10-9

 夜が明け、日が高くなってから、ゼノは塔の外へ連れ出された。

 鉄枷で後ろ手に拘束され、両足も歩幅ほどの短い鎖でつながれている。〈連環の祝福〉を見せるために、上衣を剥ぎ取られて上半身は裸だ。

 扉が開かれると同時に押し寄せるざわめきと熱気。

 昨夜は濃い霧で見えなかったが、そこは闘技場のような場所だった。円形の広場を高い石壁が取り囲み、上から広場を一望できるように階段状の観覧席が設けられている。席は満員で、貴族や役人など街の主立った者が集まっているようだ。

 ──なるほど、公開処刑ってことか……。

 頭に靄がかかったようで、妙に現実感がない。

 公開処刑自体は、とくに珍しくもなかった。重罪人や、名の知られた犯罪者の場合、見せしめのために行われることが多い。ゼノも盗賊として裁かれれば、そうなる可能性は充分にあった。

 だがいまのこれは違う。勇者をやめると決めた直後に、勇者──魔王の申し子として裁かれる皮肉な状況。しかも自分が犯すつもりもない、犯してもいない罪に問われるというのは、どう考えても理不尽だ。

 本当は泣きわめいて命乞いしたいところだが、肝心の声を失ってはそれもかなわない。おかげで醜態をさらさずにいられるというべきか。それ以前に、喪失感から立ち直れないまま虚脱状態が続いているだけなのかもしれないが。

「これより、浄めの儀を執り行います」

 リテルの宣言に、ぼんやりと広場の中央へ視線を向けたゼノは、そこに用意されたものを見て慄然とした。

 地面に鉄の柱が五本、等間隔に立ち並んでいるのは、罪人を縛り付けて固定するためのものだろう。問題は、その傍らに山と積まれている薪だ。

 ──火あぶり……!?

 死が突然、現実のものとなってゼノを打ちのめした。

 いや、ただ死ぬだけなら、絞首や斬首など一瞬で終わるものなら、諦観のうちにそれなりの覚悟はしていた。だが、よりによって火刑とは──。

 生きたまま火で焼かれる。恐怖を自覚するより先に吐き気がこみあげた。吐きたいのに吐けず、胃の腑が裏返るような苦しみに襲われる。息が詰まり、目の前が暗くなった。

 背中を小突かれたが、膝に力が入らず、足をもつれさせて倒れかかった。両脇から兵士二人に抱えられ、文字どおり引きずられながら引き立てられる。

「──魔王の申し子を浄めることにより、魔王の封印は永遠のものとなり──」

 リテルの口上も、もはやろくに頭に入ってこない。

 鉄柱の前に立たされ、胸から足首にかけて鎖でがんじがらめに括りつけられた。足元を囲むように薪が組まれはじめると、恐怖が頂点に達して半狂乱になった。

 助けを求めて──というより、ふくれあがった感情のやり場を求めて周囲に視線を走らせたちょうどそのとき、ゼノが出てきた扉とは別の扉が開かれ、新たに二人の囚人が連行されてきた。

 クレシュとカイエだ。

 二人とも、最初のゼノと同じように手足を拘束され、後ろから小突かれながら歩いてくる。

 ──そんな……! クレシュたちまで……!?

 いまさらながらに気づく。あのときヴァランは、二人の身に危険が及ぶからおとなしくしていろと、そう言ったではないか。自分が逃げようとした結果が、これなのでは……。

 やめておくべきだった。アルテーシュが来たからには、三人いっしょに脱出できると軽く考え、失敗したときのことを想像もしなかった。あのとき、さしのべられた救いの手をつかんでしまったのは、大きな間違いだったのだ。

 ──俺のせいで、二人が殺される……!!

 とてつもない後悔と絶望。

 鼻の奥に痛みが走り、涙で視界がぼやけた。

 近づいてくるクレシュが、ふとゼノの方に顔を向けた。その目がかすかに見開かれ、いつものようににっと笑う。

 ──なんで……なんでそんなふうに笑うんだ!?

