8-4

「それでは、勇者様ご一行に感謝と祈りを」

 歓迎の宴は、日の入りとほぼ同時に始まった。

 村の中央──客用宿舎の近くにある広場に大きな焚火が用意され、それを囲むように席が設けられている。銘々に酒の杯が配られ、村長の音頭で乾杯した。

 酒は無色透明で、ほのかに花のような香りがした。口に含むと、かすかな甘みとともにその香りが広がり、さわやかな後味を残して散っていく。

「うまい」

 ゼノは思わずつぶやいたが、原料は聞かぬが花というものだろう。

 つまみは、緑の植物を茹でて味付けしたものだったが、これには見覚えがある。畑でくねくねとうごめいていたあれだ。調理されたいまはぴくりとも動かず、ただの葉野菜にしか見えない。恐る恐る噛んでみると、ほろ苦く、なんとも後を引く味わいだった。

 ゼノがこの旅で身をもって学習したことの一つは、食材の見た目と味は決して比例しない、ということだ。もちろん、見た目どおりまずいものも多々あるが、食わず嫌いは損をする。クレシュやユァンの勧めるものはたいていいけた。ということは、ここで供されるものも、できるだけ味わっておくべきだろう。

 トアルや村の子供たちは、酒の代わりに、何かの果汁をもらっておいしそうに飲んでいる。

 ──なんだか、鼬村を思い出すなあ。

 ほろ酔い気分でゼノは思った。

 人里離れた秘境の集落。魔物を食材としてたくましく生活する住民。見た目は違えども、二つの村はよく似ている。考えてみれば、どちらも連環の魔王に所縁のある村だ。クレシュとユァンがすぐに意気投合したのも、むべなるかな。

 そのユァンは、いまは村人たちに大人気で、被毛に触りたがる子供たちや、会話を求める子供たち、さらにはその親たちにも囲まれて、そこだけにぎやかなことこのうえない。

「勇者様。いかがですか、もう一杯」

「あ、いただきます」

 ゼノも忘れられているわけではなく、新しい料理とは別に、だれかしらが酒をつぎに来てくれる。

 心配していた過剰な期待や品定めの視線を感じることはなく、ごくしぜんに受け入れてもらえている雰囲気なのがありがたい。昔から勇者と関わりを持ってきたこの村では、勇者の存在そのものもあたりまえなのかもしれない。

 ──居心地は悪くないよなあ。

 頻繁に揺れるのにはまだ慣れないが、それを除けば静かで平穏な空気に満ちているようだ。周りを迷いの霧に囲まれているせいで、よけいなものが入ってこないからだろうか。村人以外は魔物しかいないような環境だが、ここではそれが日常の風景になっている。

 もっともそれは、住民がおしなべて優秀なためだ。老若男女を問わず全員が、厳しい環境に鍛えられた機能的な体つきをしている。ゼノなら一日ももたないだろうが、彼らにとっては、ここでの暮らしこそがふつうなのだ。

 運ばれてくる前菜は、見たことのないものばかりだったが、原形をとどめていなければとくに気にならない。どれもおいしくいただき、ほどよい腹具合になったころに、今夜の目玉であるドーチャの肉が登場した。

 硬い皮を皿のようにして蒸しあげられた肉は、薄い桃色で、獣肉と魚肉を足して二で割ったような見た目だった。熱々の湯気が立っているところに酢を垂らし、中の身だけを食べるのだと教えられ、そのとおりにしてみると、これがまさに絶品だった。

 くせのない肉汁のうまみが口の中に広がり、驚くほど柔らかい肉が舌の上でほろほろと崩れる。繊細な味わいにもかかわらず、しっかり食べたという満足感もあり、いくらでも食べられるような、このへんでやめておいたほうがいいような、なんとも悩ましい気持ちにさせられる。

 結局、うまいうまいと言いながら何度もおかわりしてしまったが、胃にもたれることもなく、どれだけ食べても美味だった。

 ほかの三人や村人たちも、思い思いに舌鼓を打っている。

 注がれるままに飲んでいたせいで、だいぶ酔いがまわってきた。尿意をもよおしたゼノは、トアルをユァンに任せ、ふらつく足取りで宿舎の厠へ向かった。

「勇者様」

 用を足して戻ろうとすると、暗がりで声をかけられた。若い女の声だ。

「こんなところにいらしたのですね」

 するりと腕に手をまわされ、しなやかな体を押しつけられる。

「どうぞこちらへ」

 ──こちら? どこ?

