第3話 生きているならそれでいい

 次にフランが目を覚ました時には、いつもの自分の部屋の天井が見えていた。

 覚醒し切っていないぼやけた思考の中、少しだけ首を動かしてあたりを見渡す。すると、ベッド横で何か本を必死に読んでいたらしいヴァルが気づいて、あっ、と声を上げた。

 「お、きた…よかった…おはよぉー、フラン…大丈夫か?具合はどうだ?やっぱまだ痛むか?」

 「…おはようございます…少し痛いですが、大丈夫です…」

 「そっかぁ…あいつの薬が効いて痛み緩和されてんのかな。わかんねーけど。とはいえさすが、若いから治りが早いな。でも、まだしばらくは安静にしとかねーとなー」

 本を閉じて傍に置き、サングラスをかけながらヴァルは言う。

 あいつ。多分、俺の親父のことだ、とフランは思った。ヴァルの親友でもあるフランの父親は、生前は薬屋だった。ヴァルの部屋に散乱している本やメモ、昔から使っている傷薬や謎の草の類は、おそらく父親からの影響であろう。

 フランは自身の体を見た。包帯などの類もなく、かすり傷ひとつない。手も少し握ったりして動かしてみる。体の機能に問題ないことを確認してから、上半身だけゆっくり起こして尋ねた。

 「…あのあと、どうなりました」

 「あー…しっかり全部、オレが倒したぜー。報酬もちゃんと受け取った。今回は想定外のやつだったからなー。次からは気をつけねぇと…今はもう住人もあそこに戻って、元の暮らしをしてると思うぜ。あと、リーのとこの屍鬼対策のモンも設置してきた。しばらくは大丈夫だとは思うぜ」

 ヴァルはフランを安心させるように少し声のトーンを上げて説明した。

 「…俺、どれくらい寝てましたか」

 「えーと…5日くらいだな」

 「5日…」

 フランは静かに愕然とした。あの失態をした上で、5日間何もできず倒れていたのか。結局お荷物になって、またヴァルに守られてしまっている。

 「…すみません、俺…」

 「謝んなよー。オレはお前が五体満足で生きてんなら、それでいいんだ。マジで、生きててよかった」

 「…」

 優しく穏やかな声で話しながら、ヴァルはクシャリとフランの赤髪の頭を撫でる。それを受けてフランは、キュ、と口をつぐむことしかできなかった。

 「あ、それよりフラン、腹減ってねぇか?なんか作ろうか。いまはまだあれだし粥とかどーよ。いやでも、そんなすぐには物食えねぇか」

 「…いえ、いただきます」

 「オッケ〜。じゃあオレ様特製スペシャル粥を作ってやるぜ!」

 そう言いながら意気揚々と部屋を出ようとするヴァルに、フランは嫌な予感を覚え思わず引き止める。

 「…それ、まさかまた前みたいに変なもの入れたりしませんよね」

 「入れねー入れねー。滋養強壮に効くやつは入れるけど。ヤモリの目玉とか、蛇の血とか」

 「だからそれをやめてください…」



 フランの部屋を出て厨房に立ったヴァルは、安堵の息を吐く。体から力が抜けそうになり、思わず台に手をついた。

 「良かった…マジで…」

 ヴァルはあの時ボロボロになったフランを、怪しい噂もあるがここらで一番腕の良い医者に藁にもすがる思いで診せることにした。なんでもその医者はどんな病気や怪我も治せるとのことだった。


 「これはなかなかですねぇ。全身めちゃくちゃだ。」

 ペストマスクをつけた怪しい風貌のその医者は、病院に担ぎ込まれたフランを一瞥するなり軽い調子でそう言った。

 「先生、フランは…」

 「あれを投与するか…?いやしかしあちらでも…」

 「先生…?」

 「ああ、いえ、なんでもありません。大丈夫です。これを投与してしばらく安静にしておけばそのうち目覚めるでしょう。」

 その医者は何かを誤魔化すようにそう言った後、濁った紫色の謎の液体をどこからか取り出し、フランの腕に手早く注射した。

 「ちょ、待て先生!今フランに何を打った!?変なもんじゃねぇだろうな!?」

 「大丈夫です、ただ傷の回復を促進させる薬ですから」

 ヴァルが焦りながら医者に聞くと、医者はペストマスク越しに顔を見て落ち着いた声で答えた。

 「この薬は、ようは貴方の…屍鬼の傷の超再生と同じことを人為的に起こすんです。とはいえやはり人間の体なので、そんな数秒で全ての傷が綺麗に治ったりはしませんし、その超再生の間は意識は覚醒しませんがね」

 その医者の説明にヴァルは表情を曇らせた。

 「人為的に…って、それ、本当に大丈夫なのかよ…?副作用とかは…」

 「大丈夫ですって。そのうち目覚めますし、その時は怪我も大体治ってますよ。」

 医者のどこか適当な返答にヴァルは顔を近づけて詰め寄った。

 「マジのマジで、大丈夫なんだよな?」

 「マジのマジです。少なくとも『今は死にません』しちゃんと治りますし目覚めますから、安心してください…って、いやですねぇ、そんな怖い顔しないでくださいよ。医者の言うことは信じるものですよ。たとえこんなところに流れ着いた、得体の知れない医者でもね」

