第十四巻 地に留まっていいのは生者のみ

 一瞬、意識が完全に飛んでいた。

 気づいた時には、俺の首を絞めていた怪異が倒れていた。


「ゲホッゴホッ」


 突然空気が入ってきたことに驚いた体が咳き込む。

 垂れた唾液を右の甲で拭い、横たわる怪異と目が合った。

 小刻みに震える右手が差し出される。


『ワタシ、臭イ?』


 答える余裕などない。まずは息を整える。


『ワタシ、オ風呂ニ入ッタライケナイノ』

「え⁉︎」

『オ母サンガ入ッタラ駄目ダッテ。ワタシハ〝存在シナイ子供〟ダカラ水モ使エナイ、ゴ飯モ食ベサセテモラエナカッタ』

「君は……」

『学校ニ行ッタラ給食ガ食ベラレテ幸セダッタ。デモ、ミンナハワタシガ臭イカラ学校ニ来ルナッテ言ウノ』


 彼女の双眸から涙が流れる。


『ワタシハばい菌ナノ? 汚物ナノ?』

「クラスから虐められて、つらかったね」

『周リノ人タチニ死ね、テ言ワレタカラ、首ヲ吊ッテ死ンダ。アノ子ヲ置イテ』


 ——あの子って、クラスの友達とかかな。


「そんな悲しいことを言わないでよ」

『ワタシ、可哀想? ジャア、友達ニ、ナッテクレル?』


 ——友達くらいならいいか。


「う——」


 うん。

 そう答える前に、二発目の発砲音が耳を貫いた。


「おめーは七人御先しちにんみさきになるつもり?」


 背中に当たるヨホロの足。

 彼は構えている銃から、かすかに煙が出ていた。


「な、何を……!」

「『うん』なんて答えてたら、七人御先になってたけど、助けない方が良かった?」


 少し苛ついたような顔だった。


「……ありがと」


 七人御先になるつもりはない。

 でも、彼女の心は救われない。


「あ! 花中かなかは⁉︎」


 振り返ると、その場に倒れる花中がいた。

「よかった……七人御先にならずに済んだんだ」安堵して、胸を撫で下ろす。


「まあ、七人御先を全員殺したし、これで人間らも安心して暮らせるだろ」


「ちょーど弾も切れたし」ヨホロは銃を収めた。


「ヨホロ……は、生きてる人間の味方なんだね」

「そーゆーロクマンは『普通の人間』のくせに怪異の味方?」

「誰かの味方のつもりはないよ。ただ怪異を生み出すのも生きてる人間だから……人間の都合で消されるのも、どうなんかな、て。せめて救われてほしいなって思うだけで」


 落ちようとする太陽を眺めながら、ヨホロはタバコに火をつける。


「獄丁はこの世を生きる人間の為に作られた組織。この世は生ある者の為だけにある。死んだ奴が邪魔をしちゃーいけない。命を脅かすなんざあってはならない」


 思い切り天に息を吐くと、白い煙がのぼる。


「死んだら天に昇れ。地に留まっていいのは生者のみだ」


 俺を一瞥する。その視線が痛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る