10-6

 ──ヴァランだって?

 圧倒的な膂力で拘束されたまま、ゼノはぼんやり思った。

 ──じゃあ、この腕はヴァランの……? ヴァランが内通者……?

「そうか、おまえが」

 実際に声に出して言ったのは、カイエだった。

「カイエ、おまえには感謝してるよ」

 ゼノの頭の上でヴァランの声が響いた。

「おまえはいつだって正しい。おまえはオレに、一族の欺瞞を教えてくれた。おまえが村を捨ててくれたおかげで、オレにも村を出る口実ができた。そしてついに、世界の真実を知ることができたってわけだ」

「いまの話が、真実だと?」

「違うか? あの村が変だってことは、おまえが最初に指摘したんじゃないか。何もかも腑に落ちたよ。オレたちの祖先は魔王崇拝者。だけどオレは、魔王は世界の敵だと信じて生きてきた。だからそれを、これからも貫くだけだ」

「ねー、じゃーさー、あの勇者たちもグルだったのー?」

 クレシュがいつものだるそうな調子で口を挟んだ。

「オレは知らんが……じーさんの手先じゃないのか?」

「なんのことでしょう? この男のほかにも勇者がいるのですか?」

 リテラストスが首をかしげた。

「ここで捕まってた男と、その仲間だよー。あんたが鍵の場所を教えたんじゃないのー?」

「おや、彼らはあなたがたの仲間ではないのですか?」

 微妙な沈黙がおりた。

 その場にいる全員が、互いを探るように視線を絡み合わせる。

「なんだー、違うのかー」

 やがてクレシュが沈黙を破った。

「あたしたちを釣り出す餌だとしたら、ずいぶん手が込んでるなーと思ったけど、そうじゃなかったんだー」

「たしかに、あの男を捕らえておいたのは、勇者殿をおびき寄せるためでしたが……え? あれが勇者……?」

 リテラストスの顔に、初めてかすかな狼狽の色が浮かんだ。

「どうやら、こっちに気を取られすぎて、本命を逃したようだな」

 すかさずカイエが追い討ちをかける。

「この男は、神殿が探してきたただの雇われ勇者だ。あっちは、女神の神託を直接受けた、正真正銘の勇者らしいぞ」

「ば、馬鹿なことを……そういえば、勇者がどうのと妄言を吐いていましたが……まさか、あれが魔王に選ばれた勇者? とくに取り柄もなさそうな、あの者たちが?」

「まー、人は見かけによらないって言うしねー」

「…………」

 リテラストスは口を半開きにしたまま固まった。

 このまま丸めこめるか? と、ゼノは期待したが、ヴァランは騙されなかった。

「じーさん、惑わされるな。封印を解けるのはこっちだ」

「ふむ……そうですね。勇者が一人だけではないというのも、魔王の策略かもしれません」

「鍵が移動したのも、魔王の策略ー?」

「いえ、あれは……」

 ヴァランの言葉で自信を取り戻したように見えたリテラストスだが、クレシュの問いにこんどは一瞬口ごもった。

「あれは、鍵を破壊することも消滅させることもできなかったので、やむをえずこちらに移動させたのです。しかし、封印の領域が予想以上に広く、このようなことに……」

 意外にも素直に白状する。

「襲撃されたわけじゃなくて、自滅かー」

「ぐぬ……」

 クレシュとリテラストスのやりとりに気を取られている間に、ふと見ると、カイエがゼノたちのすぐ近くまで接近していた。

 カイエの右手が握りこまれるのを見て、ゼノは本能的に重心を落とす。

 うまく腕の拘束から抜け、ゼノが尻餅をつくのと同時に、上の方で鈍い音が響いた。

 寸前までゼノの頭があった場所──ヴァランの顎に見事な一撃が決まり、ヴァランが声もなく後ろに倒れこむ。

 こんどはカイエがゼノを担ぎ上げ、先ほど入ってきた大扉へ。腹部を殴ってリテラストスを昏倒させたクレシュが、それに続く。

『ヒラケ!』

 大扉の錠はこちら側で開閉できるようになっているが、手っ取り早く呪文で突破。

 先ほどの回廊を駆けていくと、埋もれていない中庭に出た。

「いたぞ!」

「あそこだ!」

「とまれ、曲者!」

 集まってくる兵士たちを、鞘に入ったままの長剣で殴り飛ばしながら、クレシュが道を開く。カイエもまた、人ひとり担いでいるとは思えない身軽さで、突き出される剣や槍をかいくぐり、ときには応戦しながら前へと進む。

 中庭を抜け、ふたたび建物内に入ってつぎつぎに扉を開けていくと、ついに外に出た。

 月明かりの下、石造りの防壁が白々とそびえ立っている。

 すぐ右手に大きな門扉が見えた。

 ──あと少しだ。

 ここから出てしまえば、家々の立ち並ぶ街の中。細い路地も、身を隠す建物もたくさんある。じきに追っ手をまけるだろう。

『ヒラケ!』

 分厚い木製の門扉がきしみながら開きはじめ、広がる隙間にクレシュとカイエが駆け込もうとしたそのとき──。

 開きかけていた門扉が唐突に閉まり、二人は慌てて跳びしさった。

「さすがは魔王の眷属。通常の警備では役に立たないようですね」

 門扉を取り囲む兵士たちの後ろから、リテラストスが微笑みながら進み出てきた。昏倒したのは見せかけだったのか、あるいは回復が早かったのか、何事もなかったようにぴんぴんしている。

 ふいにゼノは眩暈を感じた。カイエの体がゆらりと傾き、地面に投げ出される。

「うわ! な、どうした……?」

 焦って起き上がると、見ている前で、クレシュとカイエがよろよろと膝をついた。

 怪我でもしたのか? 血は出ていないし、攻撃できるほど近づいた者はいない。いや、やはり何らかの攻撃か……?

 物理的な力に抗っているかのように、二人の体がぶるぶる震えている。カイエがどうにか立ち上がったが、一歩、二歩進んだところでまた崩れ落ちた。二人とも両手をついて踏ん張るが、上から押しつぶされるように肘が曲がり、膝も腰も崩れて、とうとう顔まで地面についてしまう。

「……逃……げ……」

 絞り出すようなクレシュの声が聞こえ、我に返ったゼノは門扉に手をあててふたたび呪文を唱える。だが一瞬喉がつかえて中断。咳きこんでもう一度。

『ヒラ……』

 言い終えるより先に口をふさがれ、喉をつかまれる。

 どうやって移動したのか、リテラストスが目の前にいた。

「やれやれ、魔法も効かないとは。したかがありませんね」

 喉の奥に激痛が走り、意識が飛んだ。


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