10-3
「わわっ!?」
「ひゃっ!」
突然目の前に黒い木立が現れ、パースとルエラが驚きの声を上げた。
実際には、アルテーシュの力によって瞬時に森の中に移動したのだが、何の前触れもなく違和感もないので、逆に感覚がついていかない。体験二度目のゼノでも一瞬混乱したぐらいだ。
便利な能力だが、くだんの街の中までは力が及ばないとのことで、防壁の外側に送ってもらった。
「しー」
クレシュが囁き、先頭に立って用心深く歩きはじめる。
闇に包まれた深夜の森。うっそうと茂る枝葉に月明かりも遮られ、すぐ目の前の仲間の姿さえ満足に見えない。自分たちの息遣いや、地面を踏みしめる足音がいやにはっきり聞こえて、遠くからのかすかな物音にびくりと反応してしまう。
だれが同行するかでしばらくもめたすえ、案内人一族と勇者一行、ほぼ全員で行くことになった。トアルはユァンと留守番だ。本当は勇者二人にも待機してもらいたかったが、自分たちもぜひにとすがられて、断りきれなかった。彼らの仲間を救出しに行くのだ、気持ちはわかる。不安がないでもないが、案内人が三人もいるのだから、なんとかなるだろう──たぶん。
〈身内〉だけの会合で、あのあといくつかカイエに質問したが、謎は解けないままだった。
アルテーシュとは、遺跡巡りの途中で偶然出会ったという。どうやら彼女は本当に神々の末席に名を連ねる者のようだったが、開戦とほぼ同時に封印されてしまったため詳しい事情を知らず、行方のわからなくなった同胞を探して同じように遺跡を回っていたらしい。
三勇者についても、二人とも何も知らなかったが、太陽の女神についての手がかりがつかめるのではないかと、協力することにしたそうだ。
──人助けって柄でもないが、見知った人間を見捨てるのは、それこそ後味が悪いしな。
鍵集めを放棄したいま、ゼノが勇者としてその街へ行く必要はなくなったが、ここは乗りかかった船。剣士エランドを救出してから、すっきりした気持ちで旅を終えたい。
黒々とした木々の間を抜けていくと、じきに防壁が見えた。城壁のように立派な石壁だ。
カイエの指示で身を潜め、巡回の兵士たちをやりすごしてから壁に近づく。
泥棒の本領発揮でゼノが鉤縄を投げると、案の定、勇者二人が目を丸くするが、いまは説明している場合ではない。防壁の上部にしっかりかかった鉤縄を伝って、身軽なクレシュが先に登り、見張りの目がないことを確認して合図する。
つぎにカイエが登って上から別の縄を垂らし、ゼノがその端をパースの腰まわりに括りつける。パースが鉤縄をつかんで登る間、上から支えるためだ。
パースがどうにか上までたどり着くと、同様にしてルエラも登り、あとは補助なしで、ゼノ、ヴァランと続いた。
下から見られないよう身をかがめて防壁の上を移動し、内側の巡回をやりすごしてから、先ほどと同じ要領で地面に下りる。
街の造りは、ゼノが暮らしていた都に似ていた。
周辺部は木造の小さな家が多く、中心部に近づくにつれ石造りの立派な家が増える。道は石畳で舗装され、大通りには魔法で輝く街灯が配置されている。
大きく異なるのは、警備兵の多さと、異様なまでの静けさ。出歩いている一般人の姿はなく、都では日常的だった酔っ払いたちの喧騒も聞こえない。
息を殺し、なるべく足音を立てないように用心しながら、暗い裏通りを選んで進む。心配だった勇者二人も、うまく気配を消している。
しばらく行くとまた防壁があり、先ほどと同様にして上に登ったが──。
──なっ、なんだ……これ?
見下ろした内側の光景に、ゼノはあんぐり口を開けた。
月光に照らされた朽葉色の砂丘。その頂上付近から斜めに突き出した、壮麗な青白い神殿。神殿はなかば以上砂に埋もれ、いまにも呑みこまれてしまいそうにも、いままさに生まれ出ようとしているようにも見える。
砂丘の砂は内側いっぱいに満ち満ちて、防壁の上部──ゼノたちの足元近くまで達している。
なんとも奇怪で、落ち着かない気分にさせられる眺めだ。
──砂……砂の山…………あっ!
