2-2

「もう無理……絶対無理……」

 クレシュが用意した焚火の横、地面に広げた外套の上で、ゼノはみっともなく倒れ伏して呻いていた。

 全身が鉛のように重い。そして痛い。

 あまりにも痛いので靴を脱いでみたら、足の裏が豆だらけだった。脛はむくみ、足首から先は赤く腫れて熱を帯びている。

 これ以上は、どうがんばっても歩けそうにない。

「おにーさん、そんな弱音は似合わないよー」

 あいかわらずだるそうな身のこなしで、クレシュが近づいて顔を覗きこんできた。

「がんばったいい子に、ご褒美をあげるからさー」

 ふいに足のあたりが暖かくなったかと思うと、痛みが嘘のようにひいていくのを感じた。

 顔を上げると、クレシュがゼノの傍らに膝をついて、傷ついた足に両手をかざしているのが見えた。手のひらに青白い光が灯り、ゼノの両足を包み込むように広がっている。

「──癒しの……魔法?」

「魔法は得意じゃないからさー、骨折とか大きな怪我は治せないけど、血豆ぐらいならねー」

「充分すごいよ……ありがとう、楽になった」

 ゼノは素直に礼を言い、起き上がって自分の足を見た。破れていた皮膚はふさがり、水疱は消え、腫れもほとんどひいている。驚くべき治癒の力だ。

「おにーさんは、魔法は全然使えないんだっけー?」

「ん? ああ……そうだな。友人の魔法使いに言われたけど、魔力が皆無だから魔法は使えないって」

 だから、あの解錠の呪文は、ゼノ自身にとってもいまだ謎なのだ。魔法のように見えるが、魔法ではない何か。

「ふーん。それで、剣も使えないんでしょー? よくいままで生きてこれたねー」

「いや、街で暮らすだけなら、剣も魔法もいらないから」

「そっかー……あたしの村では、弱いやつはすぐ死んじゃうからさー」

 ──どんな壮絶な環境なんだよ。

「まー、多少剣が使えるだけじゃ、勇者様は務まらないけどねー」

 クレシュはだるそうに立ち上がると、鍋を火にかけて夕食の支度を始めた。

「騎士とか剣豪とか魔法使いとか、いままでたくさん案内したけどさー、やっぱ駄目だったねー。足りないんだよなー」

「足りないって、何が?」

「うーん……情熱? 勇者の気概ってやつー?」

「そんなもの、俺にもまったくないぞ」

 言ってから、ゼノは急に腹が立ってきた。

「そもそも俺は、好きでこんなところに来たんじゃない。わけもわからないうちに無理やり押しつけられて、考える暇もなく送り出されて、なんでこんなことしてるのか自分でもわからねえよ。俺は勇者なんかじゃねえ、泥棒なんだ!」

「そんなこと言っても、おにーさんには勇者のきらめきがあるよー」

「きらめきって何だ、きらめきって」

「何だろー……しぶとさ?」

「それはきらめきなのかっ?」

 クレシュはそれには答えず、鍋をかきまわしながらしばらく沈黙していた。

 焚火の炎が、整った顔に妖艶な影を映す。美しいその光景は、ひどく現実離れして、まるで一枚の絵画のようだ。

「昔の勇者様はさー、めちゃくちゃ強かったんだってー」

 ──口さえ開かなければ……なあ。

 ゼノの幻想を打ち砕いて、クレシュがふたたび話し始めた。

「百年前の最後の勇者様……あたしのひいひいおじいちゃんが案内したんだよー。〈白銀の英雄〉イルマラート。傭兵上がりの騎士で、たくさん武勲を立てて貴族にまでなったんだけどねー、〈魔王〉を倒すために、お姫様との結婚話も蹴って、国を出て勇者になったんだってー。それはそれは強くて、魔物の軍勢が恐れをなして道をあけたっていうぐらい。たった一人で軍隊を壊滅させたり、邪竜を倒したりもしたらしいよー。四つの鍵もあっというまに集めちゃってさー。すごいよねー。ああー、かっこいいなあー」

 ──すごいというより、もはや化け物……。

 クレシュの熱弁に腰が引けていたゼノは、いつになく饒舌な彼女の様子を見ているうちに、突然気づいた。

 ──そうか、こいつは、勇者になりたかったんだ。

 本当は自分のほうがうまくやれると思いながら、一族の務めとして、自分より弱い勇者を導かなければならないはがゆさ。そこに何度も落胆が積み重なれば、こんなふうにやさぐれた人格が形成されてもおかしくない。のかもしれない。

「いっそ、おまえさんが勇者になればいいじゃないか」

 ゼノが思い切って言うと、クレシュはあっさり否定した。

「駄目だよー。案内人が失敗したら、だれが跡を継ぐのさー」

「そういえば、おまえさんの一族ってのは、どういう役割なんだ? あの神官のじいさんは、たしか鍵の監視とか言ってたような……」

 どうせ離脱するからと、聞かないつもりでいたが、つい好奇心に負けた。

「うーん、どう説明すればいいのかなー」

 クレシュは料理の味見をしながら、眉間にしわを寄せた。

「四つの鍵は、一回使うと消えちゃうんだよねー。で、しばらくするとまたどこかに生まれるの。どこに現れるか、どういう形をしているかは、そのときによってばらばらでー。あたしの一族には、その場所を探す方法が伝わってて、新しい勇者が選ばれるまでに、場所を特定して見守る……って感じー」

「なんでまた、そんなめんどくさいことになってるんだ。封印しなきゃいけないのに、封印するまでの道のりがたいへんすぎって、意味がわからん」

「まー、一つにはあれだよ、勇者の資格ってやつー? 封印する力を示すための試練、みたいな? もう一つは、〈魔王〉がいる場所へ行くための鍵だからさー……封印を解こうとするやつらの手に渡らないように、ってことじゃない? たぶんだけどー」

「なるほど。そう言われればまあ、わからなくもないような……」

「それよりも、ほら、ごはんできたよー」

 椀とさじを手渡されて、ゼノは黙った。

 干し肉と干し野菜を煮込んで塩で味付けしただけのスープだが、空腹のせいもあってかなかなかいける。硬いパンを浸して食べ、おかわりもした。

「ごちそうさん。うまかったよ」

「まずくなくてよかったねー」

 他人事のように返されて調子が狂う。

 ゼノは思わず吹き出してしまい、クレシュに怪訝な顔をされた。


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