11-3
見ればカイエは、いつのまにか移動して、離れた場所で倒れているヴァランの傍らに膝をついていた。
「……すま……ない……巻き込む、つもり……は──」
「いいから、しゃべるな」
カイエの両手からヴァランの腹部にかけて、青白い光が広がっているのは、癒しの魔法で手当てしているのだろう。
出血は止まったようだが、傷口は大きく、深い。目を閉じたヴァランの顔には血の気がなく、代わりに周囲に広がる血だまりを見て、ゼノは一瞬気が遠くなりかける。
「……オレ、は……信じて、た……信じて……た……んだ……」
──そうだろうとも。
ヴァランの行動を振り返って、ゼノは他人事のように思った。信じてもいないのに幼馴染たちを裏切ったのだとしたら、そちらのほうが信じられない。彼は自分の信念に従った、それだけのことだ。
ゼノ自身に対しての仕打ちについては、不思議なことに何の感情も湧かなかった。許す許さない以前に、恨みの気持ちすらない。彼のことを考える余裕がなかったというのもある。実際のところ、リテルが強烈すぎて、ほかはすべて吹き飛んでしまった。
背後でクレシュがためらっているのに気づいて、ゼノは無言で彼女の手に触れた。意を決したようにクレシュは立ち上がり、ヴァランの方へゆっくり歩いていく。
兄妹そろってしばらく癒しの魔法を施したが、ヴァランがそれ以上回復する様子はない。
ゼノはオリヴィオの顔を見た。
オリヴィオは呆れたように見返してきた。
「あの男は、リテルとやらの仲間だったんだろう?」
「でも……」
「あいにくだが、僕は君ほどお人よしじゃない」
──そうか。ふつうはそうだよな。
自分でも自分の気持ちが理解できないまま、ゼノはヴァランたちに視線を戻した。
それ以上だれも口を開かず、やがて兄妹の手から魔法の光が消えた。喘ぐように上下していたヴァランの胸は動きをとめ、大柄な肉体がただの物のように横たわっている。
クレシュは顔を上げてゼノの方を見た。カイエはだれとも視線を合わせず、静かに立ち上がった。
そのとき。
「げほっ! ぐはっ! うげえ……っ!」
激しく咳きこみながら、ヴァランの上半身が跳ねるように起き上がった。
──え……?
「えー?」
「……っ!?」
ゼノはその場でぽかんと口を開け、クレシュとカイエは反射的に跳びしさって身構えた。
だがいちばん驚いているのは当のヴァランだ。目を丸くして自分の両手を見つめ、傷一つない自分の腹部を二度見し、次いで救いを求めるように一同の顔を見回した。
「ええー?」
「なんで……」
彼はたしかに死んでいたはず。クレシュとカイエの驚愕の表情がそう語っている。
ゼノはふたたび傍らの友人に目をやった。
「……オリヴィオ?」
「死んだら生き返る魔法をかけた」
大魔法使いはしれっと答えた。
「なんだよ、それっ!?」
「君の願いはかなえてやりたいけど、君に危害を加えた相手だよ。何の代償もなく治したんじゃ僕の気がすまない。一度ぐらい死んでもらわないとね」
「いや、だからって……めちゃくちゃだな、おいっ!」
真剣にヴァランの死と向き合っていた三人の純情を返してほしい。
もっと何か言ってやろうと口を開きかけたゼノは、目の端にゆらりとうごめくものを見て硬直した。
自分の足元の影が液体のように波立ち、立体となってせりあがる。人の形をした闇は、そのまま全身を現すかと思いきや、膝のあたりまで出たところで不自然に動きをとめた。
言わずと知れたバルデルトだ。ゼノを日よけにする位置で登場したものの、それ以上は直射日光に当たるので断念したらしい。
「──兄上」
闇の王子は、両手ですくうように持った何かをオリヴィオの前に差し出した。
その手に納まるほどの大きさの鳥の死骸──いや、干からびてずたぼろになったアルテーシュの残骸だ。
「神にしては見上げた心根の持ち主でした。この者にも温情を」
どうやら彼は、壁の影にでも潜んで一部始終を見ていたようだ。一度はアルテーシュに邪魔されたというのに、彼女の言動によほど感銘を受けたのか、曇りのない真摯な表情を浮かべている。
「それは僕の領分じゃない」
オリヴィオはアルテーシュだったものを一瞥して言った。
「死んでもいないしね。ゼノ、君のほうが詳しいだろう?」
「──え?」
話を振られたゼノは、羽根のこびりついた木乃伊のような塊をしげしげと眺めた。どう見ても命があるようには見えない。見えないが──。
──あ。
初めてアルテーシュに会ったときのことを思い出す。大岩に磔にされていた彼女は、風雨にさらされて石化した遺骸のようにしか見えなかった。だが、封印を解いたあのとき──。
「雨だ!」
ゼノは思わず大声を上げていた。
「いや、水だ! ヴァラン、水だ! 水を出してくれ!!」
「──へっ……?」
こんどはヴァランがぽかんと口を開けた。
「魔法で水を出せるだろう? アルテーシュに水をかけてくれ! たくさん!」
一同が見守るなか、アルテーシュの骸が地面にそっとおろされた。
わけがわからないという顔をしながら水の球を出現させたヴァランが、ゼノに言われるままその上で手を離す。
骸も地面も水浸しになったが、何も起こらない。
「もっとたくさん!」
ヴァランが先ほどより大きな水球を出してぶちまける。
「もっと!」
何度目かの試みで、骸がかすかに動いたように見えた。干からびたものが水を吸ってふやけただけではない。脈動に似た確かな生命の兆し。
さらに水をかけつづけると、ふいにそれはむくむくとふくらみはじめた。乾いた苔が雨を受けてよみがえるように──若木がすこやかに伸びるように──蕾がほころんで花開くように──。縮んでいた体が大きくなるとともに、すらりとした手足が伸び、瑞々しい肌の上につややかな銀色の髪が流れ、白い羽毛に覆われた翼が力強く広がる。
たおやかに横たわる姿は、もはや元どおりの──先ほどよりも美しいアルテーシュだ。
やがてその口から吐息がこぼれ、両の目蓋が静かに開かれた。
「あ……」
二、三度まばたきしたまなじりから、朝露のような涙がひとしずく伝い落ちる。
一幅の絵画のように幻想的な情景の片隅では、魔力を使い果たしてげっそりとやつれたヴァランが、素っ裸のまま地面に大の字になっていた。
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