第10話 リリィは笑って欲しかった。
リリー・ベッカー。
彼女を一言で表すなら、『幼馴染み』と言う以外には無いだろう。
数年ほど前、彼女には親しい友人がいた。
「リリィ」
無邪気な笑顔で、名前を呼んでくれた。
出会った時を、もう彼は覚えてもいないのだろうけど。
息苦しい家から抜け出して訪れた公園にて、
「わああああああ!!!」
木に登って、降りられなくなってる男の子。幸いにも私は木登りが得意で、彼を助ける事が出来た。
「ありがとう……死ぬかと思ったぁ」
どうやら木に登ったのは、降りられなくなった子猫を助けるため。でも肝心の子猫は逃げてしまい、降りられない自分だけが残ったのこと。
「ば、」
『馬鹿なの?』と言いそうになって口をつぐむ。通っていた国際学校付属の幼稚園でも、この歯に衣着せぬ口調のせいでトラブルを招いていたから。
「お、馬鹿だぞ? 俺の名前、
まるで当たり前の事かのように言ってのける目の前の少年。
「馬鹿みたいに、何でもする。誰でも助ける。格好いいだろ?」
意味不明な言葉を並べる彼の屈託の無い笑みが、私には眩しかった。
「馬鹿じゃ無いの?」
「おう、馬鹿さ」
彼は『いつでもこの公園に居るから、今度お礼をさせて』と言っていた。翌日、
「見てこれ!!」
手にいっぱいの花。
野原に咲いているような、ありふれた花たちを彼はクローバーで編んだリボンで結んでる。
「ありがとう、キレイな人」
歯の浮くようなセリフを、満面の笑みで語る。この時、私は。目の前の馬鹿がどんな人物なのか気になってしまったのだ。
「私、リリー」
「リリィ??」
発音が違うけど、まぁいいや。
「よろしくね、与太郎」
それからというもの、公園で会うのが日課になった。物心ついても、友人らしい友人の居なかった私の様子を心配してた両親は喜んでいたを覚えている。
「リリィ」
いつも私の名前を呼びながら笑顔で振り返る与太郎。彼は足が速いはずなのに、いつも私に歩調を合わせていた。
母が入院して泣いていた時。彼は精一杯、私を笑わせようとしてくれたこともあった。母が居なくなってしまうかもしれない不安、寂しさに押し潰されそうで。
「リリィ、なかないで。なかないで」
泣き止まない私に、彼はオロオロとするばかり。泣いても、どうしようもないと幼いながら分かっていた。なのに……
目の前の馬鹿だけは、違った。
「……リリィ、約束する。おれが、君を一人にしない」
まだ言葉もろくに知らない子供同士だったはずなのに、
「どんな事があっても、絶対君の
一番欲しい言葉を、彼はくれた。
「どうか、笑って。君の笑顔を見せてくれ」
なぜか、与太郎の方が泣いていた。
もらい泣きにしては、苦しそう。
一緒に泣いてくれたことが嬉しくて、少し笑う事ができた。
「へぇ。じゃあ一生、私と居てくれるんだ?」
落ち着いてきら何だか恥ずかしくなって、与太郎をからかう。
「うん」
彼は
からかったはずなのに、あまりにも素直過ぎる彼に私が恥ずかしくなってしまう。
「け、ケッコンするってこと?」
「うん」
子供同士の
「寂しくさせないんでしょ?」
「うん」
さっきの威勢はどこへやら。すっかりしょぼくれてしまった与太郎は『うん』しか言わない。
「じゃあ、子供を私にいっぱい生ませるってこと?」
「うん(意味分かってない)」
「へ?!」
私は、恥ずかしくて誤魔化してしまった。でも……
「……よーちゃん」
「ん? 駄菓子? 買いに行く?」
「お前の事だよ!!」
彼をこう呼ぶことにした。与太郎が示してくれる親愛に、私なりに精一杯答えたかったから。
この後というもの、特に母には何もなくて(痔の手術だったらしい)与太郎と一緒に日々を過ごした。幼稚園から、そのまま国際学校へ進学しそうになった時。一晩中、『与太郎と一緒の学校がいい!!』と親相手に駄々をこねたのが、今となっては懐かしい。
入った小学校では外国人特有の見た目のせいで、いじめられるのではと両親は心配していたがそんな事は無く。
「リリィ」
相変わらず、与太郎と一緒にいた。
でも小学校高学年になってからというもの、やはり男女で一緒に居るのはからかわれるようで。
同級生にからかわれ私から離れた与太郎は、歩道から飛び出してしまった。
「危ない!」
彼を庇って車に跳ねられた……が。幸いすぐに救急車が来て、命に別状はない。足に少し手術の跡は残ったが一年を待たずに消えつつあった。
なのに、
「よ、よーちゃん」
「はい、どなたですか?」
数ヶ月ぶりに会った彼は、別人のようになっていた。
「え、私。リリィだよ? そんな冗談止めて」
「り、リィ?」
彼の見開かれた瞳で、分かった。
「ちがっ、俺が!! いやっ、リリィ!!」
耳をつんざくような絶叫が、教えてくれた。
「ごめん……ごめんよ。リリィ」
私が会えなかった数ヶ月。
彼の中に積もった罪悪感が、彼を壊した。
『見えているものすら現実か、幻覚か分からない』。後に聞いた、彼の状況だった。
「ごめん……リリィ」
私はここにいるのに、彼だけが遠くにいた。
私に、笑いかけてくれたあの太陽のような笑みは。
もう何処にも無かった。
「……嘘つき」
この時、
後に私はずっと後悔する事になる。
「ずっと一緒に居るって言ったじゃん!!」
あふれ出してしまった思いの止め方が分からなかった。
「寂しい思いさせないって言ったじゃん!!」
与太郎は頭を抱え、見開いた目で私を見る。捨てられた犬みたいな目に、どうしようもない怒りが
「嘘つき!!! 与太郎の嘘つき!!!」
狂ってしまってる彼を置いて、走った。わんわん泣いて、家に帰った。
「嘘つき……」
小学六年生の夏。
私の初恋は、こうして終わった。
与太郎とは、別の中学に進んだ。
目を引く見た目だからか、何人かに告白されたりしたけれど。
でもどいつもこいつも、薄ら笑うような笑みばかり貼り付けて、気持ち悪かった。
「笑い方キモいから、無理」
中学で終われば良かったのに、私の進学した先は中高一貫。人間関係は保存されるものだから、そのうち私は女子から目の敵にされるようになった。
物を隠されるのは当たり前。
机の上の花瓶も見慣れる暗いには置かれたと思う。
いつか、飛びこもうかと思った駅のホームで『絶対に救う』と懐かしい声が聞こえた気がして振り向いた。でもそこには誰も居なくて、弱った私の心が作り上げた幻聴なのだと分かると、乾いた笑みが漏れた。
この日を
「先輩~、ヤッちゃって良い奴用意しましたよ~」
「マジ? この子ほんとにヤッちゃっていい感じ?」
私をいじめる主犯格の女子に連れてこられた路地裏。姿を見せた他校の生徒と思われる男は下卑た笑みを浮かべ、股間をごそごそとやりながら近づいてきた。
「……いやっ」
「逃げんなって」
逃げだそうとして、いじめてくる女子連中に足を掛けられ転ぶ。
「へぇ、ハーフってやつ? まぁ、楽しませくれればぁヒィィィィィィィィィ♥」
「先輩?!」
目の前の男が突如として、
「言ったよなぁ、『絶対に救う』って!!」
苦しそうな笑みを浮かべた、与太郎だった。
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