 険しい顔のヴァルに医者は淡々とそう返しながら、点滴や何かの機械のコードをフランの腕にとりつけた。

 「治癒状態の間に万が一なにか異常があったらこの機械が音を鳴らして知らせてくれます。まぁでもそれはないと思うので安心してください。それと3日後には退院してもらいますね。ああそうだ、今回のお支払いですが…そうですね、貴方の血をいただけませんか?」

 「ち、血か?オレの?」

 ヴァルは血という言葉に反応して少し顔をこわばらせた。人間の血ならともかく屍鬼である自分の血を欲しがるなど、一体なにが目的なのか。ヴァルはじっと相手の顔を見つめたが、ペストマスクで覆われたそれからはなにも読み取れなかった。

 「ええ。今後の研究のために必要なので。屍鬼の…その中でも吸血鬼であるあなたの血を定期的に我々に提供していただきたいのです。それを了承してくださるのなら、お金は支払わなくて結構です。安全に確実に採取できる貴方の血の方がずっと貴重ですからね」

 「…わ、わかった…オレの血でいいんなら、いくらでも持ってってくれ」

 「それはよかった。では早速」

 医者は嬉しそうにヴァルの血を人間なら死んでしまう量をまるまる採取した後、それを持ってどこかへ行ってしまった。



 そしてヴァルはその日から、仕事の時以外付きっきりでフランが目覚めるのを待っていた。

 実際怪我はもうほとんど治っていたものの、退院の日になってもフランはなぜか目覚めなかった。

 ヴァルが医者に詰め寄ると、

 「そのうち目覚めると言っているのに、貴方は本当に疑り深いですね。次の患者が待ってるので一分も貴方に割く時間はないというのに。とにかく待っていれば目覚めますから。はい、お大事に」

と冷たくあしらわれてしまい、ヴァルは途方に暮れながらフランを連れて事務所に戻った。

 ベッドにフランを寝かせて懸命に介抱していたが、フランが目覚めないその2日間が、ヴァルにはとても長く感じられた。

 

 自身の姿は物に映らないので直接確認はできないが、おそらく今の自分はよっぽど酷い顔をしているんだろうとヴァルは思った。

 フランの心配をして来てくれた人たちが皆、ヴァルにも心配した声をかけてきたからだ。

 実際彼の目には、憔悴からクマがより色濃くできてしまっていた。普段通りに見えるように変身しようと試みたけれど、心が乱れるとどうにもうまくできないらしい。

 だからこそ、ヴァルはみんなの前でまたサングラスをかけて、なるべく明るく元気に振る舞うようにしていた。

 (すぐに隠したし、フランには気づかれてねぇよな…病み上がりのところに余計な気を使わせたくないしな…)

 本当はフランが起きた時に、安堵から泣いてしまいそうになった。しかし、ヴァル自身がそんな所を見せたくなかった。

というより、泣いてしまったらもう、抑えきれないと感じたのだ。

 「…もうあん時みたいになるのは、勘弁だ…」

 フランの人生だし「皆を助けるために」と本人は頑張っているのだから、屍鬼退治人になりたいという夢を応援したい気持ちはある。

 しかし自分たち屍鬼のせいで大事な人をもう失いたくないのもまた、ずっとあるヴァルの本心であった。

 今回のは自分のミスだとヴァルは思った。もっとちゃんと現場状況とフランのことを見ていればよかった。嫌がられても自分の分身体である蝙蝠の1匹でも連れて行かせればよかった。そうしたら未然に防げていたはずなのだ。

 しかし、これから先の仕事や日常生活で過干渉、過保護にしてもフランは納得しないだろう。

 ヴァル自身もそれは同じであった。本当はなるべく、フランのしたいようにさせてあげたいのだ。

 けれども本当に、あの時と同じで、今回フランが生きていたのは医者の腕もあれど奇跡だとヴァルは思った。そしてだからこそ、次はそんな奇跡はもうないかもしれない、と、ヴァルは心の中でつぶやいた。

 ふと、武器屋の店主のリーから言われた言葉を思い出す。

 「屍鬼も人間も、みんないつか朽ちて消える。死んだらそれまでじゃ。どうにもできんわ」

 あれは昔、リーの発明品のテスト終わりに二人で飲んでいた時だった。ヴァルがなんとなしに「死者蘇生ってできると思うか?」と聞いた時に、リーが冷たく返してきた言葉であった。

 みんないつか、なにかしらで死んでしまう。意識としていつまでもそれを直視せずにいる場合ではないというのはわかっていても、昔からずっと、情けないことにどうしても逃げてしまう。


 ヴァルはただただ、フランまで死んでしまうのが、大事な人間がこの世から消えてしまうのが怖かった。


 「…フラン…お前に死んで欲しくねぇよ…」


 ヴァルのか細い声で吐き出されたその言葉は、ひっそりと虚しくその場に消えていった。

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