第七章 にわか勇者、偽勇者になる

7-1

 思わぬ寄り道を余儀なくされたゼノたち一行は、結局、さらに戻ってバルデルトの湖上の城に数日滞在することになった。

「兄上から申しつけられておる。我が家と思ってくつろぐがよい」

 カーネフたちの魔法によって飛ばされたクレシュとユァンは、最初は別々だったが、ユァンの呪術によってじきに合流できたらしい。その後、クレシュが神殿の連絡網を使ってオリヴィオに連絡をとり、オリヴィオからさらにバルデルトに知らせが行ったというわけだ。ちなみにオリヴィオは、手の離せない案件の渦中で、しばらく顔を出せないという話だった。

 〈不死の月〉アルテーシュと名乗った者については、だれも何も知らなかった。月の神リテルの名は、神話としては広く知られている。だが、魔王と太陽の女神の物語ではとくに活躍しないし、その配下も登場しない。もっとも、彼女の語った事情が事実なら、長い年月の間にその存在が忘れ去られていても不思議ではない。むしろ、白装束たちのような信奉者が現存していたことのほうが奇跡だ。

「復活させてしまって、よかったんだろうか」

「是非もない。トアルと神の命がかかっておったし、すんだことを悔いるより今日の飯じゃ」

 あいかわらず、ユァンの見解は単純明快だ。

「それに、本当に神話時代の神を復活させたのなら、紐解く神の本領発揮というもの」

「ユァン、おまえはなんだかうれしそうだな」

「ん? そうか? 別になんとも」

 とぼけて答える口の端があからさまに緩んでいる。ユァンにとっては、ゼノとの旅自体が物見遊山のようなものだから、多少の珍事はむしろ歓迎といったところなのだろう。

 歓迎といえば、トアルは城の住人たちに大歓迎された。

「トアル様、珍しい果物はいかが?」

「トアル様、小舟で湖を一周しませんこと?」

「トアル様、城の中をご案内いたしますわ」

「トアル様、このお召し物をどうぞ」

 等々、アリエラやミローデを筆頭に、バルデルトの配下の者が入れ代わり立ち代わり訪れてはちやほやする。

「坊や、この能無しの父親に愛想が尽きたら、バルデルト様の子供になればいいのよ」

 口の悪いガレアはもとより、

「幼い者と接するのはずいぶん久しぶりだが、愛らしいものよのう」

 と、バルデルトまで、恐ろしげな黒曜石の目を細める始末だ。

 トアルがゼノのそばを離れたがらないので、必然的にゼノもそのすべてに居合わせることとなったが、だれからも空気のように扱われて、いっそすがすがしいほどだった。見方を変えれば、だれからも邪魔されることなく、休養を満喫できたともいえる。

 クレシュとユァンは、最近の一連の出来事で火がついたのか、腕を磨くことに夢中になっていた。二人で訓練するだけでなく、城内で強そうな相手を見つけては、手合わせを頼んだり、技を教えてもらったりと忙しい。

 そんなわけで、クレシュとゼノが二人きりになる機会はまったくなく、ゼノはあのときの口づけの真意を確かめることができないままだった。

 ──そういう方面には、あんまり興味なさそうだしなあ。

 単なるその場の勢い、と考えるのが妥当かもしれない。

 ゼノ自身、クレシュに対する自分の気持ちを量りかねていた。美人だし、頼りになるし、いっしょに過ごしてみれば性格も悪くない。仮に誘われるようなことがあれば、喜んで同衾する。ぜひしたい。

 だが一方で、異性として意識しているかどうかとなると、なんとも曖昧だった。好き嫌いでいえば、確かに好きだと思う。とはいえそこには、憧れや崇拝に近い気持ちが多分に含まれており、恋愛感情とは少し違う気もする。

 全般的に彼女のほうが優秀であり、年も離れているという引け目もあった。要するに、自分に自信がない。自信がないから、遊び半分で気軽に声をかけることもできない。いや、だとすればそれはつまり、声をかけたいのに我慢しているということではないのか? 本当は好きなのに、自分の気持ちから目をそらしている……?

 などと物思いにふけっていたちょうどそのとき、廊下の向こうから全裸のクレシュが歩いてきて、ゼノは叫び声を上げそうになった。

 思わずそらした視線を恐る恐る戻すと、たしかにクレシュがこちらに向かってきているが、衣服はしっかり身に着けている。その隣に鼬姿のユァンを見つけて、ゼノはかっと首まで赤くなった。

 ──バカ! ボケ! このくそイタチ!!!

 クレシュの前では怒るのも気恥ずかしく、ぎりぎり歯ぎしりしているところへ、こちらの内心にまったく気づいていない様子のクレシュが、屈託のない笑顔を見せて手を振ってくる。

「おにーさん、どうしたのー? 顔赤いよー?」

「な、なんでもない!」

「カミ、キット、カゼ」

 しゃあしゃあと言って通りすぎようとするユァンの尾を踏んでやろうと足を上げたが、その尾で足首を払われて危うく転びそうになった。

 ──きいぃ!

 一人でじたばたしていると、近くでアリエラから菓子をもらっていたトアルが、駆け寄ってきてにこっと笑った。

「おとうさん、ユァンとなかよし」

「違う! 断じてこれは──」

 仲がいいわけではない! と主張しようとしていた気持ちが、トアルの笑顔にあてられてみるみるしぼみ、ゼノは大きく溜め息をついた。

 みんながトアルを甘やかすのもわかる。この純真さは凶器だ。

 はたして本当に純真なのか、擬態竜の本能で純真なふりをしているのかはわからないが、いずれにしても結果は同じだ。トアルには勝てない。

「いや……あー……まあ……ユァンは、いいやつだよな……うん」

「うん、いいひと」

 トアルは最初からユァンに懐いている。ユァンに邪心がないことの何よりの証拠だろう。

 じつをいえば、今回の一件のあと、ユァンには改めてトアルのことを託してあった。今後、自分の身に何かあったら、トアルの安全を最優先してほしい。最悪の場合には、自分の代わりに育ててほしい、と。

 クレシュも信用できないわけではないが、彼女には一族の役目がある。旅の途中でゼノが脱落すれば、いずれつぎの勇者を案内することになるだろう。ユァンなら、そんなしがらみもなく、あらゆる面で擬態竜の養い親にはうってつけだ。

「任せるがいい。もっとも、頼まれずとも、希少種を見捨てるようなことはせんよ」

 ひっひっひと笑うユァンは好奇心丸出しだったが、もちろんそれ以上に愛情深い生き物であることは、いっしょに旅をしてよくわかっている。いつのまにかユァンは、ゼノにとって最も信頼できる相手になっていた。

 ──まあ、これを、仲がいいというのかもしれないけどさ。

 後ろを振り返って挑発のしぐさをしてくるユァンに、殴りかかる身振りで対抗したゼノは、トアルの視線に気づいてはっと手を下ろした。

「う、うん、ユァンと俺は仲良しだ……よ?」


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