第5話 2人の道

 不夜城砦の地下事務所でフランは1人掃除をしていた。あの出来事から1ヶ月、体に異常はない。屍鬼退治人の仕事も普通にしている。ただし武器屋のリーが開発した謎の御守りを持たされた上で、になったが。

 ヴァルは昨日から1日留守にしていたが、今日の昼になってもまだ帰ってきていなかった。

 昨晩はヴァルのものらしい蝙蝠たちが、不夜城砦のあちらこちらをせわしなく飛び回っているのを見かけたので、事務所に戻ってきてはいないがパトロールなどの仕事はしているらしいのは伺えた。

 以前ヴァルから成人祝いでもらった腕時計で何度も時間を確認しながら、「きっとうちの両親の墓参りに行っているんだろうが…それにしても遅いな」とフランは思った。


 11歳の時にフランは、毎年同じ日に自身をリーや知り合いの所に預けてまでヴァルが一日中どこかに出かけるものだから、好奇心からこっそりあとをついて行ったことがあった。

 当時のフランは、ヴァルは毎年仕事関係で出かけてるのか、それともどこかに遊びに行っているのか…あるいはもしかしたら彼女とかかも?でもそれなら一年に一度はおかしいか…など、色々考えてワクワクしながら、フラフラと蝙蝠傘を差して歩くヴァルを追いかけた。

 その結果、父と母が眠っている墓に行きついた。

 そして誰もいない中、静まり返った墓前で、花を供えひとり静かに涙を溢すヴァルを見た。

 誰がなんと言おうとも、フランにとってヴァルはいつも明るく笑っていて、みんなを守るヒーローのような存在だった。

 けれどその時のヴァルは、あまりにも寂しげで痛ましい姿で…フランはなんだか見てはいけないものを見た気がして、その後逃げるように不夜城砦に帰ったのだった。


 そんな昔のことを思い出しながら、ヴァルの部屋にある毎度の如く脱ぎ散らかしている服を回収して洗濯に回し、吸い殻の山と大量の酒の瓶を捨てる。

 以前…フランが成人する前のヴァルならば、こんなにめちゃくちゃな喫煙も飲酒も一切していなかった。最初は自分が成人したからその類の我慢をやめたのかと思っていたが、それとも違う気がするとフランは思い始めていた。

 散らかった部屋の中、ふとベッドにしている棺の横の台に、両親の写真が置かれているのが目に入り、フランは思わず眉をひそめる。ヴァルが他の誰かや自分に、あの墓前でのような涙を見せる事は、おそらくこの先もないのだろう。

 実際ヴァルと親しい仲の者に聞いて回っても、皆見たことがないと言っていた。いつも元気に笑っているヴァルしか知らないと。この街でヴァルと1番付き合いの長いリーすら

 「知らん。あったとしても、あの男の辛気臭い顔なぞ、見たくもないからの」

と言っていた。

 フランが何か心配して声をかけても、ヴァルは笑って「大丈夫、あんがとなー」としか言わない。その上で例の墓参りを、いまだにひとりで行くのだ。

 考えれば考えるほど、フランはより悲しいような悔しいような、複雑な気持ちになった。

 前回の仕事のミスは、一時的な感情に流されて正確な判断ができてなかった。自分1人でなんとかしたほうがいいのではないか、と思って足を止めてしまった。

 次こそはならないように対策するものの、そういうところを含めて自分は確かに未熟で、弱く、頼りないのだ。

 大事だと想う気持ちはあるのに、成人しても結局ヴァルから守られるばかりでなにもできていない。支えるために並び立つどころか、いまだにその背中は遠く、到底及ばない。気持ちに対して実力が見合っていない自分自身がフランは心底腹立たしかった。



