出会う女たち

 試合の終わり、フィスタは会場の近くのバーのカウンターで飲んでいた。だが、飲んでいるのは酒ではなくプロテインのミルク割りだった。


「そんなのこんなところで飲んで楽しいのかい?」


 フィスタが振り向くと、そこにはシュェリーがいた。


「……酒を飲んでも酔えないタイプなんだ」

 フィスタが言う。


「強すぎて酒がつまんないタイプか……隣に座っても?」


「大丈夫だよ、女もイケる口だから」


「……。」


「誤解があったら謝るよ。口っていうのは別にアソコをぺろぺろすることじゃなくて……。」


「……。」


「むしろぺろぺろされたい方っていうか……ああごめんなさい、あたしったら緊張すると余計なことばかり口走る性格だからさ……。」


「そういう奴も珍しくはないさ」


「でもこれだけは大切なことだから言わせて。ディルド道具を使われるのは、絶対に、いや」


「……。」


「……何だかあたしたち、始め方を間違えたみたいだね。もうワンテイクやってもらえる?」


「……隣に座っても?」


「失せな、の来るところじゃねぇよ」


「あんた、発達障害って診断されたことない?」


「ごめんなさい、チャンピオンに話しかけられてどう答えていいか分かんなくって……。」


「少なくとも、どの選択も間違えてることは間違いないね……あんた、私のこと知ってるんだ?」


「もちろん、街は今、あなたの話題で持ちきりだもの」


「……まぁいいさ。マスター、いつものやつ」


「あいよ」

 髭面の店主が言った。


「チャンピオンに話しかけられて緊張……。」

 シュェリーは鼻で笑った。


「ぺろぺろネタが今になってじわってきた?」


「違うよ、あんたがそんなタマじゃないってことくらいは分かるってこと。あんた相当強いだろ? 謙遜しないでよ? エリカは確かにトップ戦線にはいないけど、あんなに圧倒的に差をつけられるタイプでもない。これまでの黒星は全部判定だった。それに、試合後にあんなマイクパフォーマンスしといて、今さら緊張とかある?」


「あ~、あたしミーハーだからさぁ、有名人と話すとどぎまぎしちゃうんだ。話す時には前もって台本作るタイプだし、今だって、あたしから話しかけるんだったらもうちょっとうまくいったよ? カウンターに座っているあなたの背中を見たら、いったんお手洗いに行って深呼吸して、色々言うこと決めて、そしてさりげなく横に座ってたね」


「なら、その場合はなんて言ってたの?」


「何も言わない。ホテルの部屋のキーをさりげなくカウンターに置いて、そしてマスターと少し世間話したら、鍵を置いたまま立ち去るの。で、あなたはあたしを追いかけるわけ。そして追いつくのはホテルの部屋の前、鍵を渡してくれたあなたにあたしは横目で部屋の扉を見ながら言うの、“お礼をしたいから中で話せない?”って。それから夜が明けるまでふたりの駆け引きが続くのよ」


「……台本っていうか、そりゃあ脚本だね。だいたい駆け引きって何だい?」


「朝までジェンガ」


「……大の大人が、朝までジェンガ?」


「そう、丁寧に、の振動を感じながら、崩れてしまわないように、優しい吐息と指先で触れるの」

 そう言って、フィスタは左手の人差し指と親指で輪っかをつくり、右の人差指をその輪っかに抜き差しした。


「……ジェンガって何かの隠語だったっけ?」


「多分違うと思う」


「あれだけ強いのに、ふざけた女だね。ところで……いくつか聞きたいことがあるんだけど、大丈夫?」


「コンプライアンスに触れない限りは何でも聞いて」


「……そう。まず、これまでどこかで戦ってたんだい? あれが初めてってわけじゃないでしょ?」


「普段はプライベーターをやってるから」


「なるほど。実戦中の実戦ってわけか……。それにしても、習得してる技術の幅が広いんだね? テコンドーとカポエラを一緒に使う奴なんてそうそう見ない。どこで格闘技を?」


