11-2
──オリヴィオ!!
まるで最初からそこにいたかのように、大魔法使いはゼノたちに背を向けてリテルに対峙していた。
実際には、直前まで呪文の声の範囲外にいたらしい。横で編んで胸元に垂らした長い髪、ありふれた旅装束、左手には黒々とした長い杖。すべてが崩壊し武器も衣類も四散したこの一帯で、彼だけが平常どおりだ。
「あー、無能魔法使いー」
感動的ともいえる助っ人の登場場面を、クレシュの気の抜けた声がぶち壊した。
──うん、クレシュもある意味いつもどおりだよな……。
とはいえ彼女も、リテルに対抗できるとしたらオリヴィオしかいないのはわかっているのだろう、安堵と悔しさの入り混じった複雑な表情を浮かべている。
「おや、小汚い鼠がもう一匹隠れていましたか。まあいいでしょう。望みどおり、あなたから片づけてさしあげますよ」
そう言ってリテルが片手をひらめかせた──が、何も起こらない。
「……むう」
さらに手を振る。見えない巨獣が踏みつけたように地面が沈んだ。だがオリヴィオやゼノたちの足元には変化がなく、リテルの顔に焦りがにじむ。
リテルが両腕を広げると、周囲の瓦礫がいっせいに浮かび上がった。押し出すような動作とともに、それらすべてがオリヴィオに襲いかかった。
あっと思う間もなく、瓦礫の矢ぶすまはオリヴィオの手前で弾き返され、反対にリテルを襲う。
「がああっ!」
全身を打たれ、切り裂かれたリテルは、怒りの形相でこんどは片手を高く掲げた。
頭上に青白い光の球が生まれ、そこから幾筋もの光線がオリヴィオに向かって放たれる。
それらはまたもや弾かれて、リテルの全身に無数の穴を穿った。
「……おのれ……」
その姿はもはや、満身創痍という表現を通り越して不気味だった。骨しかない翼の片方は砕け散り、残った片方もちぎれかかって垂れ下がっている。白かった肌は青黒く変色し、血にまみれ、あいた穴を通して背後の景色が見える。頭部が崩れかかっているにもかかわらず、平然と動いてしゃべっているさまは、とうてい生あるものとは思えない。
「あなたはいったい……何者なんだ?」
オリヴィオは不快感もあらわに疑問を口にした。
「わたくしにそれを問うのですか」
砕けた顎をうごめかせてリテルは答えた。
「わたくしは神です。〈月の王〉、〈全なる月〉リテル。夜の世界を統べる月の神ですよ」
「月の神リテル? 僕が想像していたのと、ずいぶん違うね」
オリヴィオは振り返り、確認するようにゼノの顔を見た。ゼノは口がきけないので、あいまいに肩をすくめてみせた。
そのすきを狙って、リテルがふたたび尖った瓦礫の塊をオリヴィオめがけて飛ばす。
跳ね返った瓦礫はリテルの腰を砕き、リテルは無様に尻餅をついた。劣勢は明らかなのに、どうしたことかそのままの姿勢で笑いだす。
「ふ……ふははははっ……強い! さすがは魔王の一味だけあって、人族とは思えない強さですね! けれども無駄ですよ。月は欠けてもまた満ちるもの。たとえこの体をばらばらにされようと、わたくしは何度でもよみがえります。あなたにわたくしを殺すことはできません!」
その言葉を裏付けるように、急速にリテルの肉体が再生を始めた。
全身にあいていた穴がみるみるふさがり、切り傷が癒え、変色していた肌が元の白さと輝きを取り戻していく。翼はあいかわらず骨格だけだが、それでも両翼が復活する。
ゼノは震え上がったが、オリヴィオは別のことが気になったらしく、また後ろを向いて尋ねた。
「魔王の一味って?」
事情を説明したいところだが、だれも口を開こうとしない。しかたなくゼノは、身振り手振りで声が出ないことを伝えようとした。
「……わかった」
何がわかったのか、オリヴィオの目に剣呑な光が宿る。
「それなら、こうするまでだ」
オリヴィオが前に向き直ると同時に、リテルの全身が淡い光に包まれた。金色から緑、青、紫、赤──と、色合いを変えながら明滅する不思議な光。
リテルは輝く自分の手を見て、いぶかしそうに眉をひそめる。
「何をしようと無駄だと言ったでしょう」