 「た〜だいまぁ〜…」

 ガチャリと玄関の扉が開きヴァルが漸く帰ってきた。時計の針はもう15時を差していた。

 「お帰りなさい。遅かったですね」

 「んー…?あれ、なんでおまえ、ここにいんのぉ?」

 「この時間はいつもいますが」 

 「そかぁ?あ、しごと、きょうやすみなんかぁ?おつかれぇ〜…って、しごとってあっち、あんのかなぁ…?」

 「はぁ…?」

 どうも様子がおかしいなと思いヴァルを見ると、かなり肌が赤く火照っていた。サングラス越しの目もよく見えないが、焦点が合わないように見える。フラフラと不安定な立ち方をする体に、どこか甘ったるい酒とタバコと香水の臭いが鼻をつく。

 「…また際限なしに飲みましたね?」

 「ぴんぽぉん、だいせいかぁい!」

 ケラケラと笑うヴァルを見て、フランはため息をついた。

 「もうさっさと着替えて、水飲んで、寝てください。明日に響きますから」

 「やぁだ、おれはらへったしぃ。あ、そだぁ、ひさびさにぃ、ぱすた、つくってやるよー、ざいりょーもあるし…おまえすきだろーぱすたぁ」

 「ちょっと、人の話聞いてます?俺パスタは別に普通ですし…あと酔ってる時に火は使うのはダメですからね!」

 フランの制止も聞かずに、鼻歌を歌いながらヴァルは材料を取り出してパスタを作り始める。フラフラゆらゆらとしていても、パスタを作る手つきはやけに慣れて安定していた。

 「なつかしいなぁ、おまえ、これすげぇきにいってもんなー、まいにちたべたいとか、いってさぁ…おれ、すげーうれしかったんだよなぁ」

 そんなことを言った覚えがないフランは、困惑した顔をする。酔っ払いすぎて誰かと勘違いしているのだろうか。というか人を間違えるレベルとか、どれだけ飲んだんだこの人は、とフランは呆れた。

 「はい、かんせーい!オレさまとくせー、トマトとかいせんのパスタぁ。いっしょにたべよーぜー」

 「はあ…」

 フランは眉根に皺を寄せつつも、小さめの机にヴァルと向かい合わせに座る。

 「いただきまぁーす」

 「…いただきます」

 手を合わせてフランは初めて見るパスタを一口食べる。海鮮の出汁の旨味とほのかなトマトの酸味が合わさって、とても美味しい。

 「…美味しいです」

 「そんならよかったぁ。えんりょしねーで、もっとくえよぉ」

 ヴァルはニコニコと笑って言葉を続ける。

 「ここ、おれんちだから、へんなかんじだけど…うれしいなぁ、まさかぁ、おまえとまたあえるなんて…ずっと、なにしても、あえなかったからさぁー…でも、やっとあえた…かみさまに、いのったりとか、ばかにできねーもんだな…へへ…きてくれて、あんがとなぁ…」

 「…はい」

 「あ、そだ、あのさぁ、オレさぁ…おまえとこうして、めしくったりすんのがさ、すきだったんだよな〜」

 「…そうなんですか」

 パスタを食べながらフランはヴァルの話に耳を傾ける。多分まだ、誰かと勘違いされている。そう思いつつもあえて訂正はしなかった。

 「そうだよぉー…おまえをくいたくねぇなぁって、おもうくらいにさ…すっげーすきだったよ」

 「…」

 「だまってて、ごめんなぁ…オレさぁ、きゅーけつきなの…あ、でも、ちをすったりしねぇから…これは、まじ…おまえとであって、オレ、かわったからぁ…もう、ひとのち、のまねぇの…えらいだろ、ほめてくれても、いーぜ…なんてな…じょーだんだよ…」

 ヴァルはそう言うと、誤魔化すようにクルクルとパスタを多めに巻いて口に運んだ。

 フランも具のエビを食べつつじっとヴァルの顔を見つめる。サングラスに隠れて、いまいち表情が読み取れない。

 「むかし…けんぞくに、するほど…にんげんをすきになる、きゅーけつきとか…いみわかんねー…ばかじゃんって、おもってたけどさ…いまはさ、すげーわかるよ…だってさ、オレも、ずっといたいって、おもったから…」