 酔った頭はうまく回らず、ゼノは促されるままに歩きはじめた。

 宴会場の焚火を避けるように大きく迂回し、小川に沿って点在する家の一つに導かれる。

 通された部屋は、小さな油灯が一つあるだけで薄暗く、寝床が用意されていた。

「いや……寝るなら、自分の部屋で……」

 ぐずる子供のようにもごもご言っているところを押し倒され、衣服に手をかけられて初めて、何やら様子がおかしいことに気づいた。

「あっ、あのっ……何を……?」

「しーっ。何もおっしゃらないで」

 気づけば、いつのまにか相手も半裸になっている。なまめかしく素肌を重ねられて、思わず反応しそうになった。

「わーっ! 待って! 待ってください!」

 慌てて押しのけようとしたが、酔っているせいで力が入らず、逆に押さえつけられてしまう。

 クレシュと同様、鍛えられて贅肉の少ない、しなやかな体。力も強く、ゼノの衣服をやすやすと剥ぎ取ると、改めて肌を合わせてくる。

 ──こ……これはさすがに……まずくないか!?

 ゼノはもうろうとする頭で考えた。

 ここは、畏れ多くもクレシュが生まれ育った村で、鍵の監視と勇者の案内を代々務める敬虔な人々が住む村だ。こんなところで、たとえ酔って判断力が落ちていたとはいえ、村の大事な一員に手を出したとあっては、勇者の名折れ、とんでもない失態だ。クレシュの顔にも泥を塗ることになる。

 実際に手を出しているのは相手のほうなのだが、酔っていてそこまで頭が回らない。

「すっ……すみません、すみません!」

 よくわからない謝罪をくりかえしながら、どうにか相手の下から這い出すと、かき集めた衣服を身に着けてほうほうの体で外へ逃げ出した。

 暗がりのなか、何かにつまずいて無様に転倒する。

「どうなさいました、勇者様?」

 先ほどとは別の女の声がして、思いがけず強い力で助け起こされた。

「あら、膝から血が。手当てしないと」

「いえ……だ、大丈夫です」

「そんなことをおっしゃらず。そのまま戻っては、みなさんに心配されますよ」

 それもそうかと、手を引かれて女の家に入る。

 先の女よりも年かさで、ゼノと同年代と思われた。慣れた手つきで傷口を洗って薬を塗り、簡単にズボンの染み抜きまでしてくれた。

「ありがとうございます。助かりました」

「とんでもない。たいしたことではありませんわ」

 女は頬を染めて言い、染み抜きしたズボンを丁寧に畳んで遠くに置いた。

「あ、すぐに穿きますから」

「そうおっしゃらず、ゆっくりしていってくださいな」

 女はにじり寄ってきて、ゼノの剝き出しの太腿に手を置いた。

「……え?」

「とうぶん宴は終わりませんもの。時間はたっぷりありましてよ」

「あ……あのう……?」

 太腿を撫で上げるなまめかしい手の動き。その意図に気づいたゼノは、慌てて両手で女の手を押さえ、うわずった声で言った。

「いっ、いえ! すぐに戻らないと! 息子が心配しますんで!」

 ──なんだなんだ!? いったい何が起こってるんだ!?