戸惑いながらも強気な物言いをするその姿が、ふっと揺らめいた。輪郭がぼやけ、光の粒が湯気のように立ちのぼりはじめる。
「これは……?」
「ばらばらになってもよみがえるというから、再生できないほど細かくしているのさ」
「愚かな試みを……月の不死性は絶対です。この程度のことでは……」
「形あるものには、その存在を保つのに必要な最小限の大きさがあるようでね。それ以下に分解してしまえば、元の状態には戻れないんだよ」
「ふ……仮にそれが本当だとして、そんな桁違いの力を行使できるのは〈連環の魔王〉くらいのもの──」
言いかけたリテルの言葉がふと途切れた。
「──まさか……貴様は〈連環の魔王〉……!? すでに復活していたというのですか……!?」
ゼノもぎくりとしてオリヴィオを見つめた。
最強と謳われる大魔法使い。年をとらず、神殿とつながりを持ち、魔物たちとも交友があり、〈連環の儀式〉にも積極的にかかわっている──。いや、そうだとすると、つじつまが合わないこともある。オリヴィオが魔王なら、みずから勇者に志願する必要はないし、ゼノに鍵を集めさせる必要もないはずだが──それとも、そもそも前提も目的も違うのか……?
「……えっ? 僕が魔王?」
だが言われた当の本人は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「違うよ。僕はちょっと魔法が得意な、ただの人間だ」
「ならばなぜ……魔王の味方をするのです……!」
「意味がわからないけど……僕が来たのは、あなたが僕の友人に手を出したからだよ」
そう言いながらゼノを見るオリヴィオの視線を追って、リテルはふたたび怒りに顔を歪ませた。
「やはり魔王の味方ではありませんか……!」
振り上げようとした腕が、風に吹かれた霧のように崩れ、四散した。
「っ……! おのれ……!!」
つづいてもう一方の腕も。
ますますあいまいになった輪郭は、輪郭ともいえないほどに薄れ、きらめく光の粒となって拡散していく。
「…………! ……! …………──」
何やらわめいているらしい声ももはや言葉として聞き取れず、一陣の風を最後に静寂がおりた。
いつのまにか高くなっていた日の光の下、瓦礫と化した街の残骸が茫漠と広がっているばかり。リテルがいた痕跡は、どこにもない。
「……ふう。気持ち悪かった」
オリヴィオは溜息をついてそう言うと、向きを変えてゼノの方に歩いてきた。
「どれ。口を開けてみて」
あっけない幕切れに惚けたまま、ゼノは言われたとおりにする。
「ひどいことを……声帯と舌の根がつぶされている」
口の中を覗きこんだオリヴィオの言葉に、回復不能なのかとゼノは不安になったが、オリヴィオは安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。すぐに治るから」
喉元に手をあてがわれると、失われていた感覚がじわりと戻ってきた。
「……た……助かった……っ」
声が出た。
不覚にも目の前の景色が涙でにじむ。処刑より何より、言葉を使えないことのほうが精神的にきつかったようだ。
腕の中のトアルが慰めるように抱きしめてきたので、ゼノも抱き返して温かい安堵に身を任せた。クレシュも背中から抱きついてくる。
その様子を見て、オリヴィオのほうは新たに怒りを募らせたらしい。
「あいつめ……十回ぐらい殺し直しておけばよかった」
つぶやきに込められた不穏な響きにゼノのほうがひいてしまう。自分のために本気で腹を立ててくれるのはありがたいし、うれしくもあるが、いささか過剰ではないだろうか。本当に実行する力がありそうなだけに、冗談にならない。
──っていうか、オリヴィオはなんで、俺のことをこんなに気にかけてくれるんだろうな?
いまさらな疑問が頭をよぎる。
──友人だから? でも、俺だけが一方的に面倒見てもらってる気もするしなあ。
そんなことをぼんやり考えていたが、カイエのささやくような声に意識を引き戻された。
「……ヴァラン」
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