 「…そんなに考えが変わったんですね」

 「そうだよぉ…おまえらに、たったすうねんぽっちで、こんなにかえられちまったの、オレ…そんくらい、すきで、だいじだったよ」

 「…そうですか」

 「んー…ばかみてぇだけど…ししゃをそせぇさせるじゅつとか、さがしてみたりさ…してたよ…まぁそんな、うまいはなしは、なかったけどなー」

 ハハ、と自嘲気味にヴァルは笑い、自身がつけているネックレスのペンダントをひと撫でしてから、またパスタを頬張った。

 フランは食べる手を止めた。死者蘇生。不穏な言葉だ。そしてふと、ヴァルにここまで言わせる相手は誰なのだろうか、と考えた。

 そんなフランをよそに、ヴァルはパスタを飲み込んで話しを続ける。

 「おまえらのむすこ…ふらんはさぁ…」

 いきなり自分の名前が出て、ピク、とフランの肩が跳ねる。そしておそらく父親に間違われていたらしいと知り、小さく息を吐いた。

 なんだ親父たちか…とフランは思った。ヴァルはフランの両親のことが大好きなのだ。いまだによく思い出話をするし、それこそあの時、墓前で泣くほどに。寝床である棺の横に、2人の写真を飾るほどに。とはいえ死者蘇生はいただけないが。

 しかし、両親たちはヴァルが吸血鬼だということを知った上で仲良くしているものだと思っていたので、フランは少し驚いてもいた。

 「やっぱりおまえらににて、やさしいよ…みためもせいかくも、むかしから、ずぅっと…そっくり…まじで、いいこで…」

 「…へぇ、そうなんですね」

 「んー…きっと…むかしからくろう、かけただろうから、そこは、もうしわけねーけど…でも、おれ…あいつのおかげで、ずっと、たのしかったなぁ…」

 「それは、良い事ですね」

 「んー…めっちゃ、いい…」

 笑いながらゆめうつつを彷徨うヴァルに、フランは曖昧に相打ちを打って調子を合わせた。ここまでヴァルが内心を話すのは珍しいことだ。自分は親父ではないが、幻とはいえ今くらいはヴァルに少しでも良い思いをしてほしかった。

 「ああ…いまのしごとが、まだかけだしのころ…やっすいけど、はじめて、ほうしゅーきんがはいったときに、ちいせぇころのふらんとさ…めしくいにいったんだよ…あいつに、うまいのくわせたくて…すきなもんたのめよぉ、っていったら…あいつ、はんばーぐがすきだから、それたのんで、わらってさ…」

 「へぇ…」

 懐かしそうに話されて、フランも思い出す。確かにそんなことがあった気がする。

 「オレ、きゅーけつきだから…にんげんのりょうりくっても、いみねぇのね…だから、あいつにそのぶん、たくさんくわせてやりたくて…オレのぶん、ちゅーもんしないでいたら…あいつじぶんのはんばーぐ、ぜんぶくれようとしたんだよ…な、すげーやさしいだろ、ふらん…ほんと、さすがおまえらのむすこだよ…へへ…」

 具をつつきながら、どこか誇らしげに嬉しそうにヴァルは笑う。

 そんな事も、あった気がする。朧げな記憶をヴァルの言葉からなんとか手繰り寄せて思い出しつつも、ポツリポツリと吐かれるそれらの言葉に、フランは心がこそばゆい感じがして妙に落ち着かなかった。

 「いまは、なまいきもいうし、がんこなときもあるけど…なんかそれも、おもしれぇっつーか、かわいいよ…すぐおこるけど…まぁそれは、おれがそうさせてんだけど…そういうのも、さけも、ぜんぶ、やめなきゃなのになー…ちゃんと、しなきゃなのに…」

 「…」

 俺を怒らせている自覚はあったのか…とフランは心の中でつぶやいた。

 最近のあの数々の行動に何の意味があるのか。わざとこちらを怒らせたりしているのだとしたら、なおさら理解できない、とフランは思った。

 「あと、しごとのこともさ…ごめんなぁ…あぶないから、こっちにこないように、おれしてたけど…けっきょく、あいつをまきこんじまったよ…」

 「…大丈夫です。気にしないで下さい」

 ヴァルが叱られた子供のように、あまりにも悲しそうに言うものだから、フランはついそう言ってしまった。

 仕事に関しては数年間に渡ってヴァルと話し合いや喧嘩をしたので、無理を押し通してやってきた自覚はある。だからこそヴァルにそんな罪悪感をフランは持ってほしくなかった。

