うーちゃん
神原
第1話
不穏な音が鳴り響く。空の唸りが空間を伝ってごろごろと。音を聞いただけでぞわぞわとしてくる。
「きゃあっ!」
轟音と同時に稲光が大地へ繋ぐ。裂ける様に眩い光が軌跡を描き続けた。そして打ち付ける様な雨音が辺りに響いたのだった。
部屋の雨戸を閉めようと窓を開ける。安全なはずの空間にいて、それでも恐怖は募る。いつ落ちるともしれない不安で勢いよく雨戸を閉めていく。
頭を抱えて紗羅はベッドに潜り込んだ。抱き枕のうーちゃんを抱き寄せて。
「うーちゃん」
続いている轟きに、固く目を瞑りうーちゃんにしがみ付く。
いつしか雨もまばらになり、雷雨は去って行った。生きた心地がしなかったがうーちゃんのお陰で怖さは半減していた。
あれは何時の事だったろう。友達の付き添いで紗羅はアニメのアイテムのあるお店の中で時間を潰していた。
ふと見ると、お店の中で抱き枕のコーナーがあった。手に取るもその絵柄に対してふーんと言う感想しか湧いてこない。売り場の枕を次々に手にとってはなるほどねぇと元に戻していく。
そして手から落ちた抱き枕を拾おうとしてはっと気づいたのだった
「うわああ」
一目ぼれだった。猫を擬人化した抱き枕「うーちゃん」をそこで見つけた。枕を置いてある台の下に、薄汚れて売り物にはなりそうにない抱き枕「うーちゃん」を。
汚れていても良いからと無理を言って売ってもらう。それ一個きりの代えのない品物だった。その頃になってやっと友達が戻ってきたのだ。
「いこう」
そんな友人の声に被さって小さく声が聞こえた。「ありがとう」と。気のせいだったのだろう。辺りには友人の姿しかなかったから。
それからは寝つきが以前より良くなった気がする。いつも寝る前に抱き締めて。一週間に一回は洗って使う。大事に、大事に。
修学旅行にも持って行ってからかわれたり。大人になった今でもこうして紗羅を助けてくれる。紗羅の思い出にはうーちゃんは欠かせない存在になっていた。
『件名:うーちゃん』
それは会社が終わる時間だった。どこからかメールが届いていた。うーちゃんの名前を見て紗羅がそれを開く。なんだろう? と思いながら。そこには「帰ってきちゃダメ」と一言だけあった。
「なに? これ」
肌寒く感じる。鳥肌が立っていた。ストーカーかなにかだろうか、とも考える。急いで帰りたくなったが、もしもと言う事もあり紗羅はホテルに一泊する事にした。
整った部屋なのになかなか寝付けない。夜も遅く。やっと睡魔が。そして悪夢を見たのだ。
「うーちゃんっ!」
夢の中でうーちゃんが熱い熱い。と泣いていた。火の手が部屋から立ち昇っている。徐々にベッドへと火炎が移り、うーちゃんの端を焦がしていく。火の手はやがて炎の海となって全てを焼き尽くしていった。
紗羅ちゃんがここにいなくて良かった。そう安堵した様な声が聞こえてきた。勢いよく燃え上がる炎の中から。
目が覚めると額に汗をびっしょりとかいている。心臓が早鐘の様に鳴っている。吐息が荒くなっていた。
「嫌な夢」
震える体を落ち着けて身なりを整えると、ホテルをチェックアウトする。タクシーを拾い、そのまま会社へと直行。駆け寄って来た上司や同僚に「大丈夫だったの?」と心配された。
なに? と言う顔をして紗羅は見返す。そして住んでいたアパートが全焼した事を知ったのだ。
家に帰るとそこはもう住める場所ではなくなっていた。火災の原因は雷の時に破損していた電気系統の故障からだと聞いた。
ただぼーぜんと焼け跡を遠巻きに眺める。まだそこは入れる状況になかった。
「うーちゃん……」
涙は出てこなかった。メールを開くも、あのメールは消えている。立ち尽くす紗羅の頭に空から細かい雫が降りそそいだ。
一週間が過ぎ。公営住宅の空きを貸してもらえる事になった。焼け跡へ入れる事はなかったが。
そうとうな火力だったのか部屋で焼け残っている物は何もなかったそうだ。うーちゃんはベッドごと黒く焼けただれていたらしい。
焼けたアパートへ花瓶に白い胡蝶蘭をそえて紗羅はお参りをした。出会った時からの事が思い出される。
数十分の時間は短いのか、長いのか。祈る姿は通行人からは誰かを亡くした様に映ったかもしれない。
あれから二年の歳月が流れた。良い出会いがあり、恋人となって結婚の日が訪れた。
『件名:うーちゃん』
そして再び、そのメールは届いたのだった。
件名を見るなりはっとして慌てて開く。そこには、
「おめでとう。嬉しいな」
と二言。紗羅が幸せになった事を心から喜んでくれている様に映った。
あの時流れなかった涙がほほを伝っていく。
「ずっとずっと見守っていてね」
と紗羅が呟く。ウエディングドレスを着て。化粧室の中で。
そして、それ以来メールが届く事はなかった。
うーちゃん 神原 @kannbara
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