10-2

「あなたが、いまの勇者か」

 別室で四人──カイエ、クレシュ、ヴァラン、そしてゼノ──だけになると、カイエは開口一番そう言った。

 兄というが、歳はクレシュとそう変わらないように見える。同じ赤い髪に、灰色の目、整った華のある顔立ち。違いといえば、クレシュが髪をまとめず垂らしたままなのに対し、彼のほうは長い髪を後頭部の高い位置で一つに束ねているぐらいか。少年期から青年期への途上といった体つきで、身長もゼノより低い。クレシュが男だったらこうだろうという見本のようだ。

 だがクレシュに比べ、感情を表に出さない気質らしく、無表情に見つめられてゼノは縮こまった。

「勇者といってもその……代理みたいなもので」

「鍵集めは、もう、やめるべきだ」

「なぜ?」

「勇者は死ぬ」

 断言されて、ゼノは言葉を失った。

「魔王の封印に赴いた勇者は、二度と戻らない」

 カイエは続けた。

「つまり勇者は、人身御供だ。〈連環の祝福〉は、祝福などではない、呪いだ。生贄の烙印というわけだ」

 ゼノはどう反応していいかわからず、視線をさまよわせた。クレシュとヴァランも押し黙っている。

「つまり……クレシュ、おまえもそのことは承知してたのか」

 クレシュはうなずいた。

「そー、勇者が戻らないのはほんとー。でもどうなったかはわからないしー……ゼノは鍵を集めるだけだからー」

「だけど、俺のあとを引き継いで封印に行く勇者は、戻らない……」

 ゼノは言葉の意味をかみしめるように言った。

 ヴァランがぼそぼそと口を挟む。

「魔王の封印に成功した勇者は、神々の一人として迎えられる……って言い伝えだけどな。まあ、遠回しに死ぬって言ってるだけかもなあ」

 事情を理解するうちに、ゼノは気分が悪くなってきた。

 強大な魔王を封印するためとはいえ、長きにわたって神殿と案内人は結託し、勇者に祭り上げた人間を生贄として送り出してきたというのか。そんな悪習が、神の名のもとに平然と続けられてきたとは──。

 ──やっぱり、ろくな話じゃなかったな。

 そもそものはじめに、大神官たちの話から感じたうさんくささは、これだったのか、と思い至る。

 ──でも、オリヴィオは? あいつが知らなかったはずはない。なのに、なんで勇者になんか……?

 彼が何か隠しているようだったのは、このことだったのか? それとも、もっと別の秘密が、まだあるのだろうか?

「鍵が回収できなくなって、これで勇者殺しは終わるのだと思っていた」

 カイエはふたたび口を開いた。

「村の因習に縛られる必要もない。あとは自分の好奇心を満たすためだけに、神話の真実を調べていくつもりだった。なのに──鍵集めが再開されたと聞いて、驚いたよ」

 クレシュがちらりとヴァランの顔を見た。

 咎めるような視線を受けて、ヴァランは素直に白状した。

「あー、オレが話したんだ。世間話のつもりで、つい」

「兄貴は、一応部外者だよー」

「すまん。だけど、場所を教えたりはしてないからな!」

「……ふーん?」

 クレシュは疑いのまなざしで、ヴァランとカイエの顔を見比べた。

「それは本当だ」

 カイエが代わりに弁明した。

「鍵の場所は聞いていないし、そのこと自体に興味もない」

「じゃー、記憶の封印もそのままー?」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「んー、ちょっとねー。情報が洩れてるみたいでさー」

「私を疑っていたのか」

「まあねー」

 怒りだすのではないかと、ゼノははらはらしたが、カイエは軽く肩をすくめた。

「まあ、疑われるのも無理はない。先に知っていたら、きっと妨害していた」

 悪びれる様子もなく対立を認めたが、それだけに嘘を言っているようには思えない。

 ──じゃあ、カイエは無関係なのか。

 三勇者が鍵のありかを知っていた謎は、振り出しに戻った。

 ──そうすると、本当にあいつらは本物……?

 無駄足を踏んだばかりか、よけいな面倒ごとまで背負い込んだ気がするが、疑いが一つ消えただけよし……なのか?