 「そっか…なら、よかった…これからは、もっと、ちゃんと、ふらんをまもるよ…あいつは、いやがるだろうけどさ…」

 「…そうですか」

 その言葉にフランは奥歯を噛みしめる。守られるのは確かに嫌だが、前回の失敗のことがある。

 「でもあいつ、しっかりしてっから…むかしほど、まもるとか、せわとか、しなくてもよくなっちまった…それに、ちょっとまえはちっこかったのに、もうあんなでっかくなって…おとなになってんだよな……じかんたつのって、はえーよなぁほんと…あっというまだ…」

 ヴァルは口元を微笑ませつつもそう続けて、少し顔を伏せパスタをいじるようにつついた。フランはじぃっとヴァルの顔を見つめるが、やはり、サングラスで目が見えないので、表情が上手く読み取れない。

 「…ふらんといると、おまえたちといたときと、おなじくうきになる…めしのときも…なにしても、しあわせになれんの…だから、あいつのことも、すげーすきなの、オレ…」

 「そうなんですね。ありがとうございます」

 内心、「そのくらい、知っている」と思いながらフランはそう返した。今までヴァルは本当に、フランに惜しみない愛情をかけて大事に育ててくれたのだ。だからこそフランも吸血鬼のヴァルのことを大事に思っているし、彼からの愛情を疑ったことは一度たりとてない。

 「うん…まじで、だいすき…おまえらは、オレの、かけがえのない、たからものだから…でも…」

 そこでヴァルの言葉が止まり、フォークから手が離れた。

 沈黙から、カチ、カチ…と、無機質な壁掛け時計の秒針の音が嫌に大きく部屋に響く。フランがそれに耐えきれなくなって、先に促すように声を出した。

 「…でも?」

 「…でも…オレがまもっても…あいつはきっと、このさきも…にんげんとして、いきるから…オレよりさきに…じゅみょう、とかで、しんじゃうじゃんね…ずっと、いきて…いっしょに、とかさ…いられねぇよなぁ…おまえらと、おなじでさ…」

 ポタリ、とヴァル側のテーブルの上に一つ、水滴がこぼれ落ちた。

 

 「そんなの、いってもしかたないって、わかってるけどさぁ…でも、やっぱ…まもっても、いみないって…あいつもいつか、なんかで、しんじゃうっておもったら…オレ、もうさ…だめだなぁ…すげぇさみしくて…まいにち、じかん、すぎるのが…こわくて…なぁ、れいしー…これ、どうすればいいかなぁ…わかんねぇの、オレ…ずっと…っ…」


 ヴァルは額に手の甲を当ててうなだれ、肩を小さく震わせて、涙を零していた。啜り泣く声がいつもの声と違ってとてもか細く、人よりも強い吸血鬼なはずなのに、昔見た墓参りの時と同じで、酷く弱々しく、儚く見えた。

 まるで小さい子供のように、嗚咽を漏らして涙を流すヴァルを見て、フランはグッと拳を握った。

ああ、今のままの自分だと、きっとなんの意味もない。この人を支えることはできない。

 けれど大事な身内のこの人を、この先1人にしたくない。

 こんなふうに、泣いてほしくない。


 「…俺は、ヴァルとずっと、一緒にいますよ」

 「…へ?」

 フランの言葉にびっくりしたのか、ヴァルが顔を上げてフランの顔を見た。涙を流しているその目はまんまるに見開かれている。

 「は…?え?え?ふ、ふらん?え、あれ、な、なんで?オレ、いま…だって、れいしーといて…パスタ、くって…」

 「食ってたのは俺とですよ。親父じゃありません。いい加減、しっかりしてください。酒、飲みすぎですよ」

 そう言いつつ、フランはフォークを置いて涙で濡れたサングラスを驚いているヴァルから取りあげて、頬の涙を指で拭う。瞼は赤くなり、赤い眼は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 「おま、かってにとんなよ、かえせよ、オレのサングラス!」

