1-2

「大神官様、お連れいたしました」

 神殿に連行されたゼノは、そのまま奥の小部屋に通された。騎士の一団は扉の前で下がり、隊長と思われる一人だけが付き添って入室する。

「ご足労いただき、ありがとうございます」

 窓際の机で書き物をしていた神官が、立ち上がって口を開いた。好々爺然とした小柄な老人だ。

「私は、この神殿の統括をしております、大神官ネストーレ。そちらは聖騎士団長のドレクです」

 手枷をはずされ、簡素な応接セットの椅子を勧められる。茶と菓子まで出されて、ゼノは狐につままれた気持ちになった。

 ネストーレが向かいの席につき、ドレクは兜だけとってその傍らに控えた。いかつい顔をした、いかにも番犬らしい壮年の男。

「話に聞いたとおり、見事なお手並みでした」

 大神官への報告が半分、ゼノへの称賛が半分といった調子で、ドレクが言う。

 ──じゃあ、あれは俺を試すための……?

 ますますもって意図がわからない。

「何とお呼びすればよろしいか。〈黒い霧〉殿、それとも〈鍵の魔法使い〉殿?」

「いや、何か誤解があるようだが、俺はそんな──」

 ゼノは否定しようとしたが、ドレクに一蹴された。

「とぼけても無駄ですぞ。あの短時間で、あれだけの錠を傷ひとつなく破るなど、くだんの怪盗以外にできる者はおりますまい。この目で見てもまだ信じられないほどだ」

 解錠そのものを目撃されたかと、一瞬ぎくりとしたが、見ただけでは何もわからないはずだと思いなおす。逃走にも使える切り札なので、あれはできるかぎり秘密にしておきたい。

 それにしても、歯が浮くような二つ名で呼ぶのは勘弁してほしかった。もともとインチキじみた力のおかげだし、あんな単純な罠にまんまとはまった大間抜けだ。

「ゼノ」

 腹をくくって言った。

「俺の名前は、ゼノだ」

 どうせ面も割れている。いまさら名前を知られてもどうということはないだろう。

「ではゼノ様。あなた様の腕を見込んで、お願いがございます」

 大神官ネストーレがすっと姿勢を正して言った。

「勇者になってください」

「…………は?」

 聞き違いかと思った。

「あのう……いま、なんと?」

「ですから、あなた様に、勇者になっていただきたいと申しあげたのです」

 ネストーレの表情はいたって真剣だ。

「いや、あの……俺はただのコソ泥だぞ? いきなり何をわけのわからないことを──」

「我々に必要なのは、まさしく貴殿のような技量なのだ」

「さようでございます。あなた様こそが、私どもの勇者になれるお方」

 二人から熱い視線を向けられて、ゼノはたじろいだ。

 話がまったく見えない。急に自分の理解力が消失したような無力感に襲われる。

 そんなゼノを置き去りにしたまま、老神官は勝手に話を続けた。

「とある場所に、〈連環の魔王〉と呼ばれる恐ろしい魔物が封印されております。あまりに強大な力を持つため、完全には封じることができず、定期的に封印しなおさなければなりません。これまであまたの勇者が挑んできましたが……最後に成功したのは百年ほど前。それ以降は、だれひとりとして、封印どころか、かの地に到達することすらできていないのが現状です」

「ちょ、ちょっと待ってくれって……俺は剣も魔法も使えない、ただの一般人だ。歴戦の勇者がよってたかってできなかったことが、俺にできるはずないだろう?」

「進んで戦う必要はございません。必要な場所へ行って、必要な物を集めさえすれば、かの地への道は開けます。必要なのは、あなた様の盗みの腕と──最後にちょっと、魔王の胸を刺していただければ」

 ──その、ちょっと、って何……。

「腕の立つ者を、護衛兼案内役としてつけますので、道中の心配はご無用です。成功の暁には、できるかぎりの報酬もお約束しましょう」

「悪いが、俺には無理──」

「断ると申されるか」

 ゼノが最後まで言い終わらないうちに、ドレクが殺気をはらんだ声で言った。

「もちろん、貴殿にも選択の自由はある。おたずね者として役人に引き渡されるか、この場で切り捨てられるか、あるいは、棺に押し込まれてうんと言うまで生き埋めにされるか、はたまた──」

「くそっ……わかったよ! やればいいんだろう、やればっ!」

 つまりは、選択の自由などないということだ。

 ここはひとまず応じるふりをして、あとで隙を見て逃げるしかない。こんな面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。

「お引き受けいただき、感謝いたします」

 老神官が満面の笑みで言い、席を立ってゼノの傍らにひざまずく。

「勇者様に、神のご加護を」

 かざした手のひらに赤い光が灯り、大輪の花のような複雑な紋様が浮かび上がった。

 その光を胸に押しあてられたとたん、ゼノは焼けるような痛みを覚えた。

「……!?」

 襟元を開いて覗きこむと、自分の胸に同じ紋様が赤く刻まれている。彫り物や焼き印とは異なり、持って生まれた痣か何かのようだ。

「な……なんだよ、これ……」

「これは〈連環の祝福〉──神の力を秘めた聖なる印です。この印が勇者様を守り、〈連環の魔王〉のもとへと導いてくれるでしょう」

 ──勝手に人の体に傷をつけやがって。

 むかつく気持ちの裏で、退路を断たれたような不安が一瞬よぎる。

 老神官はあいかわらずゼノの反応には頓着せず、一転、憂いに満ちた表情で語りはじめた。

 太古、魔王ドム・ナ・パラージャに率いられた魔物たちの侵攻により、生きとし生けるものすべてが滅びの危機に瀕した。そのとき、太陽の女神ヘルミトが軍勢とともに降臨し、魔物を鎮圧して魔王を倒した。

 ここまではだれもが知っている神話だが、これには続きがある。

 じつは魔王は不死で、女神の力をもってしても消滅させることができなかった。そこで女神は、だれも近づくことのできない牢獄に魔王をつなぎ、勇者に封印の更新をさせることにした。〈連環の祝福〉は道しるべ。この印を賜った者にしか使えない四つの鍵を手に入れれば、かの牢獄にたどり着くことができるという。

 以来、十数年に一度、一人の勇者が選ばれ、魔王再封印の旅へと送り出されていたのだが──先述のように、ここ百年ばかり、だれも成功していない。

「このところ、各地で魔物の数が急増しております。〈魔王〉の封印が弱まり、漏れ出た魔力が世界の均衡を崩しはじめているのです。このままでは遠からず、魔物が地上を席巻し、神話時代の悪夢がよみがえるでしょう。さらに、万が一〈魔王〉が復活することにでもなれば……」

 ──こいつは、とんだ茶番だな。

 おとなしく話を聞くふりをしながら、ゼノは考えを巡らせた。

 世界の命運が勇者一人の肩にかかっているなど、おとぎ話にもほどがある。腕の立つ者なら聖騎士団にいくらでもいるだろうし、一人で突破できないなら、軍隊でも差し向ければすむ話だ。それをわざわざ、自分のような小悪党を勇者に祭り上げようとしているのには、きっと何か裏がある。

 ──ま、俺には関係ない。

 出発してしまえばこっちのもの。監視の目がなくなったところで、適当に護衛をまいてずらかるだけだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る