8-3

 一見、穏やかなふつうの村だった。

 谷底がそこだけ広く緩やかな平地となっており、中央を流れる小川に沿って木組みの平屋が並んでいる。畑があり、家畜のための囲いもある。

 少し様子が違うのは、建物のすべてが妙に新しいことと、畑の作物や囲いの中の家畜が、見たことのない種類ばかりだということだ。

「クレシュが帰ってきた」

「勇者様だ」

 外にいた何人かが声を上げ、それを聞いて一人、また一人と、村人たちが集まってくる。

「ドーチャだ!」

「大きいドーチャ!」

「すごい! ひっぱってるのは何?」

 子供たちも出てきて、興奮した様子でこちらを指さす。ドーチャというのは、どうやらこの手土産になった魔物の呼び名らしい。

「ようこそ、おいでくださいました」

 壮齢の女が進み出て挨拶した。燃えるような赤い髪と緑の目に、引き締まった小柄な体躯。美しく年をとったその顔は、髪色のせいもあってクレシュとよく似ている。

「村長のエイシャです。みなさま、お疲れでしょう。まずは宿舎へ」

 ユァンが橇の革帯をはずしてから言った。

「ハジメマシテ、ワタシ、ユァン。ニク、ダレカ、リョウリ」

「お初にお目にかかります、ユァン様。お話はうかがっております。お持ちいただいた肉は、今夜の宴に出させましょう」

 宴と聞いて、ユァンのひげがぴんと立った。うきうきと村長に従い、人々の好奇の視線を一身に受けながら、村の中心部へと向かう。

 おかげですっかり影の薄くなったゼノは、ほっとして二人のあとに続いた。トアルも警戒する様子はなく、ゼノと手をつないで歩きながら、物珍しそうに周囲を眺めている。

 宿舎もやはり木組みの平屋で、ほかの家々より大きく、真新しく見えた。すぐそばに独立した厠もある。中は靴を脱いで上がるようになっており、床には柔らかな織物が敷かれ、左右の壁には、戸板の下部を外へ押し出して開ける大きな突き出し窓がある。奥の衝立の向こうには、すでに四人分の寝床が整えられていた。

「いい部屋──」

 思わず感嘆の声を上げかけたそのとき、地面がぐらりと揺れてゼノはたたらを踏んだ。

「地震!?」

「いえ、これは」

 エイシャが平然と説明した。

「近くを巨獣の群れが通過しただけです。村の中を通ることはめったにありませんから、ご心配なく。万が一通ったとしても、動きが遅いので充分に避けられます。最悪、家が壊れる程度です」

 さすがはクレシュが生まれ育った村だ。建物が古びていないのは、そういう事故でよく建て直しされているせいなのか、と腑に落ちた。

 勧められるまま中に上がり、荷物を下ろして一息つこうとしていると、こんどは轟音とともに家が揺れた。

「こ、これは……?」

「いまのはおそらく、上空を古代鳥が飛んでいったのでしょう。実害はありません」

「そ、そうですか……」

 気を緩める間もなく、また揺れる。

「これは、大モグラが地中を掘り進んでいる振動です」

 エイシャが言った。

「なにかと揺れますが、村の中はほぼ安全ですので、どうぞおくつろぎください。宴の用意ができたら、お呼びいたしますね」

「は、はあ……」

 ──くつろげる……のか……?

 ゼノが呆然と立ち尽くしている間に、エイシャは優雅に向きを変えて立ち去った。

「まだ時間もあるしー」

 クレシュが伸びをして言った。

「湯浴みはどうー? 温泉があるよー」

「オンセンって?」

「熱いお湯がしぜんに湧いてるのー。いつでも入れるよー」

「イク、イク」

 ユァンは、ここでは取り繕うつもりがないようだ。鼬姿のまますっかりくつろいでいる。

 入浴の用意をした四人は、クレシュを先頭にぞろぞろと宿舎を出た。

 日はまだ高い。到着時には緊張して周りを見る余裕がなかったが、改めて見渡すと、なんとも違和感のある光景だった。畑の作物はくねくねと動いているように見えるし、囲いの中の家畜たちは、足が六本あったり、頭の後ろに触手が生えていたりと、明らかにふつうではない。

「なあ、ここで育ててるのって……」

「うん、魔物だよー」

 予想どおりの答えが返ってきた。

「このへんに、ふつうの生き物はいないからねー。まー、あたしらにとっては、これがふつうなんだけどー」

「そ、そうか……」

 農作業をしているだけで人死にが出そうだ。

「危ないから、近寄らないようにねー」

 頼まれても近寄りたくない。奇怪な動植物からなるべく離れて歩いていると、轟音とともに日が翳った。

 振り仰げば、空を覆うばかりに巨大な鳥が、恐ろしい速さで滑空していく。

 ゼノが思わず身をすくめたのを見て、クレシュが笑った。

「大丈夫ー。あいつは、あたしらなんか見ちゃいないよー。いつもただ飛んでくだけー」

「……すごい環境だな」

「いまの時季はまだ平和だよー。発情期には魔物の気が荒くなるしー、雨季には鉄砲水、乾季には水枯れ、冬は豪雪で村から出られなくなるしねー。餌が足りないと魔物の群れが襲ってくることもあるしー、本当の地震も多いしー……」