 「いやです。というかもう今更でしょうこんなの。それだけ泣いてたらなんの格好もつけれないですし」

 「っうっせーですぅ!オレさまはセンサイでシャイなんですぅ!」

 「でしょうね」

 「ヒテイしろよそこは!クソ…!」

 フランがサングラスを取り上げたまま抵抗していると、ヴァルは顔を隠すように両手で押さえ、ギシリと背もたれに体を預けた。

 「はーーー…もう、サイッアク…いっちばんみられたくないとこを、いっちばんみられたくないやつにみられた…」

 「これに懲りたら飲酒を控えることをおすすめします」

 「いやですぅーオレの血はアルコールでできてるから酒飲むのはやめませんーー」

 「それもうただのアル中じゃないですか…」

 「そーだよ悪いか…つか、さっきの話は無しだから。忘れろ。…悪かったな、好き勝手言って。オレのことは気にしないでお前はお前の人生を生きろ。わかったな。あとこれは保護者命令ですのでそこらへんヨロシク」

 ヴァルは酔いが覚めたのか、鼻を啜りながらも捲し立てるように一気に話し、ビシッとフランの顔に指差した。その様子にフランはムッと口をへの字にする。

 「…いつまで保護者気分のつもりなんですか」

 「あ?何言ってんの?オレ様は正真正銘フランの保護者ですけど?」

 「ここまで育ててくれたことは感謝してます。でも、俺はもう成人してる。俺は俺の人生を考えた上で、ヴァルと同じ吸血鬼になって一緒にいるって言ってんです」

 フランはヴァルの目をまっすぐ見据えた。吸血鬼のヴァルからしたら、人間はすぐに寿命を迎えて死んでしまう。それで悲しませてしまうなら。自分が行くべき道は一つだろう。

 「は…?」

 「…ヴァルが俺を心配するのと同じで、俺だってアンタが心配だし、なんとかしたいって思ってる。アンタの役に立ちたいし、泣いてるんなら涙を拭ってやりたいし、寂しく感じてるんならずっとそばにいてやりたいだけだ。ずっと、そう思ってた」

 「いやだから、オレのことはいいって…」

 「なんでですか。ここまできてまだそんなこと言いますかアンタ。いいから俺を、眷属にして下さいよ。いいじゃないですか、これからも一緒で。関係は何も変わらないでしょうが。何がダメなんですか」

 「アホか!ダメだわ!なんならダメなとこしかねーわ!関係云々じゃなくてだな!お前平穏な人生を棒に振る気かバカ!吸血鬼なめんなよ!お天道さんの下歩けねぇし食事だって血飲まなきゃ生きてけねーんだぞ!」

 ヴァルは机をバンバン叩いて声を荒げて抗議した。このようなやりとりをしたのは屍鬼退治人になるとフランが言った時以来であった。

 「アンタ血飲んでないじゃないですか」

 「それは…っ、他で代用してるしめっっっちゃくちゃ我慢してんだよ!!マジでスゲー辛いんだからな!人の血飲まないでいるの!つかお前が吸血鬼になったらゼッテー躾のなってない犬みてーになるわ!人襲ったら終いなんだぞ!だからダメだ!」

 「そんなのなってみないとわからないでしょうが。あと俺だってそれなりにこの仕事に対しての責任は持ってるつもりです。この街を、住民を守り続けたい気持ちもあります。吸血鬼になったとしても、そんなこと意地でもしません。そんなに不安なら、俺に口輪でもつければいい」

 フランがムッとして言い返すとヴァルはさらに捲し立てた。

 「ダメだ!!大体なぁ!それ以外でも生活に苦労すんだぞ!どうやったってみんな先に死ぬから仲良い奴らの死を看取らなきゃいけなくなるし、世間からの目もあるし…オレ自身は自分が悪いからいいけど、お前だって吸血鬼になったらきっと、いらん苦労をして嫌な思いをするに決まってる…人間をやめるって、そういう事だ…なにより…息子のお前を吸血鬼になんてしたら、あいつらに顔向けできねぇよ…それはダメだ…お前はレイシーとスズの、大事な息子なんだから…なぁ頼むよ、わかってくれよ…」

