第十二巻 悲劇から産まれる

 初めて来た屋上は風が吹いて、気分が晴れ晴れする。

 そこから見下ろす地上はどこか魅力的なものがあった。

 屋上から落ちたら、とても気持ちがよさそうな気がした——そんなはずがないのに。気持ち良いどころか、死んでしまうだろう。


 屋上の端には一人の女が立っていた。

 首が長い女性。


『ワタシ、臭イ?』


 初めて会った時も臭いを気にしていた。

 彼女が人間だった頃、死ぬ直前に最も印象強かったことなのだろう。


「臭く、ないよ」


 俺は嘘をついた。

 他の人間より鼻が効く。彼女の臭いは独特だった。服に染み付いた血と尿と腐敗が混ざった臭い。


「君はここで飛び降りたの? それとも首を吊ったの?」


 その問いに不思議そうな目をしていた。そして重たい口を開いた時、


「死因はどうでもいい。要因もどうでもいい。まず死ね」


 ヨホロが勢いよく飛び込んで、右の拳が彼女の顔面を殴る。

 細い女性の体は簡単に崩れた。


「な……急に何するんだよ!」

「ロクマン。獄丁の仕事はこーゆーもんだ。これが僕の仕事。任された仕事だ」

「違う!」


 俺は緑色の炎に燃える怪異の前に飛び込んだ。


「死ねや殺せやじゃなくて、もっと話を聞いてあげようよ!」

「なぜ?」


 ヨホロは傷一ついていない拳に息を吹きかけ、腕を組んだ。


「怪異である君も知ってるでしょ⁉︎」


 彼は本当に知らないかのように、首を傾げる。


「怪異は悲劇の中から産まれる」


 この時、俺は気づかなかった。

 炎に焼かれながらも、一度崩れた怪異の体が動いていたことを。


「悲劇が解決しない限り、怪異はまた産まれるんだよ⁉︎」


 黙って俺を見ていたヨホロが口を開く。片眉を寄せて、苛立っているようだった。


「怪異として死ねば、二度は産まれない」

「その考え方は間違ってる! 怪異は人間じゃない! 肉体を持たず、ただ恨みや悲しみが具現化してるんだ!」

「そう言うなら、何で僕が存在するんだ? 獄丁の意味は? おめー如きがわかったような口を聞くな!」


 怒号のある声が怖くて、俺は体を震わせた。

 と、首を掴まれたかのように、突然生暖かくなった。



『アナタハ私ノ気持チ、ワカッテクレル?』



 その声は、ここでヨホロに殺されたはずのナワミサキだった。

「あ」振り返ることも逃げることもできずに、グイッと首を絞められる。

 ——油断した。

 やはり、怪異は死なない。

 何度だって蘇る。


「殺し損ねたか」


 ヨホロは冷めた眼差しで俺たちを見ていた。怪異が蘇ったわけではないと視線でも語り、俺の話を聞き入れそうになかった。

 だが、俺はそれどころではない。


「かはッ……がっ!」


 苦しい。

 息ができない。空気が微塵も肺に入らない。


「だず……げでっ‼︎」

「あー? 誰に何だって?」


 ヨホロはわざとらしく右耳に手を当てた。

 俺が助けを求めているのをわかってるくせに。

 意地が悪い。一番嫌いなタイプだ、コイツ。


「だ、だずげ……ッ‼︎」


 目で訴える。

 唾液が口の端から垂れる。視界も白んで、もうダメだと思った。

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