第一章 伝説の盗賊、勇者になる
1-all
──ふふ。今回は楽勝だな。
大邸宅の屋根の上から下界を見下ろし、ゼノはほくそ笑んだ。
都じゅうが祭で沸きかえり、そちらに人手が割かれているため、住宅地の警備はかなり手薄になっている。
今夜の狙いは、都でも指折りの金満家、ベラム卿の収集品だった。西方から届いたばかりの至宝の数々が、まだ手付かずの状態で保管されているという。目録に載っていないお宝なら、足がつきにくいのでさばきやすい。
音もなく屋根の上を移動し、縄をかけて角の客用寝室まで伝い下りた。
中に人の気配がないことを確認してから、窓の鎧戸に手をあて、自分にしか聞こえない声で短くささやく。
『ヒラケ』
手ごたえがあり、鎧戸がひとりでに開いた。同様に窓も解錠して侵入すると、縄を回収して元どおりに戸締まりした。
家人も使用人も祭に出かけ、邸内には最低限の人員しか残っていないはずだ。
巡回の足音も聞こえない。そっと部屋を出て、暗記した見取り図を頼りに階下へと向かう。
廊下の角を曲がろうとしたとたん、視界の隅で人影が動き、ゼノはぎょっとして振り向いた。なんのことはない、姿見に映った自分だった。
黒い髪、琥珀色の目。ほどよく日焼けした顔に、骨格のしっかりした痩躯。腰に泥棒の七つ道具を提げ、黒装束に身を包んだ姿は、どう見てもいっぱしの悪党だ。
──俺も少し、年をとったかなあ。
自分の全身を横目で見ながら、壁にかけられた鏡の前を通り過ぎる。
三十代なかばの働き盛りとはいえ、もう十代、二十代のような無理はきかない体だ。とくにこのような稼業では、一瞬の失敗が命取りにもなりかねない。
──これが終わったら、そろそろ引退を考えるか。
幸い、これまでに貯めこんだ財がある。田舎に小さな家でも買って、のんびり余生を過ごすのも悪くない。
そんなことをぼんやり考えながらも、頭の残り半分は仕事に集中し、油断なく邸内を進んでいく。
突然、階下で大きな物音がした。はっとして陰に身を隠すと、年配の女性がだれかを叱る声が聞こえてきた。どうやら、厨房での仕込み中に、若い使用人が何かを落としたらしい。
だれもこちらに来る気配がないので、ゼノはほっと息をつき、ふたたび忍び足で歩きはじめた。
二階部分に、見取り図と建物の外観が一致していない一画がある。書斎の奥にあたる場所だ。そこに隠し部屋があり、貴重品の保管庫になっている可能性が高い。
階段を下り、コの字型の廊下をまわって、めざす書斎の前にたどり着いた。
扉に手を触れてささやく。
『ヒラケ』
室内の様子は、ほぼ想像どおりだった。
窓際には、豪奢な書き物机と、揃いの椅子。向かって右側の壁には風景画が飾られ、その手前に水差しとグラスの置かれた脇机がある。それ以外の壁面はすべて、背の高い書架で覆いつくされている。
隠し部屋があると思われるのは、左手の壁の向こうだ。
呪文を唱えると、仕掛けが動いて書架が横にずれ、いかにも頑丈そうな扉が現れた。
扉本体と枠は金属製で、見える錠だけでも三つはある。だが、どれほど堅牢な作りでも、ゼノの前では無意味に等しい。
重い扉が静かに開き、いそいそと中に入ろうとしたゼノは、想定外の光景に動きをとめた。
白い甲冑を身に着けた兵士の一団が、こちらを取り囲むように槍を構えている。太陽をかたどった紋章を見るに、神殿の騎士たちだ。
「──し、失礼」
慌てて踵を返すと、いつのまにどこから現れたのか、書斎のほうでも騎士の一団が待ち受けていた。
「え、えーっと……???」
ゼノは毒気を抜かれて立ちつくした。
罠だったということは理解したが、しまったという気持ちよりも、疑問のほうが先に立つ。
──神殿兵が、どうしてここに?
信心深くないとはいえ、神殿の物を盗むような罰当たりなことをした覚えはない。どうやら最初から、ゼノの情報源やベラム卿にまで手をまわしていたようだが、神殿の騎士団は都の治安とは無関係だ。しかも、人ひとりを相手にするには、ずいぶん大げさなこの捕り物。
──俺はいったい、何をやらかした……?