 後半になるにつれ萎れながら、ヴァルは悲しそうに赤い目を伏せた。それを聞いてフランは、「本当にこの吸血鬼は、どこまでも寂しがりのくせに、変なところ気にしいだな」と呆れた。

 色々考えてくれている気持ちはありがたいが、だからと言って今目の前にいて、ずっと悲しんでいる大事な身内のことを優先しない理由がどこにあろうか。

 「悪いですけどアンタの頼みでも、ここは引きませんから」

 「なんでだよ、引いてくれよそこは…」

 「嫌です。あのですね、死を看取ったり苦労したりは人間の時でもあります。あと世間の目とか、それでもある程度はひっくり返せることを、ヴァル自身が今までをかけてやってきたじゃないですか」

 「それは…そうだけど…」

 「俺がこの先嫌な思いをするかどうかなんて、わからないでしょう。というかそれがなんだってんですか。俺は今一緒に生きてるアンタが悲しんでるなら、それをなんとかする方を取ります」

 「…」

 逃げるように目を下に逸らし続けているヴァルを睨むように、フランはまっすぐ見据えて言葉を続けた。

 「…うちの両親を偲ぶ気持ちは理解しますが、あの2人はもういませんから文句も何も言われません。それに、俺自身がヴァルの眷属になっても良いと言ってます。色々考えてくれているのは嬉しいですけど、あれこれ勝手に悪い方向に考えて、自分が求めている道を捨てたり狭めたりするのはただの馬鹿ですよ、アンタ」

 「っお前…!」

 わざと煽るようにフランが言うとヴァルはこちらをキッと睨みつけ、テーブルに手をついて勢いよく立ち上がり、対面に座るこちらに身を乗り出した。

 「ヴァルも、ちゃんと自分の道を生きて、幸せになってくださいよ。」

 ヴァルの反論が飛んでくる前にフランはヴァルの顔を見て、たたみかけるように言葉を続ける。

 ヴァルにはもうあんな風に泣いてほしくないし、ただ幸せに生きてほしいのだ。

 「っ…」

 ヴァルはフランのその言葉にグッと口をつぐみ、固まった。

 そして、今はもう見ることのできないレイシー達の笑顔や思い出、フランや不夜城砦の住民と過ごした今までの日々、自身のやってきた行いやフランの先ほどの言葉、自身の感情を思い返しては、考えを隅まで巡らせた。

 そうして長い長い時間をかけた沈黙の後に、ゆっくり口を開いた。


 「…オレが今の仕事してんのは罪滅ぼしでもあるんだ…」

 「…」

 「…オレはずっと…屍鬼として人間を喰い殺して生きてきた…それこそ数え切れないくらい…何も理解せずに、酷いことしてきたんだ…今人間を襲ってる他の屍鬼たちと、なんも変わらない…」

 苦しそうに顔を歪めながら、ヴァルは懺悔するように言葉を吐き出す。

 フランはそれを聞いて薄々そんな気はしていた、と心の中で呟いた。ずっと疑問だったのだ。今のヴァルは人間の血を飲まないが、それでもその味やどうして屍鬼が人間を襲うかを詳しく知っているのだから。

 フランは、ヴァルの背後に数多の知らない人の屍の山が見えたような気がして少し眉を顰めたが、黙ってただヴァルのその顔を見つめ、続きの言葉に耳を傾けた。

 「…だから、そんなオレが今まで他の住民や、レイシーやスズ…それにお前といて、共に暮らせただけでも本当は、身の丈に合わないくらい過ぎた幸せを得てきたと思うんだよ…」