 ゼノは、女の手をかわしてズボンをつかみとると、あたふたと穿いて外へ飛び出した。

 するとまた、

「おや、勇者様」

「あっ、俺、急いでますんで! 失礼します!」

 女の声を振り切って、突き進みながらきょろきょろと宴会場の焚火を探す。

 あった。

 知らないうちに、ずいぶん遠くまで来てしまっていたようだ。見える炎は小さく、そこまでの道は闇に包まれている。

 炎の光だけを頼りに、方角だけ合わせて適当に歩いていくと、さらに先々で女たちから呼び止められ、ゼノはしだいに怖くなってきた。自分は決してもてるほうではない。それなのにこれだけ誘われるのは、何か裏があるのではないか。新手のいやがらせ? あるいは、勇者に対する試練とか?

 ──そうか、試練か!

 それなら合点がいく。

 どう見ても勇者らしくない自分が、とくに批判も反発もされなかったのは、勇者としての試練が待っていたからなのだ。この試練に打ち勝って初めて、勇者のはしくれとして認められるというわけだ。そうだ、きっとそうに違いない。

 考えてみれば、村を挙げての宴の真っ最中だというのに、家々にこれだけ人が残っているのも妙な話だ。まるでこちらを待ち構えていたようではないか。

 どっと汗が噴き出した。酔いもさめた気がしたが、頭はまだぐらぐらしている。千鳥足でなんとか進んでいくと、力強い手で肩をつかまれた。

「勇者様」

「ひーっ!」

 振り向くと、村長のエイシャが立っていた。

 ──ま、まさか、村長も……!?

「落ち着いてください、勇者様」

 エイシャは困った顔で言った。

「何もいたしません。まずは、少し酔いをさましましょう」

「いやっ、俺は……この試練を潜り抜けないと……」

「試練? 何をおっしゃっているのです? さあ、ともかく中へ」

 ひきずりこまれるように家の中に入ると、そこにも寝床が用意されている。慌てて逃げ出そうとする首根っこをつかまれ、茶色い液体の入った椀を押しつけられた。

「酔いざましの薬です。お飲みください」

 言われるままに口をつけると、甘くて苦い不思議な味がした。じわじわと顔がほてり、つぎにはその熱がひくとともに頭の芯が覚醒してくる。

 ゼノが正気に返ったころを見計らって、エイシャが言った。

「勇者様は、この村の伝統をご存じなかったのですね」

「……伝統?」

「代々、勇者様に立ち寄っていただいた折りには、有志の女たちが、勇者様に子を授けていただくことになっているのです」

「……ほえっ?」

「ご覧のとおり、ここはいろいろな意味で閉鎖的な村です。たまには新しい血を入れたほうがいいということもありまして」

「つまり……勇者の忍耐力を確認する試練じゃなくて……?」

「ほほ……まさか、そんなふうに受け取られたとは」

 エイシャはおかしそうに笑った。

「話には聞いていましたが、ずいぶん生真面目なお方なのですね。もちろん、無理強いするつもりはございません。ご滞在中に気が向かれましたら、いつでもお声をかけてくださいませ」

「は、はあ……」

「それでは、クレシュを迎えに来させますね」

 そう言い残してエイシャが出ていくと、ゼノはへなへなとその場に座りこんだ。

 ──なんだ、そういうことか。

 とはいえ、やはり裏事情はあったのだ。想像とは逆だったが、浮かんだ疑念はそう的外れでもなかったらしい。

 それにしても、代々、勇者の子を──ということは、ここの住民は多かれ少なかれ、歴代の勇者の血を引いているというわけか。クレシュの強さの一端がわかったような気がした。環境や訓練による後天的なものも大きいだろうが、もともとの土台からして違うのだ。肉体的には、時代時代の優れた資質を受け継いでいると考えられる。

 ──てことは、ここの人たちのほうが、並みの勇者より強いんじゃ?