「無料動画サイトに転がってる格闘技とか武術の動画を見て勉強したんだ」


「……ああそう」

 嘘だと思ったらしく、シュェリーは鼻で笑った。


「こちらからも聞いて良い?」


「正直に答えるとは限らないよ?」


「ひどい、あたしは洗いざらい話したのにっ」


「動画サイトが?」


「あたし天才だから」


「そう……いいよ、聞きな」


「あの地下格闘技場で、マッチメイカーやってるのはあんた?」


「ああ、そうだ。最終的な決定権はボスにあるけれどね」


「そっか、じゃあ話が速いや、ボスに会わせてよ。あんたのところのボス、気に入った闘技者しか直接会わないんでしょ?」


「そのためには、強さを証明する必要がある」


「それをあなたにお願いしてるの」


「……そもそも、会ってどうするんだ?」


「プライベーターから足を洗いたくってさ。この間、友達が悪党にリンチにあって、最期は頭をバットでぼこぼこに殴られて殺されたんだ。棺桶の中は見せちゃくれなかった……。確かに地下格闘技場も危険だけどさ、蹂躙されて殺される何てことはないだろうからさ……。で、せめて闘技者になるんだったら、トップになって美味しい思いをしたいってわけ」


「……なるほど」


「できることなら最短の最速で。そのためには強い奴と戦うのが一番でしょ?」


「……それなら、実力差がある相手を派手に倒すっていうのもある。客が湧けば、それはそれでボスのお気に入りになる」


「それはいや」

 フィスタはきっぱりと言った。


「……なぜだ?」


「相手を侮辱するような戦い方はしたくないの」


「ははっ真面目かよ。……え? 本気なのかい?」


「そうだよ?」


 シュェリーはエリカとの試合を思い出した。

「確かに……あんた、あの試合、エリカに花は持たせなかったけど、株を下げるような真似はしなかったね。最初のガードポジションから手堅く勝てたはずなのに……。なぜあんなことを?」


「言ってるでしょ、相手を侮辱するような戦い方はしたくないの。娘に会った時に恥ることがない母親でいたいからね」


「娘が?」


「そ、もう何年も会ってないけどね」


「なるほど、家族のためか。……分からないでもない。私にも弟がいる。たった一人の家族なんだ。私も、弟のためだから頑張っていられるからね」


「あら、何だかあたしたち、似た者同士じゃない?」


「ふん、もしかしたらそうかもね」

 シュェリーは少し考えてから言う。

「これももしかして台本だった?」


「そんなことないよ、娘をにして話なんてしないから」


「……何だかんだ言ってあんた、結構身持ちが硬いんだね」


「おビッチなのは口だけだよ。身をささげた相手は夫だけだしね」


「へぇすごい、こんな時代に純愛じゃないのさ。愛しのその人とはどんな出会いだったの?」


「実は、あたし物心つく前から真っ白な窓ひとつない施設で夫とふたりきり育てられてて……。」


「おおっと、そりゃバーで聞くにはヘヴィすぎないかね?」


「二話にしては駆け足だったね」


「うん?」


「まぁ、娘に会った時に、いきなり恋人やら夫やらがいたら、娘も受け入れるのに準備がいるだろうから……。」


「なるほどね……。まぁ、あんたにあんたなりの事情があることは分かったよ。だったら、今度の私の試合を見るといい。それでも……ここのチャンピオンと戦いたってんなら、マッチメイクをしてあげるよ……。」


 夜がさらに更け、フィスタとシュェリーが別れた後、夜道を歩くフィスタに声がかかった。

「どうだった? あそこのチャンピオンは?」


「そうとう使える奴だね。しかも中国拳法がベースときた。珍しいよ」

 フィスタが答えると、陰からチャカが現れた。

「そっちはどうなのさ? 何か収穫は?」


 チャカは白いヘルメットを撫でながら言う。

「セキュリティががっちがちだ。忍び込もうにもリスクがでかい。見つかったら不法侵入で運が良ければプライベーターのライセンスはく奪、悪けりゃ奴らに八つ裂きだ」


「ふーん、じゃあやっぱりプランAでいくしかないのかぁ」


「それに関しては俺の仕事はほとんどねぇ。お前任せ何だが、大丈夫か?」


「あら、心配してくれてるんだ?」


「大丈夫か? っていうのは、へまをやらないか馬鹿をやらないかって意味だよ」


「どっちがいい?」


「……。」


「あっは、冗談だよ。あたしが負けると思う?」


「どんなチャンプだって、生涯で一度は敗北するもんさ」


「キックボクシングだとスティーブン・トンプソン※、総合格闘技だとハビブ・ヌルマゴメドフが生涯無敗だったね」

(ただし、総合格闘技に転向してからは黒星を喫している)


「それくらいだろ?」


「ボクシングだともっといるよ? フロイド・メイウェザー・ジュニア、ロッキー・マルシアノ、エドウィン・バレロなんて全試合KO勝利パーフェクトレコードだったし」


「わぁかったよ、格闘技オタクめ。何事も、万が一っていう事があるだろう。そう言いたいんだ」


「あたしに限って万が一?」


「……。」


「ま、あるかもだわね」


「ふんっ」

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