 「…」

 「そのうえで…500年間も人間の命を奪う側だった身のオレがそんな道を、これ以上お前を巻き込んでまでして…この先行こうとしていいのか…?ダメだろ、そんなん…」

 「…一意見で、身内として言わせてもらうなら、俺はいいと思ってます」

 フランの言葉にヴァルは顔を上げてその顔を見つめた。

 「…これまでアンタに命を奪われてきた人たちが歩むはずだった時間はきっと、とても膨大で…取り返しのつかないことなんでしょう。そうしてしまった過ちを軽く見る気はありませんし,それ自体も決して無くなったことにはなりませんが…」

 フランはそこまで言って、一つ息を吐いた。

 「…今のヴァルは昔のことを…屍鬼としてのさがを改めるように意識して、これまでの償いとして、何があっても多くの人間を助けようと、守ろうと日々頑張ってる。実際助けられた人は、ヴァルに感謝してる。それ自体を無かったこととして俺は扱いたくないです。少なくともそういう人や、俺にとって今のアンタは他の屍鬼とは違う存在です。」

 「…」

 「それに…俺はヴァルのことも、大切な『家族』の1人だと思ってますから。人から身内贔屓で身勝手な考えって思われるでしょうが、それでもやっぱり俺はアンタが大事だし、ずっと幸せでいてほしいって思ってるんですよ。」

 フランはヴァルを真っ直ぐ見つめた。フランにとって今目の前にいるヴァルは、やはり屍鬼より以前に、両親と同じく大事で大好きな身内…家族なのだ。何があってもそこはずっと揺らがない想いであった。

 「この先も幸せに生きるのと、罪滅ぼしを続けるのはまた別でしょう?両立したっておかしくないです。…アンタの罪滅ぼしも、相棒としてこれから手伝います。何百、何千年かかっても、最後まで付き合います。だから俺を、頼ってください。ヴァルのそばに、これからもいさせてください」

 「…」

 ヴァルは無言でフランの顔を見つめ返す。そして深く息を吐いて、また椅子にドサリと座り顔を両手で押さえた。


 「レイシー、スズ…ごめんなさい…オレ、スゲー最低な友人です…お前らの息子を悪い道にばっかひきこんじゃってます…オレはダメな大人です…」

 「…まだ言いますかアンタ…あと俺も大人です。子供扱いやめてくださいよ」

 「うっせー…つか、お前に言い負かされるとか…マジで今日は最悪の日だぜ…フランお前さー、前にも思ったけど頑固過ぎるだろ…」

 「どうも。褒め言葉として受け取っておきますよ」

 「ほんっと生意気だし頑固…昔はあんなに素直で可愛かったのに…マジでめちゃくちゃ可愛かったのに…今は全っ然可愛くねぇー…」

 「…アンタさっきそんな俺が可愛いって言ってましたよね。言われたこと自体は俺納得してないですけど」

 「フン、知らねー!オレ様酔ってたから覚えてねーし!」

 そう言いつつ誤魔化すようにそっぽを向いたヴァルを、フランは黙ってじっと見つめる。その無言の視線に耐えきれなくなったのか,ヴァルはまたため息を一つつき、フランを見ながら少し真剣な声音で吸血鬼の説明をし始めた。

 「…眷属…吸血鬼になるには、主とする吸血鬼の真名を聞いて、その血を飲めばいいんだ」

 「…工程自体は案外お手軽な感じなんですね」

 屍鬼なのに人間と同じように名前がある、それはとても重要なことであった。個としての名がある分力が強く、同時に縛りにもなる。

 例えば吸血鬼をいわゆる使い魔として使役させ、屍鬼退治等をさせる人間も一部存在するが、それはその真名を使って絶対服従の契約を行うからである。

 真名とはそれだけ効力があるものであり、それ故に簡単に人には教えられないものだということを、昔フランはヴァルから聞いていたし、ヴァルの普段の名前が偽名ということも知っていた。

 「まぁな…けど、人間は適合率が低いんだ。体に血が馴染んで完全に吸血鬼化するまでは、なんか滅茶苦茶しんどいって聞いたことはある。あと、その適合ができなかったら最悪死ぬ…お前、それでもマジでやんの?」

