5-6

「いや、もちろん違うよ」

 あっさり否定された。

「僕は、彼の父親──闇の王と知り合いでね。僕のことをおじ様とかおじ上とか呼ぶから、せめて兄にしてくれと頼んだんだ」

「いや……あれは命令だった」

 バルデルトがぼそりとつぶやく。

 オリヴィオを前にして、バルデルトはひとまわり小さくなったように見えた。周囲を闇に染める禍々しさも薄れ、悪さを見とがめられた子供のような、なんとも情けない表情を浮かべている。二人の力関係は火を見るより明らかだ。

「それで、ゼノ。このお馬鹿な王子に、何かされたかい?」

「いや。ここに連れてこられた以外は、何も」

「そうか。何もしていなくてよかったよ、バルデルト」

 オリヴィオにじろりと睨まれ、バルデルトは怯えたように身をすくませた。

 厳密には淫魔たちをけしかけられたりもしたが、実害はなかったのであえて言わないでおく。二人の関係がこじれる原因にはなりたくなかったし、いまのバルデルトを見ていると、なんだか気の毒ですらある。先ほどまであれほど恐ろしく感じられたのが嘘のようだ。

 ──というより、おまえは本当にナニモノなんだ、オリヴィオ。

 顔の広さもさることながら、魔物の王子を委縮させるとは、つくづく底が知れない。

「ゼノは、僕の依頼で鍵を集めてくれているんだ。金輪際、邪魔はしないように」

「……はい、わかりました」

 オリヴィオに釘を刺されて、バルデルトはおとなしく引き下がった。

「さて、僕はあなたに話があって来たんだが……その前に、ゼノを送らないといけないね」

 そうオリヴィオが言った矢先、上空から騒々しい物音が聞こえてきた。

 風を切るはばたきと悲鳴、そして怒声。

「おや」

 オリヴィオが天を仰ぎ、バルデルトとゼノもそれに倣う。

 二つの黒い塊が、螺旋を描きながらよろよろと舞い降りて、東屋の近くに着地した。

 両足を縛られた二羽の黒い巨鳥が地面に倒れこみ、その陰から二つの人影が躍り出る。

 クレシュと、おやじ姿のユァンだ。ユァンの腰には、トアルがしっかりしがみついている。

「おのれ! 我が神をかどわかしおって!」

 ユァンは吠えて威嚇したが、クレシュは物も言わずバルデルトめがけて突進した。

「うわあ、待った!」

 ゼノはとっさにバルデルトの前に出た。出てから後悔した。クレシュの鋭い剣先が目の前に迫る。

 ──斬られる!

 思わず目をつぶったが、しばらくたっても衝撃は来なかった。恐る恐る目を開けると、首筋に触れるか触れないかのところで剣がとまっており、殺気に満ちたクレシュの顔が間近にあった。

 冷たく研ぎ澄まされた美貌。無表情な顔の中で、二つの灰色の瞳だけが、怒りの炎を燃やしている。

 生死を分かつ状況にもかかわらず、ゼノはその美しさに見とれてしまった。

 と、クレシュの全身を覆っていた殺気がすっと消え、魅力的な唇から脱力するような声が漏れた。

「危ないよー、おにーさん」

 ゼノはへなへなとその場に膝をついた。

「……た、戦わなくていい……話はついたから……戻ろう」

 せっかく帰れる段になったのに、ここで戦闘が始まったらまた面倒なことになる。クレシュに剣を収めさせ、頭から湯気を出しているユァンをなだめていると、トアルが駆け寄って抱きついてきた。

「おとうさん」

「トアル。怪我はないか」

「うん」

 小さなやわらかい体を抱きしめ、自分のほうが安心する。

「おやおや、ずいぶんかわいい新顔だね」

 オリヴィオの声に、トアルは顔だけ向けて挨拶した。

「はじめまして」

「はじめまして、小さな人。……ゼノ、すばらしい縁があったようだね」

 トアルの正体を見透かしたような物言いに、ゼノはまたもや舌を巻いた。オリヴィオに隠し事はできそうにない。

「詳しい話はそのうちな。とりあえず、俺たちをこの島から出してくれるか?」

「お安いご用だ。でも、そのまま行くのはお勧めしないかな」

 言われてはっと気づいた。与えられた長衣は、豪華だが裾をひきずるやっかいな代物で、似合わないことをさしひいても、野外を歩くにはまったく不向きだ。

「あの……」

 顔を向けると、バルデルトは心得顔でうなずき、優雅に両手を一閃させた。その手の中に、ゼノの衣類と荷物が現れる。

 受け取ったゼノは、それらを確認して意外な気持ちになった。

 湖に落ちてびしょ濡れになったはずの荷物はすっかり乾き、着ていたものは洗濯さえされているようだ。恐るべき闇の王子は、本当に協力を求めるだけで、用がすめば無事に解放してくれるつもりだったのかもしれない。

 木陰でそそくさと着替え、仲間たちに合流すると、オリヴィオがにっこり微笑んで杖の先で地面を打った。

「いってらっしゃい、気をつけて」

 あたりがまばゆい光に包まれ、ふたたび視界が戻ったときには、ゼノたち四人は湖の対岸の草地に立っていた。

「やれやれ。いったい何だったのじゃ」

 ユァンが、全員の気持を代弁するようにぼやいた。


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