第十六巻 人間であることをやめた瞬間

 人間の殻を破る。

 小さく収まっていた四肢を思い切り動かして、殻を脱ぎ捨てた。


『グルルッ』


 血の通った鋭くて大きな爪。

 獲物を噛みちぎる牙。

 銀色の毛並みの太くて、長い尾をゆらりと揺らす。

 大きく吠えると、人間よりも大きな体を俊敏に動かした。


『絶対に助ける!』


 間に合うか間に合わないかじゃない。

 花中かなかが地に落ちるまでに間に合わせるんだ。

 小さな頭がグランドにぶつかる寸前で、彼女の白い脚を甘噛みする。力加減がわからず、細い脚を噛み砕いてしまわないかと、あたふたしながら地に降り立った。

 ゆっくりと彼女の体を下ろす。


『ふうー……よかった』


 彼女の顔を覗き込む。再び意識を失ったのか、目は閉じたままだった。

 そこに、一足遅く降り立つ気配を感じた。


「よぉ、猫の怪異」


 ヨホロの声だ。

 その低い声を聞いて、猫の耳がピクリと震える。そして、全身に冷や汗をかく。

 ヨホロはこの世にいる怪異を殺す仕事を担う獄丁ごくてい

 人間だと豪語しておきながら、こうやって人間のピンチに怪異の姿を曝け出してしまうとは、なんという失態。


「やっと化け猫の姿を現したか」

『降りてくるの早くない?……もしかして、わざと敵に捕まってた?』

「そー」


 ニヤリと嗤う。

 ああ、やっぱりコイツは嫌いなタイプだ。

 その時、すぐ後ろから女の声がした。


『どうして邪魔をするの』


 すぐに振り返ると、彼女を前に佇む七人御先しちにんみさきがいた。


『君に人間を殺させたくない!』

『呪い殺さないと、あたしは自由になれないの。邪魔しないで』


 彼女は瞳孔を広げ、右手を前に出した直後に突風が襲う。その中に紛れて、屋上から大きなものが落ちてきた。


『椅子⁉︎ 机まで落ちて……って、やけに量が多くない⁉︎』


 わーわー逃げていると、ヨホロはポケットに手を突っ込み、ひと蹴りすると物が全て粉々になった。


「随分と酷なことを言うね」

『な、何の話?』

「七人御先は、人間を一人殺せば七人御先の一人が成仏し、殺された人間が新たなメンバーに加わる。身代わりを用意することが、唯一、七人御先から逃げられる手段なんだよ」

『でも、それじゃあ誰かが苦しむことになるじゃないか!』

「それが七人御先の最大の呪いなんじゃない」


 そう言って、拳を見せつけるように出した。

 だから、俺はそんな彼の前に身を乗り出す。


「何のつもり?」

『君を止めるつもり。この怪異は殺させない』

「怪異を助けるには殺すしか道はない」

『それじゃあダメなんだ! 怪異だからこそ、悲劇から救わないと!』

「どうやって?」

『それは……』


 俺は解決法を知らない。

 彼女は細く尖った殺気を放つ。


『邪魔をしないでよ』


 その微かな危険を、俺は回避することを躊躇った。


『そ、そんなガラクタじゃあ俺は殺せないよ。痛いけど』


 包丁を刃を上にして、太ももに突き刺さる。家庭科室にあるものだろうか。彼女は渾身の力で深く刺していく。


『知ってる。化け猫はこれくらいでは死なないよね。でも、呪いは入れられるわ』


 刃に自らの腕を置く。

 それを見て、すぐに察知する。彼女の腕を切り、その血を俺の体内に入れようとしているのだ。

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