10-8

 ──リテル……?

 どこかで聞いた覚えが……と首をかしげて、思い出した。

 月の神リテル。アルテーシュを解放したとき、たしか、そのリテルに仕えているとかなんとか言っていた。

 ──ってことは、このじいさんが月の神? アルテーシュの上役?

 そういえば名前が似ている。リテラストスというのは、リテルの正式名か、あるいはこちらが仮の名か。

 いろいろ確認したいことができたが、口がきけないのでなりゆきを見守るしかない。

「久方ぶりですね、アルテーシュ」

 リテラストス──リテルが微笑みを浮かべて言うが、その目つきは冷ややかだ。

「リテル様……ずっとお探ししておりました」

 アルテーシュは崩れるように平伏し、恐るおそるといった様子で顔を上げる。

「しかし、どうしてこのようなお姿に? ほかの神々はいったいどこにおられるのでしょう? 気配も感じられないのですが」

「戦いの影響で多くの神が消滅し、残った者も散り散りになりました」

 淡々と答えるリテル。

「前線に出なかったわたくしも、長い年月のうちに力を失い、形を保つことさえままならなくなったのです。老いさらばえたこの姿、おまえから見れば滑稽でしょうね」

「いいえ、そのようなことは……」

 瘴気にあてられて弱っているせいか、立場的にリテルに頭が上がらないのか、アルテーシュの態度も声もひどく弱々しい。対してリテルは、自嘲する言葉とはうらはらに尊大だ。

「ふ……まあいいでしょう。積もる話はあとにして、まずはその男を渡してもらいましょうか」

「恐れながら、リテル様」

 前へ出ようとするリテルの足元に、アルテーシュがぬかずいて申し立てる。

「この者がここに侵入したのは、私が頼んだからでございます。この者に咎はございません。罰するならこの私を」

「アルテーシュ、おまえは何か勘違いをしているようですね。その者をここに誘いこんだのはこのわたくし。はじめからわたくしは、その者に用があるのですよ。その男──魔王の申し子にね」

「魔王の……申し子……?」

「ああ、そういえばおまえは、あの戦いの結末を知らないのでしたか。最終的に魔王軍は鎮圧され、魔王は封印されたのですよ。けれども水面下で魔王は力を蓄え、いままさに復活しようとしています。その鍵となるのが、そこにいるその男。魔王の封印を解くことができる、唯一にして無二の存在。予言された魔王の申し子です」

 振り返ってうろんげなまなざしを向けてくるアルテーシュに、ゼノは首を横に振ってみせた。

 たとえリテルの言っていることが本当だとしても、自分にはそんなつもりはない。そもそもリテルの言動にはどこか齟齬があるというか、真意がはっきりしないというか、なんともいえない気持ち悪さを感じる。大広間でのやりとりでは、一瞬、本当は魔王を復活させるために自分を探していたのではないかと疑ってしまったぐらいだ。

 だがそうではなかったらしい。

「災いの芽は、完全に摘み取っておく必要があります」

 リテルが微笑みを浮かべたまま言った。

「その男の力は奪いましたが、安心はできません。力を取り戻す可能性がないとはいえませんし、そうなれば本人にその気がなくとも、魔王を解放させる方法はいくらでもあります。最も確実なのは、存在そのものを消してしまうことでしょう」

 ──そうか……あれこれ言っているのは建前で、こいつの本音は俺を殺したいだけなんだな。

 ゼノは不意に悟った。

 魔王に対する恨みか、自分が凋落した腹いせか。行き場のない感情が途方もない時間をかけて凝縮し、リテル自身を蝕んで変質させた。いまのリテルは神ではない、怨念と妄執に支えられた得体の知れない何かだ。それがゼノという捌け口を得て、残酷な歓喜に打ち震えている。いや、それとも──これが神というものなのか?

「リテル様、お待ちください!」

 他人事のように思いを巡らせるゼノの前で、アルテーシュがうわずった声を上げた。

「この者は私の恩人。どうか命だけは──」

「わたくしに逆らおうというのですか、アルテーシュ」

 穏やかなリテルの言葉に、アルテーシュが怯えたように縮こまる。

「おまえを神の一員に迎えたのはこのわたくし。それを忘れてもらっては困りますよ。そして魔王の復活は、世界の終焉を意味します。この世界を守るために、おまえも神の一人として自分の責務を果たしなさい」

 アルテーシュはそれ以上何も言わなかった。

 霧の中から兵士たちが現れ、ゼノを捕縛する間も、石になったようにずっと平伏したままだった。


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