ようやく思い至ってクレシュの方を見ると、彼女もこちらを向いてうなずいた。
砂漠にあいた巨大な穴。もともとそこにあった山と、その下の遺跡が移動した先は、ここだったのだ。
──それにしても、これは……。
神殿が建っている場所に、砂漠の山がそのまま移動したということなのか。移動の仕組みはわからないが、二つの場所が重なりあって──というより、融合して渾然一体となっているように見受けられる。これでは、内部も無事ではないだろう。移動の瞬間に居合わせた人々はどうなったのか。ちらりと考えただけで、背筋が寒くなる。
だがアルテーシュによれば、エランドは神殿の地下に囚われているらしい。少なくとも、中には生存者がいて、侵入者を拘禁する程度の設備は維持されているということだ。
安全を確認しながら、クレシュがそっと砂の上に下り立った。砂地はそれなりに固まっているようだ。そのまま砂丘を渡り、傾いた神殿の屋根の下を覗きこむ。
合図を受けて全員でそこまで歩いていくと、庇の下の明かり窓から中の様子が見えた。
内部もほとんど砂に埋もれているが、太い柱や厚い壁が支えになって、人が通れるほどの空間は確保されているようだ。
──牢の天井が崩落する仕掛けって言ってたけど、これ、建物全体がやばいんじゃ……。
「だ、大丈夫か……なっ!?」
囁き声でゼノが言い終える前に、クレシュが明かり窓に足から潜りこみ、砂の坂を滑り下りていた。突き当たりの砂山を利用して停止すると、立ち上がって手招きする。
ゼノは諦めて自分も明かり窓に足をつっこみ、あとに続いた。
道なき道を進む、不安と、そしてわずかな高揚感。旅のはじめに挑戦した無茶な山越えを思い出し、どこか期待している自分に気づいてしまう。そうだ、これこそが、クレシュとの旅の醍醐味だ。
下に着いて脇にどくと、すぐにパースとルエラも滑り下りてきた。クレシュが二人を支えて立たせている間に、カイエとヴァランも合流する。
魔法の灯を頼りに、砂に侵食された通路を進みはじめたが、大きく傾いているせいで平衡感覚がおかしくなりそうだ。下へ向かっていったら行き止まりだったので、引き返して上へ向かったら、階下に続く階段があった。
このあたりは放棄されているのか、静まり返っていて、何の気配もない。
ふたたび階段を見つけてさらに下へと進むと、様子が一変した。
神殿の建物と砂しかなかったところに、妙に古びた石材が混じりはじめる。摩耗して丸くなり、ひび割れ、湿り気を帯びて苔むしているもの。ひび割れから生えた蔦に絡めとられ、砕けて崩れかかっている場所もある。
「ここ……我々が入った遺跡に似ています」
周囲を見回しながら、パースが囁く。
似ている、ではなく、おそらくその遺跡そのものだ。神殿とその地下に、砂漠の山と地下遺跡が合体して、つぎはぎの歪んだ迷宮がつくりあげられている。幸いなのは、移動の衝撃そのものによる被害はほとんどなく、入り混じって融合した状態でそれなりに安定を保っていることだ。
だがしばらく進むと、完全に行き止まりになった。
遺跡の通路の先を、土砂がふさいでいる。
クレシュに促されて前へ進み出たゼノは、周辺の様子を観察しながら、土砂にそっと触れてみた。砂や新旧の石材が混ざっているようで、ぼろぼろと崩れる。天井はしっかりしていて、問題なさそうだ。
『ヒラケ』
口の中で唱えると、土砂が一気に流れ落ちた。
もうもうと巻き上がる土埃の向こうに、新たな通路が現れる。
「さすが鍵屋さん!」
ルエラが賞賛の声を上げた。
──いや、さすがにこれは鍵師の仕事じゃないだろう!
ゼノは思わず振り返ったが、パースとルエラの尊敬のまなざしとまともにかち合ってしまい、何も言えずにふたたび前を向いた。
──ま、まあいいか……。
土砂の山を乗り越え、一行はつぎの区画に足を踏み入れた。
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