騎士たちが無言のまま、いっせいに包囲の輪を縮めてくる。
ゼノはとりあえず、両手を上げて降参した。
「大神官様、お連れいたしました」
神殿に連行されたゼノは、そのまま奥の小部屋に通された。騎士の一団は扉の前で下がり、隊長と思われる一人だけが付き添って入室する。
「ご足労いただき、ありがとうございます」
窓際の机で書き物をしていた神官が、立ち上がって口を開いた。好々爺然とした小柄な老人だ。
「私は、この神殿の統括をしております、大神官ネストーレ。そちらは聖騎士団長のドレクです」
手枷をはずされ、簡素な応接セットの椅子を勧められる。茶と菓子まで出されて、ゼノは狐につままれた気持ちになった。
ネストーレが向かいの席につき、ドレクは兜だけとってその傍らに控えた。いかつい顔をした、いかにも番犬らしい壮年の男。
「話に聞いたとおり、見事なお手並みでした」
大神官への報告が半分、ゼノへの称賛が半分といった調子で、ドレクが言う。
──じゃあ、あれは俺を試すための……?
ますますもって意図がわからない。
「何とお呼びすればよろしいか。〈黒い霧〉殿、それとも〈鍵の魔法使い〉殿?」
「いや、何か誤解があるようだが、俺はそんな──」
ゼノは否定しようとしたが、ドレクに一蹴された。
「とぼけても無駄ですぞ。あの短時間で、あれだけの錠を傷ひとつなく破るなど、くだんの怪盗以外にできる者はおりますまい。この目で見てもまだ信じられないほどだ」
解錠そのものを目撃されたかと、一瞬ぎくりとしたが、見ただけでは何もわからないはずだと思いなおす。逃走にも使える切り札なので、あれはできるかぎり秘密にしておきたい。
それにしても、歯が浮くような二つ名で呼ぶのは勘弁してほしかった。もともとインチキじみた力のおかげだし、あんな単純な罠にまんまとはまった大間抜けだ。
「ゼノ」
腹をくくって言った。
「俺の名前は、ゼノだ」
どうせ面も割れている。いまさら名前を知られてもどうということはないだろう。
「ではゼノ様。あなた様の腕を見込んで、お願いがございます」
大神官ネストーレがすっと姿勢を正して言った。
「勇者になってください」
「…………は?」
聞き違いかと思った。
「あのう……いま、なんと?」
「ですから、あなた様に、勇者になっていただきたいと申しあげたのです」
ネストーレの表情はいたって真剣だ。
「いや、あの……俺はただのコソ泥だぞ? いきなり何をわけのわからないことを──」
「我々に必要なのは、まさしく貴殿のような技量なのだ」
「さようでございます。あなた様こそが、私どもの勇者になれるお方」
二人から熱い視線を向けられて、ゼノはたじろいだ。
話がまったく見えない。急に自分の理解力が消失したような無力感に襲われる。
そんなゼノを置き去りにしたまま、老神官は勝手に話を続けた。
「とある場所に、〈連環の魔王〉と呼ばれる恐ろしい魔物が封印されております。あまりに強大な力を持つため、完全には封じることができず、定期的に封印しなおさなければなりません。これまであまたの勇者が挑んできましたが……最後に成功したのは百年ほど前。それ以降は、だれひとりとして、封印どころか、かの地に到達することすらできていないのが現状です」
「ちょ、ちょっと待ってくれって……俺は剣も魔法も使えない、ただの一般人だ。歴戦の勇者がよってたかってできなかったことが、俺にできるはずないだろう?」
「進んで戦う必要はございません。必要な場所へ行って、必要な物を集めさえすれば、かの地への道は開けます。必要なのは、あなた様の盗みの腕と──最後にちょっと、魔王の胸を刺していただければ」
──その、ちょっと、って何……。
「腕の立つ者を、護衛兼案内役としてつけますので、道中の心配はご無用です。成功の暁には、できるかぎりの報酬もお約束しましょう」
「悪いが、俺には無理──」
「断ると申されるか」
ゼノが最後まで言い終わらないうちに、ドレクが殺気をはらんだ声で言った。
「もちろん、貴殿にも選択の自由はある。おたずね者として役人に引き渡されるか、この場で切り捨てられるか、あるいは、棺に押し込まれてうんと言うまで生き埋めにされるか、はたまた──」
「くそっ……わかったよ! やればいいんだろう、やればっ!」
つまりは、選択の自由などないということだ。
ここはひとまず応じるふりをして、あとで隙を見て逃げるしかない。こんな面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。
「お引き受けいただき、感謝いたします」
老神官が満面の笑みで言い、席を立ってゼノの傍らにひざまずく。
「勇者様に、神のご加護を」
かざした手のひらに赤い光が灯り、大輪の花のような複雑な紋様が浮かび上がった。
その光を胸に押しあてられたとたん、ゼノは焼けるような痛みを覚えた。
「……!?」
