10-5

 すぐ近くの暗がりに、白い人影がぼうっとたたずんでいた。

「ひっ!」

 危うくゼノは、もう一度腰を抜かすところだった。

 人影の正体は、背の低い老爺だった。

 見事なまでに白く豊かな髪と髭は、床まで届きそうなほど長い。顔の中で唯一見える目元には笑い皺が刻まれ、好々爺然とした雰囲気をかもしだしている。白い長衣を重ね着し、いちばん上には同じく白い外衣。見知った神官の服装とは違うが、この神殿の聖職者だろうか。

「わたくしはリテラストス。この街の代表を務めております」

 老爺は穏やかな声で言った。

「あなたが〈連環の勇者〉殿ですね。お待ちしておりました」

 確信を持った口調で言われ、ゼノは白を切ることができなかった。

「え、ええと……あくまで代行ですが。……待っていたとは?」

「〈連環の魔王〉の真実をお伝えするために」

 老爺──リテラストスは目を細めて言うと、おもむろに片手を上げた。

 たちまち広間全体が真昼のように明るくなり、四方の壁を彩る壁画が目に飛びこんできた。自然の中で人々がくつろぐ牧歌的な光景から、多くの人間や魔物が入り乱れて戦っている様子、倒れた大きな魔物を取り囲む人々……などなど、一続きの絵が物語になっているようだ。

「この街は、原初の信仰と長い歴史を有する、特別な場所です」

 壁画に沿ってゆっくり歩きながら、リテラストスは語りはじめた。

「世界には多くの神々がおられ、古き時代には、人々はそれぞれ自分の心にかなう神を信仰していました。しかし現在では、ほとんどが太陽の女神信仰一色に染まっています。それはなぜか……太陽の女神が、ほかの神々より優れているから? とんでもない。それどころか、そこにはある邪悪な企みが隠されていたのです」

 歩みをとめ、指先で壁画の一部をなぞる。

 そこには、光に包まれた神々らしき軍勢と、恐ろしげな異形の魔物たちの軍勢がぶつかりあう様子が描かれていた。だが魔物たちを先導しているのは、金色に輝く一人の女──女神のように見える。

「神話として伝えられる神々と魔王の戦い。その魔王軍を率いていたのは、じつは太陽の女神でした。ほかの神々とそりの合わなかった女神は、魔物たちをそそのかし、世界を滅ぼそうとしたのです。数百年にも及ぶ長い戦いのすえ、女神は力を失い、魔王軍は鎮圧されました」

 ──うーん、衝撃の真相ってほどじゃなかったな。

 聞きながらゼノは、以前バルデルトに教えられた魔物側の神話を思い出していた。

 あの話ではたしか、世界を滅ぼそうとした神々に対し、魔王と太陽の女神が協力して抵抗したという筋書きだった。どちらも相手を糾弾しているが、対立関係はほぼ同じだ。つまりこれは、互いに自分たちを正当化しているだけの話なのでは……?

「問題は、ここからです」

 だがリテラストスは、ゼノの心の声が聞こえたかのように言葉を続けた。

「太陽の女神──いえ、魔王は、再起を図るために狡猾な手段を考え出しました。女神が魔王を封印したという偽りの物語を広め、復活に必要な魔力を公然と集めようというものです。魔王の崇拝者たちは、太陽の女神信仰を隠れ蓑に勢力を伸ばし、必要な準備を着々と進めてきました」

「えーと……太陽の女神は魔王で、女神信仰は魔王崇拝……?」

「いかにも」

 リテラストスは重々しくうなずいた。

「人々は知らずしらずのうちに取りこまれ、魔王のために身を捧げているのです。その最たるものが、〈連環の勇者〉──あなたです」

 ──まあ、俺の場合、取りこまれたわけじゃないが。

「勇者の真の目的は、魔王の封印ではありません」

 リテラストスは続ける。

「生贄となって、魔王の血となり肉となること──それこそが、勇者に課せられた使命なのです」

 ゼノたちは微妙な面持ちで視線を合わせた。

 伝えたかった真実とやらがそのことなら、先ほど内輪で話し合ったばかりだ。

「おや、驚かないのですね。ご存じでしたか」

「封印に行った勇者は戻らない。生贄という推測はしていた」

 カイエが代表して答えた。

 リテラストスは重ねて問う。

「では、太陽の女神の正体が、魔王だということは?」

「そこまでは……。だが、魔王側の関与は否定できない」

「察するに、あなたがたは案内人でしょう。知らないこととはいえ、魔王に生贄を提供しつづけた一族というわけです。いわば、魔王にとってはいちばんの功労者。そのことについては、どうお考えですか?」

「何が言いたい」

 カイエはじろりとリテラストスを睨んだ。

「もちろん、代々の勇者を死地へと送ってきた責は負うべきだろう。だがそれは私たちの問題であって、あなたにどうこう言われる筋合いはない」

「はたしてそうでしょうか」

 リテラストスは笑い皺を深めて言った。

「あなたの一族こそが、魔王崇拝者の中核──この忌まわしい〈連環〉の仕組みを作った首謀者たちだと、わたくしは考えているのですが」

 沈黙が降りた。

 ──言われてみれば、一理あるな。

 一同が口を閉ざした重い雰囲気のなか、ゼノは他人事のように考えを巡らせた。

 鍵の在処を示す魔法の地図。その地図が隠された不思議な洞窟。外界から隔絶された秘境の村。鍵を探して勇者を案内する村人たち。──経緯や目的はともかく、だれかから指示されたと考えるより、村人たちの祖先がみずから構築した仕組みだと考えたほうがしっくりする。

「それが本当だとして、やはりあなたには関係のないことだと思うが」

 しばらくしてカイエが口を開くと、リテラストスはすぐに反論した。

「いいえ。善なる神々を信仰する者として、わたくしには、あなたがたを阻止する義務があります」

「その必要はない。この男は勇者の役割を降りた。もうだれも、これ以上鍵を集めることはできない。生贄の風習はとだえ、魔王が復活することもない」

「もう遅いのですよ。これ以上、生贄は必要ないのです。魔王復活に要する魔力は充分に蓄えられ、あとは魔王を目覚めさせるだけ。そして彼は、このとき、このために生まれてきた、魔王復活の最後の鍵なのです」

 リテラストスは視線を移し、ゼノをまっすぐ見据えた。

「四つの鍵が封印されたのは、準備が整ったことを示す印。その封印を解くことのできる者が、最後の勇者となり、魔王を復活させると伝えられています。……最初の鍵の封印が解かれたと聞いてから、わたくしはずっとあなたのことを探していました。しかしいつも、あと少しのところで先を越されましてね。本当に苦労しましたよ。あなたの知人に頼ったこともありましたが、残念ながら欲深な男で──」

 ゼノはぞくりとした。

 ──まさか……。

「わたくしに紹介してくれるはずが、高値に釣られて別口に紹介したとか。もちろん代償は払っていただきましたが」

 じわりといやな汗が湧いた。

 自分の知人とは、カーネフのことだ。彼らが殺されたのは、そういうわけだったのか。

 ゼノは思わず後ずさりしたが、だれかの体にぶつかって阻まれた。

 背後から二本の腕が伸びてきて、首と胸元をがっしり抱えこまれる。

「けれども、ようやく捕まえましたよ。勇者殿」

 満足そうに言うリテラストスの傍らで、クレシュとカイエの目はゼノの後ろに釘付けになっていた。

「──ヴァラン……!?」


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