 知り合ったばかりのころ、クレシュが当代勇者たちのふがいなさをくどき、先代勇者の優秀さを熱く語っていたことを思い出した。あのときゼノは、クレシュは自分こそが勇者になりたいのではないかと憶測したものだ。

 いま思えば、それは村人全員の気持ちであるのかもしれない。勇者を支援する役目を担いながら、長きにわたり歴代勇者の血を取り込みつつ過酷な環境で鍛えられた結果、いつのまにか勇者を超えてしまった人々。こうなると、はたしていまさら外部の勇者が必要なのかどうかもわからなくなってくる。

 ──まさか、だから鍵の在処が面倒な場所になったとか? 俺にこんな力があるのも……。

 ふいにそんな考えが浮かび、ゼノは慌てて打ち消した。

 ──いやいや、そんな馬鹿な。

 それではまるで、すべてを超越した存在が、好き勝手に世界の仕組みを変えているようではないか。そんな空恐ろしいことは想像もしたくない。

 ぶるっと身震いしたちょうどそのとき、扉が叩かれ、クレシュがのっそりと入ってきた。

「しょーがないなー、もー」

「あー、その……すまん」

 ゼノが立ち上がろうと腰を浮かせるより早く、クレシュは大股で近づいてきてゼノの胸倉をつかんだ。

 ──ぎゃーっ!! 殺される!?

 だが、飛んできたのは鉄拳ではなく、柔らかい唇だった。

 ぎこちなく唇を重ねられ、そのままの勢いで床に押し倒される。

 ──えっ? えっ? 何? えっ?

 それからゼノは、はっと気づいてクレシュを押し返した。

「ま、まさかクレシュ……おまえも村の伝統……」

「馬鹿っ!!」

 珍しくクレシュがはっきりした物言いで遮り、ふたたび唇を押しつけてきた。

 両手でがっしり頭をつかまれ、ためらうように唇をついばまれて、理解するより先に体が反応した。ゼノは無意識のうちにクレシュの背に両腕をまわした。しなやかで強く、だが想像以上に小柄でほっそりした体。弾力のある胸が二人の間に挟まれ、心地よく圧迫してくる。

 ゼノはおずおずと口づけに応え、やがて思い切って自分からも求めた。

 長い沈黙のあと、唇を離した二人の顔は、どちらも茹でたように真っ赤だった。

「ゼノがさー」

 クレシュが初めて、面と向かって名前を呼んだ。

「鈍くてめんどくさい性格だってのは知ってるしー、見てておもしろいから黙ってたんだけどさー」

「おもしろいって……」

「考えてみればー、あたしたち、全員そろって明日を迎えられる保証なんてないじゃんー? 自分が死ぬかもしれないしー、ほかのだれかが死ぬかもー。だからさー、いまをもっと大事にしなくちゃって思ってさー」

「そ……それはそのとおりだと思うけど、なんでまた急に……?」

「それはー……つまりー……」

 妙なところで口ごもる。今日のクレシュは、まったくもってクレシュらしくない。

「つまりー……ほかの人と寝る暇があるなら、その時間、あたしにちょうだいってことー!」

 やけくそのように言って抱きついてきた。

「え……それって」

 ゼノは、抱きつかれたことより、その言葉に目を白黒させた。

「……し、嫉妬……?」

「うるさい、黙れー」

「もしかして……酔ってる?」

「酔ってない! 酔ってるけど、酔ってないー!」

 ──酔ってるし。

 改めてよく見れば、クレシュの顔が赤いのは恥ずかしさのためばかりではなく、目つきがとろんとして瞳が潤んでいる。これもまた、彼女にしては珍しいことだった。浴びるように飲んでもほとんど顔に出ず、二日酔いとも無縁の彼女が、いったいどれだけ飲んだらこうなるのか。

 ふだんのゼノなら、酔っ払いの隙に付け入るような真似はしたくないと、なんのかんのと理由をつけて回避していただろう。だがいまは、この機を逃したらつぎはないという気がした。彼女が言ったとおり、自分たちが明日どうなるかは、だれにもわからないのだ。

「クレシュ……い、いいのか……?」

「だから、黙れってー」

 乱暴に唇を重ねられて、ゼノは黙った。

 すぐ隣に寝床があるのに、そこへ移ろうとはどちらも言わなかった。


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