具もどう揃えようか、なんて話している間に、夫が緊急入院になった」

 キャンドルの火が揺れている。

「二人とも入居を遅らせて、私は看病に専念した。それでも亡くなるのは早かった。というより、調子が悪いのをずっと我慢していたみたい。馬鹿な人」

 彼女の言葉尻は幾分きついものだったが、慈しみを感じる。

「結局私だけ入ることになって。部屋は一人用にしてもらったんだけど、入院前に注文していたベッドは、処分しにくくて……。必要もないのに大きなのを使っているわ。『予約一年半だって』『すぐだよ』って言ってたのに。本当に、あっという間だった」

 そこまで言い切って、グラスのワインを飲み干す。

「私は幸せ者ね。綺麗で快適な所に住まわせてもらえて、離れて暮らしてても心配してくれる家族がいて、友達もいて、毎日のんびり過ごしていて。そして、最後には……あなたが迎えに来てくれた」

 彼女がうたたねをし始める。僕は風邪をひくといけないから、と何とかベッドで寝てもらうように努めた。


 せつなが死ぬまで、あと四日。

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