「なんでわざわざ、そんなたいへんな場所に住みつづけるんだよ」

「それはあれだよー。鍵の監視があるからー」

「ここじゃないといけない理由でも?」

「うんー。それについてはたぶん、明日ぐらいに村長が案内してくれると思うー」

「案内?」

「あとは見てのお楽しみー」

 鍵の監視とこの場所が関係しているとは、いったい何があるのだろうか。好奇心が頭をもたげる一方、一族の使命がそれほど大事なのかと、いまひとつ腑に落ちない。

 するとクレシュが付け加えた。

「まー、あたしは、いまさらふつうの人里で暮らしても、飽きちゃいそうだけどねー」

「なるほど」

 これには納得できた。クレシュの実力や性格では、一般社会になじむほうが難しそうだ。

 村の端の絶壁に沿って石段を登っていくと、岩に囲まれた泉があった。いちどに十人ぐらい浸かれそうな広さだ。水面に靄がたちこめていて、近づくと熱気が伝わってきた。

「ほら、お湯だよー」

「オンセン! スバラシイ!」

 ユァンは手を入れて温度を確認すると、用意されていた手桶でかけ湯をしてから、湯の中にするりと体を滑りこませた。反対側まで泳ぐように移動し、首まで浸かって縁に背中を預ける。

「フー、ゴクラク」

 鼬村では湯浴みの習慣などなかったユァンだが、ゼノたちと旅をするようになってから、宿で湯船の気持ちよさを覚えてすっかりはまっている。湯上がりの被毛の手入れも怠りなく、以前にも増してつやつやふわふわだ。

 クレシュが豪快に服を脱ぎはじめたので、ゼノは慌てて視線をそらした。背を向けたままトアルの服を脱がせてユァンに託すと、自分もこそこそと裸になって湯に潜り、温泉を堪能するふりをして目をつぶった。

 実際、非常にすばらしい湯だった。肌ざわりはやさしく、少し熱い温度が心地よい。長旅でこわばった体が芯から温まって、全身の疲れが押し流されていくようだ。沸かした湯とは違う、極上の癒し。

「はぁー」

 知らず知らずのうちに溜め息が出ていた。

「気持ちいいでしょー」

 間近にクレシュの声が聞こえて、心臓が止まりそうになる。

「あっ、ああ……うん……いっ、いい湯だ……ほんと」

 クレシュのことだ、堂々と素肌をさらしているのは間違いない。これまでにも彼女の裸を見たことは何度もあったし、やむをえず同時に着替えたり湯浴みをしたりしたことも少なくない。だが、こんなにゆったりした状況でまじまじ眺めたことはなかった。

 目を開けたら、たちどころに体が反応してしまいそうだ。

 すぐ近くで水音がするのは、手で肩に湯をかけてでもいるのだろうか。音に合わせて水面が揺れる。

「ほら、この隙間から、村の様子が見下ろせるんだよー」

「オオ……ケシキ、イイ」

「ぼくたちのおうち、どれ?」

「えーとねー、あそこに見えるのがー……」

 クレシュの気配が遠ざかり、三人の和気あいあいとした会話が聞こえてきた。自分も混ざりたいし景色も見てみたいが、もれなくクレシュの全裸がついてくる。

 ──いかん、想像だけで反応しそう……。

 温まりすぎた体が熱くなってきたが、立ち上がった拍子に暴走するのが心配で、動くに動けない。ふだん気にする暇がないぶん、いったん気になりだしたら止まらなくなった。

「おとうさん、ねてるの?」

「い、いや、気持ちよくてな……その……」

 トアルの屈託のない質問にもごもごと答えたそのとき、突き落とされるような感覚があり、ついでぐらぐらと地面が揺れだした。

「地震!!」

 慌てて立ち上がったゼノは、つぎの瞬間、立ち眩みを起こして湯の中に沈んだ。


 顔に水をかけられて意識を取り戻すと、目の前におやじ姿のユァンの顔があった。

「まったく、何をやっておるのだ、おぬしは」

 呆れ果てた顔で言われ、ゼノは赤い顔をさらに赤くした。

「急に起きるんじゃない。また倒れるぞ」

 忠告に従ってのろのろと体を起こすと、クレシュとトアルの姿がない。

「二人には、先に戻ってもらったわい」

「そうか……」

「情けないのう。クレシュの裸に悩殺されたか」

「いや、見たら死ぬかと……」

「阿呆。見て死ぬのと、見ないで死ぬのと、どっちがましじゃ」

「そっ、それは……」

「いいかげんに腹を括って、くっついてしまえ。見ていて恥ずかしいわ」

「ええっ!?」

「神よ……」

 ユァンはわざとらしく溜め息をついた。

「おぬしは、こういうことに関しては顔に出すぎるのじゃ。だだ漏れというやつじゃな」

「え……」

「クレシュもとうに気づいておるわ」

「え────っっ!?」

「まあ、はっきり言ってやらんクレシュもクレシュじゃが」

 ゼノは口をぱくぱくさせたが、言葉にならなかった。

 ──えっ? 何それ? どういうこと?? ……えっ? えっ??

「さあて、宴じゃ、宴!」

 思考停止状態のゼノをよそに、切り替えの速いユァンは湯の中から勢いよく立ち上がった。

 おやじの股間をまともに見てしまい、ゼノは一瞬で平静に戻った。

 鼬の変身もそこまで忠実に再現しているという、どうでもいい豆知識も一つ増えた。


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