 ゼノがぼんやり考えていると、カイエがこちらに視線を向けて言った。

「驚いたといえば、もう一つ。アルテーシュの救い主と、連環の勇者が、同一人物だったことだ」

 その声に不穏な響きを感じ取って、ゼノは警戒した。

「封印を解除できる者が、魔王を封印する勇者というのは、どういう冗談だろうね? あるいはこれは、偶然ではなく、作為されたものなのか」

 ──やっぱりそこに食いついてきたか。

 ゼノは心の中で嘆息した。

 この時期、この状況に、自分が居合わせたことには、何か大きな力が働いているのではないか……そんな恐ろしい想像をして慌てて振り払ったのは、つい数日前のことだ。封印するための鍵を集めるために、鍵の封印を解く必要があるという逆説めいた構造は、そこにゼノという要素を加えることで、新たな輪郭を浮かび上がらせる。すなわち──。

 魔王の封印ではなく、解放。

「あなたは、魔王側の駒かもしれない」

 予想していた言葉だったので、ゼノは驚かなかった。逆に問う。

「俺も、その可能性は考えなかったわけじゃないけど……じゃあ、魔王は、人間の敵なのかな?」

 カイエは虚を突かれたような顔をした。

「どういうことだ?」

「魔物に伝わる話では、かつて神々が世界を滅ぼそうとして、魔王と太陽の女神がそれに抵抗したんだとか。そっちの言い分が正しければ、神々のほうが人間の敵ってことになる」

「あなたは、それが正しいと思うのか?」

「さあ? そんな大昔の、あったかなかったかも不確かな神話の真相なんて、だれにもわからないと思う。ただ……勇者が死ぬというのは、寝覚めが悪いな」

 ゼノはクレシュの顔を見て言葉を続けた。

「クレシュ。オリヴィオが言ってた魔力量の問題は、深刻だと思うか?」

「さー。あたしは感じないしー」

「魔王の封印と関係があるかどうかは確実じゃないって、あいつも言ってたよな。それなら、俺がここで降りても、世界の終わりが来るとは限らないわけだ」

「降りるのー?」

「すまない、無責任で。だけど、もともと俺は、旅が楽しくて鍵集めに協力してただけだ。この旅の終着が、勇者の犠牲なら……もう、降りたい」

 最初からわかっていたことだ。ゼノだけが異分子だった。

 クレシュたちは案内人の村に生まれ、当然のこととして案内人になるべく教え育てられた。彼らにとって、案内人は人生の目標であり、人生そのものだ。カイエのような離反者が現れるのも、彼らの真剣さの裏返しといえるだろう。

 オリヴィオは、魔力量の急激な増加に危機感を覚え、おそらく生贄のことを知りながらも、志願して勇者になろうとした。やむをえずゼノに鍵集めを依頼したが、最後はふたたび自分が引き継ぐ覚悟なのかもしれない。

 大神官たち神殿の関係者は、魔王の復活を恐れ、なりふりかまわず勇者を魔王封印の旅へと送りこんできた。腹黒くて他力本願ではあるが、それが世界を守る方法だと信じ、勇者の犠牲は必要悪として容認しているのだろう。

 ゼノだけは──巻き込まれたとはいえ、たいした覚悟もなく、楽しいからという理由で旅を続けていた。自分の行動一つで、だれか、あるいは世界の命運が大きく変わるという現実は、遊び半分で関わるには荷が重すぎる。

 自分では決められない。いや、決めたくない。これ以上旅を続ける勇気がない。

「ゼノがそう思うなら、あたしはいいよー」

 クレシュはあっさり言った。

「前にも言ったけどー、責任なんて感じなくていいからー」

 ──もしかしてクレシュは、こうなることを予想してたんだろうか。

 いつもどおりの彼女の顔を見つめながら、ゼノはふと思った。

 思えば、最初にゼノが逃亡を図ったときにも、彼女はこんな調子だった。自分が期待されていなかったと考えると、少し傷つくが、彼女は彼女で、案内人の務めに思うところがあるのかもしれない。ヴァランとの会話でも、ちらりとそんなことを漏らしていた。

 ──この子と会えなくなるのは、寂しいな。

 この旅を打ち切るうえで、いちばんの心残りはそれだ。美しくて、強くて、態度はやさぐれているが心根は悪くない、魅力的な護衛兼案内人。酔った勢いで過ごした夢のようなひととき。自分が勇者でなくなれば、おそらく二度と会うことはない──。

 ──おっと。いまはまだ、感傷に浸ってる場合じゃない。

 我に返ったゼノは、故意に明るい口調で話題を変えた。

「えーと、この話はいったん置いて、まずはあっちの勇者を助けるのが先だな」


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