 「やります」

 「即答かよ」

 「どうせ人間のままでいても、ヴァルの言う通り、きっとすぐ死にますし。だったらやる方を俺は選びます。成功させればいいだけなんですから」

 「マジでどっからくんのその自信…死ぬかもしれないってのに…お前すげーな、度胸あるわ…」

 「そうですか?」

 「そーだよ…そういうとこは母親似かもな」

 フランの返しにヴァルは少し呆れた顔をして言葉を続ける。

 「…言っとくが、途中で吸血鬼なのが嫌になって人間に戻るとか出来ねーからな。あとオレの眷属になるから他の奴のとこに行くとかもできねーぞ。…ある意味マジで人生棒に振るようなもんだ。本当の本当にいいんだな?」

 「念押しが多いですね。いいです。言ったでしょう、俺はずっとヴァルと一緒にいるって。最後までアンタの隣にいますよ」

 フランはヴァルの目を見て、ゆっくり誓うように言葉を返した。

 今までヴァルを支えたくて、追いついて隣に立ちたくてやってきたのだ。他の奴のところに行く気も、ここまできて人間に戻る気もない。

 それに、ヴァルがあんな風に泣かないでいられるのなら、これから我が身に何が起こっても些細な事だ、とフランは思った。

 「…わかったよ。今からオレの真名を、お前にだけ教えてやる」

 そう言って、ヴァルは向かいに座るフランのそばに近づいて、肩に手を置き、内緒話をするように耳元に顔を近づけた。

 「一回しか言わないからな。聞き漏らすなよ」

 知らない香水やタバコの匂いに混じって、幼い頃から馴染みのある、ヴァルが纏うどこか甘い匂いと、温かい体温が強く感じられる。耳にかかるヴァルの吐息がくすぐったく、フランは少し首をすくめた。

 「オレの名前はな…」

ヴァルは口を開き,ゆっくり言い聞かせるようにその真名を告げた。

 フランは、聞き逃さないように耳に意識を集中させる。ヴァルの低く優しい声で囁かれた真名が、耳を伝ってじわりじわりと脳内に広がり,意識の下に溶けていく。

 ヴァルのだからなのか、初めて聞くはずのその真名が、なぜかとても懐かしく思えた。

 「…アンタ、本当はそんな名前だったんですね」

 「そーだよ。…悪いか?」

 耳元から離れたヴァルの顔を見ると,その顔は少し笑っていた。

 「いいえ。とても素敵な名前だと思います」

 「…フン…オレ様の大事な真名、忘れんなよ。あと、他の奴には今の名前、言うなよ」

 ヴァルは人差し指を自身の口元に立てて言った。

 「言いませんよ」

 ヴァルの真名を知っているのは、自分だけ。その事実が、フランにとってなにか、認めてもらえたような、ヴァルを一段深く知れたような気がして、とても嬉しく思えた。

 同時に、失敗する気は元よりないが、絶対に期待に応えようという気持ちが、より湧いて出た。

 「…あとは血を飲んで適合するだけですね?早くやりましょう」

 「…屍鬼退治人になりたいって言ってた時も思ったけどさぁ…お前マジでこういう時の覚悟決まってんのな…たまに怖くなるわ」

 そう言いながらもヴァルはフランの顎を指でくいと持ち上げて、顔を上に向けさせた。

 そしてヴァルは自身の反対側の手の人差し指を、鋭い犬歯でガリっと噛んでみせる。白い指から、赤い血がぷくりと膨らみ滲んだ。


 「…あのさ…これ自体は賭けだけどさ…オレ、お前とこの先も、ずっと一緒にいたいからさ…だから…絶対死ぬなよ、フラン」


 ヴァルは一瞬不安そうに赤い眼を伏せたが、すぐにそれを振り払うように、真っ直ぐにフランの目を見て微笑んだ。


 「…はい、任せてください」


 フランは応えるように青い眼をゆるりと細めて微笑み、口を開ける。


 そして、ヴァルが手を傾けて垂らした一滴の真紅の血を、その身に受け入れるようにゆっくりと飲み込んだのだった。

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