8-5
翌朝は宿舎で目が覚めた。
四人分の寝床があるにもかかわらず、いつもどおり、トアルとクレシュとユァンが折り重なるようにゼノの上で寝息を立てている。
ゼノは身を起こさず、首だけ動かしてクレシュの寝顔を見つめた。
──夢じゃない……よな?
あのあと、酔っ払い二人で手をつないで宴会場まで戻ったことは、なんとなく覚えている。何事もなかったように宴は続き、途中で睡魔に負けて寝に戻った……はずだ、たしか。
クレシュとのひとときは、まさに夢のようだった。想像していたよりも繊細で、情熱的で、意外にも心安らぐ時間だった。
ゼノがうっとりと反芻していると、クレシュが満足した猫のようにあくびをして目を開けた。
「お、おはよう……」
「おはよー」
クレシュは照れた様子もなく、いつもどおりのだるそうな声で挨拶すると、いつもどおり冬眠明けの熊のようにのそのそと起き上がった。あまりにも変わらないので、昨夜のことを覚えているかどうかも判断できない。
──やっぱり、夢……?
「朝ごはんもらってくるー」
トアルとユァンがもぞもぞ起きだしたころ、クレシュともう一人の村人が四人分の朝食を運んできた。
野菜の入った粥と果物というあっさりした献立で、飲んだ翌朝の体にはありがたい。野菜や果物が動いたりしていないのも、ゼノにとってはありがたかった。
「お食事がすんだころ、お迎えに参ります」
「迎え?」
「例のあれだよー。この村の見学っていうかー」
クレシュの説明で、ゼノはようやく思い出した。そういえばこの村には、鍵の監視に深く関わる何かがあると言っていたような。
朝食をすませ、身支度を終えて待っていると、村長のエイシャ自らが迎えに来た。
小川をさかのぼるように村の端まで歩き、乳白色の霧の壁の手前で止まる。
「この霧に入ってすぐ、右手に横穴があります。奥まで進めば霧はなくなるので、そこまではぐれないように注意してくださいね」
五人で手をつなぎ、初めて村に来たときと同じ滑稽な陣形で霧の中に踏み込んだ。説明されたとおり右に曲がると、視界は遮られているものの、一同の足音が微妙に変化したことに気づいた。
やがて霧が晴れ、そこが洞窟の中だとわかったが、目の前は行き止まりになっていた。
「ここから先は、〈連環の祝福〉が必要です」
エイシャは自分の右手を広げて見せた。手のひらに、見覚えのある複雑な印が刻まれている。
「この印は、太陽の女神にまつわる場所の鍵になっています。ですから勇者様、あなたにもここを開ける資格があるというわけです。近づいてみてください」
ゼノは言われるまま前に踏み出した。すると胸元がかっと熱くなり、目の前の壁に大きな赤い刻印が浮かび上がった。無意識に手を伸ばすと、壁の中央に縦に割れ目ができ、地響きを立てながら左右に分かれて開きはじめた。
「うわっ」
焦って一歩下がると、エイシャがおかしそうに頬を緩めた。
「さあ、どうぞ、女神の神殿へ」
恐る恐る足を踏み入れたゼノは、中の様子を見て思わず息を呑んだ。
満天の星。
暗い洞窟の天井一面に、星空が広がっている。
一瞬そう見えたが、よく見ると本物の星ではなく、蛍のような光が不規則に浮かび、ゆっくり明滅をくりかえしているのだった。
「……この光は?」
「わかりません。おそらく、何らかの高度な魔法なのだと思います。この光は、実際の星々と同じ配置になっているようです」
「へえー」
ゼノは心底感心して人工の星空を眺めた。
「これってやっぱり、魔王が封印されたころからずっとあるんですよね?」
「そう伝えられています。女神の手になるものと考えれば、納得もできますよね」
まるでそれを信じていないような口ぶりに、ゼノは驚きを覚えてエイシャの方を見た。
「実際には、そうじゃないと?」
「どうなんでしょう? 私たちはここを神殿と呼んでいますが、ここにあるものを見ていると、はたしてこれが神の手でつくられたものなのか、わからなくなることがあります」
明滅するほのかな光に映し出されたエイシャの顔は、こわばっているようにも、途方に暮れているようにも見えた。
全員が中に入ってしまうと、エイシャは出入口の壁に手を触れた。ふたたび地響きがして、左右から出てきた扉が元どおり閉ざされる。
目が慣れてくると、中は円形の広間になっていることがわかった。中央にテーブルのようなものがある。厳密にはテーブルではなく、腰の高さほどの台座の上に、大きな円盤が水平に載せられていた。
「これが、鍵の在処を示す地図です」
円盤には不思議な紋様が刻まれていた。中心から外縁に向かって放射状に直線が伸び、それを分断するように同心円状の輪が等間隔に描かれている。非常に正確につくられた蜘蛛の巣のようだ。
その盤上に四つの赤い点が不規則に散らばっており、うち一つだけが天井の星々と同じように明滅し、ほかは暗く沈んでいた。
「この赤い点が、鍵の場所?」
ゼノが尋ねると、エイシャはうなずいた。
「そうです。すでに三つは回収されたので、残り一つだけが明るくなっています。地図といっても、位置関係しかわかりません。中心がこの村で、直線は方角、円は距離……という感じですね」
「これだけの情報で、どうやって……」
「この地図に点が現れると、まず、旅慣れた者たちが実際の場所を確認しに行きます。見つけたらこんどは、案内人の候補者たちがくりかえし足を運んで、現地の状況を把握したり、より安全で効率のいい経路を探したりします」
考えただけで気の遠くなりそうな話だ。ゼノは傍らのクレシュをちらりと見た。
つまり彼女は、案内人候補として、そのたいへんそうな道のりを何度も行き来してきたということだ。この村で育てばそれが当然という感覚なのかもしれないが、部外者からすれば自己犠牲的な労力とも見える。役目だからしかたなく、という程度の気持ちで務まるとも思えない。勇者に対する憧れはあるようだが、このやる気のなさそうな態度の裏で本当は何を考えているのか、あいかわらずつかみどころがなかった。
「さて、クレシュから連絡のあった件ですが」
エイシャが真剣な口調で切り出した。
「鍵の情報が洩れている、ということでしたね」
「うんー」
「一つだけ、心当たりがあるにはあります」
エイシャは一呼吸おいて続けた。
「カイエ」
その一言で、クレシュの顔が表情を失った。
「しばらく前から、彼の消息が途絶えています。自発的になのか、不測の事態に巻き込まれたのかはわかりません」
「……カイエって?」
ゼノが口を挟むと、エイシャが答えた。
「カイエは、クレシュの兄です」
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