襟元を開いて覗きこむと、自分の胸に同じ紋様が赤く刻まれている。彫り物や焼き印とは異なり、持って生まれた痣か何かのようだ。
「な……なんだよ、これ……」
「これは〈連環の祝福〉──神の力を秘めた聖なる印です。この印が勇者様を守り、〈連環の魔王〉のもとへと導いてくれるでしょう」
──勝手に人の体に傷をつけやがって。
むかつく気持ちの裏で、退路を断たれたような不安が一瞬よぎる。
老神官はあいかわらずゼノの反応には頓着せず、一転、憂いに満ちた表情で語りはじめた。
太古、魔王ドム・ナ・パラージャに率いられた魔物たちの侵攻により、生きとし生けるものすべてが滅びの危機に瀕した。そのとき、太陽の女神ヘルミトが軍勢とともに降臨し、魔物を鎮圧して魔王を倒した。
ここまではだれもが知っている神話だが、これには続きがある。
じつは魔王は不死で、女神の力をもってしても消滅させることができなかった。そこで女神は、だれも近づくことのできない牢獄に魔王をつなぎ、勇者に封印の更新をさせることにした。〈連環の祝福〉は道しるべ。この印を賜った者にしか使えない四つの鍵を手に入れれば、かの牢獄にたどり着くことができるという。
以来、十数年に一度、一人の勇者が選ばれ、魔王再封印の旅へと送り出されていたのだが──先述のように、ここ百年ばかり、だれも成功していない。
「このところ、各地で魔物の数が急増しております。〈魔王〉の封印が弱まり、漏れ出た魔力が世界の均衡を崩しはじめているのです。このままでは遠からず、魔物が地上を席巻し、神話時代の悪夢がよみがえるでしょう。さらに、万が一〈魔王〉が復活することにでもなれば……」
──こいつは、とんだ茶番だな。
おとなしく話を聞くふりをしながら、ゼノは考えを巡らせた。
世界の命運が勇者一人の肩にかかっているなど、おとぎ話にもほどがある。腕の立つ者なら聖騎士団にいくらでもいるだろうし、一人で突破できないなら、軍隊でも差し向ければすむ話だ。それをわざわざ、自分のような小悪党を勇者に祭り上げようとしているのには、きっと何か裏がある。
──ま、俺には関係ない。
出発してしまえばこっちのもの。監視の目がなくなったところで、適当に護衛をまいてずらかるだけだ。
「──で」
ゼノは、自分の胸の高さにある赤毛の頭を見下ろして言った。
「お嬢ちゃんが……俺の護衛?」
まだ二十歳にもなっていないだろう。肩の上で切りそろえた赤い髪に、濃淡の混じった灰色の目、白磁の肌。だれもが振り返るほどの美貌の持ち主だが、残念ながら評価できるのはそこだけだった。
歩きやすい軽装に外套をはおり、肩に荷物袋をかけた典型的な旅装束。腰の剣は飾りといった態で、その細腕では、はたして抜けるかどうかも怪しいところだ。
「クレシュでーす。どーもー」
終始だるそうな態度で、挨拶するのに目を合わせようともしない。値踏みするようにゼノを一瞥したきり、足元を通過する虫の動きを眺めている。
「こちらは、四つの鍵を代々監視する一族の一人、クレシュ様です。今回、ゼノ様の道案内と護衛をしていただきます」
大神官ネストーレが、さすがに少し申し訳なさそうな様子で紹介した。
「ねー、大神官様。この人、本当に大丈夫なのー?」
クレシュが、あいかわらずゼノを無視したまま老神官に問いかける。
「見るからに弱っちそうだし、暗そうだし、全然勇者に見えないんだけどー」
「心配はご無用です、クレシュ様。ゼノ様は錠破りの天才。難攻不落の城門も、金剛不壊の岩盤も、このお方にとっては障害にもならないはず。あいにく武芸や魔法の才には恵まれておられないようですが、そこはクレシュ様にお力添えいただければ……」
「ふーん、錠破りねー……」
初めてクレシュがゼノの顔をまともに見た。
不思議な灰色の瞳に見つめられて、ゼノはがらにもなくどぎまぎしたが、つぎの言葉でたちまち現実に引き戻される。
「でもさー、これでもう何人目―? あたしだって楽じゃないのよねー。同じとこ何度も案内して、あげく勇者様が敵前逃亡したり、ドジ踏んで死んじゃったりさー」
なにやら、想像以上に過酷な道行きのようだ。
というよりも、これまでの失敗は、このやる気のない案内人のせいではないのか? という疑惑がむくむくと頭をもたげる。
──やばいな。これはなるべく早くとんずらしないと。
ところが、クレシュのほうは急に興味を覚えたらしく、近づいてしげしげ見回したかと思うと、ゼノの肘に腕を絡めてすり寄ってきた。
「まーでも、いままでの勇者様に比べたら、このおにーさんのほうが肝は据わってそうだよねー。いいよ、案内してあげるよー」
「ありがとうございます、クレシュ様。なにとぞよろしくお願いいたします」
二人がなごやかに歓談する傍らで、ゼノは、押しつけられたクレシュの柔らかな体を意識しながら、前途多難な旅に思いを馳せた。
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