第十八巻 涙

 視線を落とし、大地を見つめる。


『自分の為に、自分の大切な人が苦しむのを見たい?』

『はあ? あたしの為に誰か苦しんでる人がいるって言いたいの? 見る見ないの問題じゃない。そんな奴いないのよ!』

「……ナワミサキか」


 ヨホロは二本目の煙草を吸い始めた。


『ナワミサキは君の為に稲生いのう花中かなかを見つけたんだよね』

『それがどうしたのよ』

『どうして自分の身代わりにしなかったんだろう。そしたら自分が自由になれるのに』


 そこまで言うと、彼女の毛を掴む手の力が緩んだ。


『ナワミサキは片言だった。単純に元の力がないだけかと思ったけど、君の為にたくさん力を使ってきたからじゃないの?』

『それは……』

『君を七人御先しちにんみさきから解放してあげたかったのが、ナワミサキの願いだったんじゃないのかな』

『そんなこと知らないし、ただの憶測じゃない!』


 俺は身震いをして、彼女を振り落とした。動揺した彼女を落とすことは容易だった。

 くるりと踵を返し、彼女と対面する。赤い瞳は微塵も俺が言ったことを信じるつもりはないらしい。


『考えることをやめたらダメだ』


 本当は嫌だけど、ちゃんと考えてほしいから、化け猫の力を借りよう。

 ちゃんと考えて。相手のことを思って。

 真っ直ぐに彼女の視線を捉えると、彼女は暴れることなく座り込んだ。

 ——さあ、落ち着いて、ちゃんとお話をして。


『ナワミサキは古くからいた』

『君は比較的新参者なん?』

『ええ、そうよ。みんなは自由になりたくて必死に人間を探してた。でも、ナワミサキだけはあたしを気にかけてくれた。怪異のくせに』


 素直に答えてくれる。これが化け猫の力ではなく、本人の意思でいてほしかった。

 ヘッドホンを外し、ヨホロが口を開く。


「なぜナワミサキがおめーに拘っていた理由が知りたいか?」


 ヨホロは白い煙を天に向かって吹きかけた。


根街ねがい籌子かずこ。おめーの母親だよ。根街しまさん」


 聞いた瞬間、嶌と呼ばれた彼女の瞳に光が差す。大きく見開いた。


『名前……ねがい、しま。ナワミサキは、あたしのおかあさん?』

「怪異は生前の記憶を無くす奴が多いから、忘れてても仕方がない」


 せきを切ったように、彼女は泣き始めた。

『お母さん』と、空に向かって何度も呼ぶ。

 嶌は、母親は早く亡くなったと言っていた。

 母親は、まさか娘が同じ七人御先になってしまうと思いもしなかっただろう。

 生前叶わなかったが、怪異になってから娘を可愛がっていたのかもしれない。七人御先に自由が少なくても、少しでも多くの時間を過ごせただろう。


『どうして、母だと教えてくれなかったんだろ』


 何度も涙を拭う嶌に、ヨホロは彼女の頭に手を乗せる。

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