 少し汚れているが、完璧に整った美しい顔。その表情に死を恐れる様子はなく、どこかおもしろがっているようにさえ見える。

 ──ああっ! まさか!

 クレシュは、ゼノが三人そろったところで呪文を唱えるつもりだと思っているのではないか。だから、これから自分たちが本当に死ぬとは思っていないのではないか。

 そう考えて愕然とした。

 ──違う! 違う! 俺はいま、声を出せないんだ!

 激しく首を振り、口をぱくぱくさせて必死に伝えようとするが、出るのは空気だけ。

 ──やめてくれ! 頼む! 二人は助けてくれ!

 リテルに向かって目で訴えても、暗い喜びに満ちた老爺の表情は変わらない。

 ──だれでもいい! だれか……!!

 狂おしくあたりを見回すと、こちらに注目している人々と目が合った。

 リテルの近くに控えている兵士たちや役人たち。観覧席から見下ろす貴族や高官たち。観覧席には家族連れも多く、彼らがこの処刑を娯楽の一種とみなしているのがわかる。一人ひとりの目にあるのは、ほんの少しの恐れと──それにまさる興奮、期待、あるいは好奇心──。この場にいる全員が、ゼノたちの死を望んでいるのだ。

 底のない暗闇に落ちていくような気がした。

 いままで感じたことのない恐怖が、全身にしみわたり、気力を奪っていく。

 彼らにとって、自分たちは人ではない。魔王の手先という、神敵の──悪の象徴。人の形をしたただの汚れだ。

(魔物より人間のほうが危険かもしれない)

 ふいに、以前聞いたオリヴィオの言葉を思い出した。

 ──そうだな。本当に、そうだ。

 オリヴィオはいまどこにいるのだろうか。バルデルトが自分を探していたということは、こちらの状況は彼にも伝わっているはずだ。それでも現れないのは、すぐに来られないほど遠くにいるのか、あるいは来られない事情があるのか……。もしかしたら、アルテーシュを衰弱させた瘴気とやらが、オリヴィオの侵入も阻んでいるのかもしれない。

 ──終わりか……。

 ゼノの両側の鉄柱にクレシュとカイエが縛りつけられると、首をねじっても二人の顔が見えなくなった。二人は正面を向いたまま身じろぎもしない。ゼノももがくのをやめた。

 もうどうすることもできない。

「ゼノ……」

 諦めて目を閉じると、蚊の鳴くようなクレシュの声が聞こえてきた。

「守れなくて、ごめん」

 ゼノはかっと目を開けて振り向いた。

 クレシュは前を向いたままで、やはりその表情をうかがうことはできない。

 ──いやだ……!

 心臓を絞り上げられるような苦痛がゼノを襲った。

 ──そんなふうに思わせたまま死なせるなんて……! そんなのはいやだ! あんまりだ……!!

 クレシュがゼノを守れなかったのではない。三勇者を助けると決めたのは自分だ。後先考えず逃げようとしたのも自分だ。死ぬはずのなかったクレシュを、自分のほうが巻き込んだのだ。

「浄めの炎を」

 リテルの合図で、松明を掲げた三人の刑吏が、それぞれ鉄柱の前に進み出る。

 ──やめてくれ! よせ! やめろっ!

 クレシュの足元に松明の炎が近づくのを見つめながら、ゼノは狂ったように暴れた。

 ──くそっ! くそおっ! 声さえ出れば……っ!!

(君の力は逆なんだよ。原理原則を超越して作用する)

 あがく脳裏に、オリヴィオの言葉が天啓のように蘇る。

(制御するために、言葉を介しているんじゃないかと──)

 ──そうだ……もしかしたら、声にしなくても……!

 かすかな希望にすがって、心の中で叫ぶ。

 ──ヒラケ! ヒラケ!

 奇跡は起こらない。

 ──ヒラケ! 頼む、ヒラいてくれ! ヒラケ! ヒラケ!

 頭の芯が焼き切れてしまいそうなほど、強く、深く、一心に願う。

 ──ヒラケ! ヒラケ! ヒラケ──。

『ヒラケ!!』

 そのとき、高らかな声が響き渡った。


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