第二章 にわか勇者、夏の虫になる
2-1
ゼノとクレシュの道行きは、出だしから早くもつまずいた。
「いやー、土砂崩れで道がふさがっちまってね。開通にはひと月ばかりかかるんじゃねえかって話でさあ」
山越えのため、荷馬車に便乗させてもらおうとしたところ、道自体が使えなくなってしまったと告げられた。
「迂回路はあるにはあるが、細い旧道で馬も通れねえ。山賊すら寄り付かねえぐらいだから、おすすめはできねえなあ」
──よし、これで旅は中止だな!
ゼノは胸の内で快哉を叫んだが、クレシュはあっさり言った。
「しょーがないなー。じゃー、野宿の準備して行くかー」
「え、行くの? ……野宿?」
「あたしなら三日もあれば越えられるけどねー。まー、おにーさんの足じゃ、十日ぐらいは見ておいたほうがいいかなー」
足止めをくらっているうちに逃亡しようと思ったのに、目論見がはずれた。山中で一人になるのは自殺行為だ。山を越えるまで我慢するしかない。
ゼノが歯噛みしている間に、クレシュは村の家々をまわって交渉し、いつのまにか必要な物資をそろえていた。こういうところを見ると、たしかに有能だ。少なくとも旅慣れてはいる。増えた荷物を、二人で手分けして担ぐ。
「さー、いくよー」
呼ばれてゼノは、しぶしぶ歩きだした。
村を出て本道からはずれ、山沿いの道をしばらく進む。クレシュが急に左手の草むらに踏みこんでいったので、何かと思ったら、そこが旧道の始まりだった。
「これが……道か……ううむ」
獣道という次元ではない。長い間だれも利用していなかったらしく、草木に覆われて足元がほとんど見えない。踏み固められた地面の感触から、かろうじて、もしかしたらかつて道だったのかもしれないと想像できる程度だ。
「このへんは雑草が多いからねー。もうちょっとしたら道らしくなるから、まー、がんばってー」
クレシュは腰の剣を抜き、自分の背丈ほどもある草木を薙ぎ払いながら、勇ましく先を進んでいく。
──こいつ、本当にできるやつだったんだ……。
ゼノは、認識を改めて案内人の後ろ姿を見つめた。
剣術を習ったことはないが、仕事がら小刀の扱いには慣れている。だからわかる。生えている草を片手で断ち切るのは容易ではない。さほど膂力があるとも思えない体で、重い長剣を軽々と振り回して道を切り開いていくこの少女は、かなりの凄腕だ。
枝葉を踏みしめながらなんとかついていくと、やがて明るい草地が終わり、高い木々が鬱蒼と茂る森に入った。
なるほど、日陰で下生えが少なくなったおかげで、道らしいものが視認できる。
「この道、変なふうに枝分かれしてるから、ちゃんとついてきてねー。はぐれたら死ぬよー」
さらりと言われたが、こんなところではぐれたら、本当に死ぬ。ずっと街暮らしだった自分には、野外で生き延びる能力など皆無だ。言われなくてもついていく。
クレシュは小柄なくせに足が速く、ともすると引き離されそうになった。そのたびに慌てて追いかけると、ゼノが追いつくまで歩調を落とす。そのうち足並みがそろったが、向こうがこちらの速度に合わせてくれているのだと、しばらくしてゼノは気づいた。
幸い天候には恵まれ、木漏れ日がほどよく暖かい。少し湿った空気。刺激のある木の香りと、踏むたびに立ちのぼる土の匂い。ときおり鳥の声がする以外、聞こえるのは自分たちの足音だけだ。
黙々と歩いていると、時間の感覚がおかしくなってくる。この森に入ったのはいつだっただろう。一日前? 二日前? それともひと月ほどか。もしかしたらもう何年も、こうして二人で歩き続けているような気もする。
「このへんで少し休もうかー」
クレシュの声に、ゼノははっと我に返った。
歩いている間は気づかなかったが、足が棒のようになっている。木の根元に腰を下ろすと、全身に疲労がどっとのしかかってきた。体のあちこちがこわばり、早くも筋肉痛の兆しが感じられる。足の裏は熱をもってずきずき痛む。
差し出された水と干し肉を黙って受け取り、口に入れた。水は生ぬるく、干し肉の味は微妙だが、それでも多少は活力が戻ってくる。
「おにーさん、ちょっと見直したよー」
クレシュが干し肉をかじりながら言った。
「山歩きなんて初めてだろうに、けっこうがんばるねー」
「いや……もう、行き倒れ寸前だ」
「でも歩くでしょー?」
挑発するように言われて、ゼノは唸った。
山に入る前に、無理にでも逃げておくべきだっただろうか。だが、ここまで来てしまった以上、山を越えるまで後戻りはできない。
そう悔やむ一方で、この状況をどこか楽しんでいる自分もいた。
慣れないことをしたせいで、気分が高揚しているだけかもしれない。たまに盗みをして、気ままに暮らす自堕落な日々。悪事を働く緊張感はもはや日常で、おそらく自分は退屈していた。だからいまこのひとときが、妙に新鮮で、離れがたい。
──いやいや、待て、早まるな。だからといって、こんなきなくさい話に乗ったら、まずいどころの騒ぎじゃないって!
ゼノは暴走しかけた自分を抑え、水といっしょに流しこんだ。
「さーて、出発するよー」
立ち上がるのは心底つらかった。
みしみしいう体をなんとか動かし、おそるおそる足を踏み出す。始めの数歩は涙がにじむほど痛んだ。歩き続けると多少はましになり、やがてほとんど感じなくなった。
前を行く赤毛の少女は、水を得た魚のように生き生きとして見える。
──まったくもって、たくましいな。
彼女を見ていると、こちらまで力が湧いてくるような気がする。
もちろん錯覚だった。
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