9-6

「ごっ、ごめんなさい。あなたが近づいてるのはわかってたけど、こんなごちそう、冷めたらもったいないと思っちゃって」

 ルエラは口の中のものを慌てて呑みこんでから、きまり悪そうに言った。

「そんなことはいいんだよ。君が無事でよかった」

 パースは心底ほっとしたように言い、へなへなとその場にしゃがみこんだ。

「気づいたら砂漠に倒れてて、ここの人たちが助けてくれたの」

 目印一つない砂漠で呆然自失となっているところに、白装束たちが偶然通りかかり、町まで連れ帰ってくれたのだと、ルエラは語った。

 ──っていうより、そこにいるのを知ってて、迎えに行ったってのが正解だろうな。

 先ほど彼らが現れたときのことを思い返して、ゼノは考えを巡らせた。

 とりあえず害意はなさそうだが、かといって善意の存在とも考えにくい。なにしろ、一度はゼノを金で買い取って、ほぼ強制的にアルテーシュを解放させた連中だ。カーネフたちを始末した疑いもある。ルエラを助け、自分たちをここへ導いたのも、彼らなりの思惑があってのことにちがいない。

 そんな推量を裏付けるように、一行を案内してきた白装束たちは、ついてくるよう身振りで促すと、さらに奥へと進んでいく。

 パースとルエラは、迷うように顔を見合わせ、結局立ち上がっていっしょに来た。

 二部屋ほど抜けた先は、がらりと印象の違う広間になっていた。天井も高く、上の方に等間隔にあけられた小さな窓から日が差し込んで、交差した何本もの光の筋が幻想的な空間をつくりだしている。

「久しぶりです、わが救済者よ」

 奥の方から、涼やかな声が響いた。

 上等な織物をかけられ、玉座のようにしつらえられた椅子に、見覚えのある女がゆったりと腰かけていた。

 清楚な面差しに、きらめく銀色の瞳。長い銀色の髪は丁寧に結い上げられ、豊かな襞のある白い長衣をまとっている。隠しているのか、背中の翼は見えない。

 衝撃的な初対面のときとはだいぶ印象が違うが、紛うことなき〈不死の月〉アルテーシュだ。

「お……お久しぶりです」

 ゼノがしかたなく挨拶を返すと、アルテーシュは上品な笑みを浮かべて言った。

「先日は充分な礼もできず、すみませんでした。ちょうどよい機会です。何か望みはありませんか? できるかぎりの便宜をはかりましょう」

 ──なら、四つ目の鍵を……と言いたいところだけど。

 勇者たちの前でそんな話を持ち出したら、ややこしい状況がよけいややこしくなる。

「いや、礼は別にいいんですが……じつは、そこの二人の仲間を探しています。どこにいるか、わかったりしませんか?」

 無難そうな質問をひねりだしてみた。

 アルテーシュはわずかに驚いた表情を浮かべ、逆にこう返した。

「それは奇遇です。じつはそのことで、あなたにお願いしようと思っていました」

「……え?」

「その者の居場所はわかったのですが、警備の厳重な牢獄に囚われています。とくに、各房には脱獄防止の罠があり、無理に開けようとすれば崩落して中の者が死ぬ仕掛け。私の眷属だけでは救出できず、困っていたのです。どうか力を貸してください」

「あ、えーと……」

 ゼノは口ごもった。

 背後から、勇者二人が戸惑っている気配をひしひしと感じる。それはそうだろう。彼らにとって、ゼノはとりたてて特技もないただの旅人。いかにも戦士らしいユァンやヴァラン、細腕とはいえ帯剣しているクレシュと違って、どう見ても戦力になりそうにない──もっといえばお荷物にしか見えない痩せっぽちの男に、貴人然としたアルテーシュが助力を求めているのだ。

「いや、あの、その……じつは俺、故郷ではちょっと有名な、どろ……鍵屋で。……こ、こちらのかたとも、それが縁というか……」

「まあ、鍵屋さん!」

「なるほど、そういうことなんですね!」

 しどろもどろに苦しい言い訳をすると、二人はあっさり納得してくれた。つくづく人がいいというか単純というか、他人事ながら心配になるほどだが、こちらにとっては好都合だ。

「俺にできることなら、しますが」

 ゼノは改めてアルテーシュに言った。

「もう少し詳しい状況を教えてください。場所はどこで、相手は何者なんですか?」

「場所は、ここから西、砂漠を越えた向こうにある大きな街です。全体が堅牢な防壁に囲まれ、多くの兵によって守られています。さらに、何やら禍々しい力が外部からの干渉を阻んでいるらしく、内部の様子はおぼろげにしかわかりません。私の力でも、居場所を探し出すのが精いっぱいでした。くれぐれもお気をつけください」

 ──ちょっと待て、そんな物騒なところへ助けに行けと!?

 ゼノはいますぐ逃げ出したい衝動に駆られたが、かろうじて思いとどまった。勇者たちが鍵の移動に巻き込まれたのなら、剣士が拘禁されている場所の近くに鍵もあるはずだ。いやでもおうでも、いずれはその街へ行くことになる。

「はあ……それと、もう一つ」

 諦めの溜め息を漏らしながら、ついでに聞いてみる。

「砂漠に大きな穴があいてましたが、あれについて何かご存じでは?」

「いいえ」

 予想外の答えが返ってきた。

「妙な地震の原因を調べさせていたところ、くだんの穴と、近くにその神官が倒れているのを発見したのです。どうやら、あそこ一帯がごっそり、西の森へ移動したようですね。三人はちょうどその場に居合わせたとか。本当に災難でした」

 鍵を移動させたのは、アルテーシュではないらしい。ではいったい、何が起こったのか……。

「西の街を覆う禍々しい力。おそらくそれが関係しているのでしょう」

 ゼノの心を読んだように、アルテーシュが言葉を続けた。

「残念ながら、その力の前では私の力は無効化されてしまいます。危険な場所へあなたを送り込むことは気が引けるのですが……せめてもの支援として、あなたに月の加護をさしあげましょう」

 アルテーシュがすっと右手を差し伸べると同時に、ゼノは左手の甲が熱くなるのを感じた。

 慌てて目をやると、見慣れない紋様が刻みつけられている。〈連環の祝福〉と形は違うが、同様に焼き印でも彫り物でもない、そこだけ脱色したような白い紋様。

 ──また、勝手に……!

 自分の体に傷をつけられてむっとしているゼノに、アルテーシュが屈託のない様子で言う。

「ささやかですが、この印があなたの身を守ります。危機的状況には、必ず私もはせ参じましょう」

 ──いやむしろ、最初からいっしょに行ってくれれば早いんじゃ……?

 とはいえ、強行突破ならともかく、隠密行動にアルテーシュが向いていないのは確かだった。室内で改めて見て気づいたのだが、彼女は全身がほのかに光を帯びている。さすがは〈不死の月〉の二つ名を持つ人外といったところか。

「まずは、食事でもとって体を休めてください。具体的な計画はそのあとで」

 アルテーシュの言葉を合図に、案内役の白装束たちが一礼し、ふたたび先に立ってぞろぞろ部屋を出ていこうとする。

 と、それまで黙って見守っていたクレシュが、いきなり動いた。

 わずかな身のこなしで鞘から剣を抜き、最後尾の白装束に斬りかかる。

 襲われた白装束のほうも、最低限の動きでそれをかわした。

 だが、断ち切られた白い布がふわりと舞い上がり、その下からつややかな赤い髪が現れて──。

 クレシュとよく似た顔立ちの若い男が、無言のままこちらを見返していた。

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