9-4
あまりにも大きすぎて、はじめは何なのかよくわからなかった。
地面が唐突に途切れ、切り立った崖のようになっている。目をこらすと反対側の崖が見えたが、谷に分断されているわけではなく、崖の縁がぐるりと円を描いてつながっている。
干上がった大きな湖。というのが、規模としては近いだろうか。だがその底は、見事な半球型をしていて、自然にできたものとはとても思えない。たとえていうなら、巨大な椀で地面をくりぬいたようだ。
「あー……」
さしものクレシュも驚いたらしく、間抜けな声を上げた。
「鍵がー」
「鍵? まさか、ここに最後の鍵が……?」
「あった……けど、ないねー」
クレシュとヴァランは顔を見合わせ、それきり無言になった。
ゼノはどうしていいかわからず、もう一度穴に目をやった。
よりによって、鍵がその在処ごと消えたということか。何者かが故意にやったとしか考えられないが、そうだとしても、こんなことができるのは──。
「──アルテーシュ」
無意識につぶやくと、ユァンがきらりと目を光らせた。
「ふむ。妥当な推測じゃな」
月の神リテルに仕えていたと自称する〈不死の月〉アルテーシュ。その言葉の真偽はともかく、不死の称号にふさわしい生命力を有し、得体のしれない白装束たちを従え、いともたやすくゼノとトアルを山頂からふもとまで移動させたあれこれを考えれば、この程度のことはできそうだ。カイエの失踪に白装束が絡んでいるとなれば、彼女の関与は確実といっていいだろう。
だが、何のために……? カイエの目的は鍵集めの妨害とみてよさそうだが、アルテーシュがそれに協力する理由がわからない。
「疑問は直接当人たちにぶつければよかろう。まずは、二人を見つけることが先決じゃ」
「見つけるって、どうやって?」
「白装束たちはいやでも目立つ。連中の目撃情報をたどれば、いずれ二人に行き着くはずじゃ」
「なるほど」
「うん、そうだねー」
クレシュが気を取り直して賛同した。
「とりあえず、人のいるところへ行こうかー」
「うーん、でもなあ」
珍しくヴァランが煮え切らない態度で言った。
「運よくそいつが見つかったとして、鍵は? もうなくなっちまったんじゃないのか?」
「ここからは消えたが、存在そのものが消滅したとはかぎらん。むしろ、鍵そのものに干渉できなかったからこそ、こんな大掛かりなことをしたのじゃろうて。穴の様子からしても、破壊した跡には見えん。丸ごとどこかへ移動した可能性が高い」
さすがは一族をまとめてきた元長。ユァンの言葉には説得力があり、ヴァランもそれ以上は反論しなかった。
一行はふたたび歩きはじめたが、これまでとはうってかわって足取りが重い。とくにヴァランの速度は目に見えて落ち、必然的に全員の歩みも遅くなった。会話が弾まないせいか、先ほどよりも暑さが増したように感じる。
ふらふらになりながら、なんとか足を前へ運び、どれくらい歩きつづけたか──。
「村が見えてきたよー」
クレシュの声に顔を上げると、遠くに陽炎のような影が見えた。
しばらく進むうちに、ぼんやりしていた形が定まり、しだいに輪郭がはっきりしてきた。
大きさのまちまちな煉瓦造りの家々。まばらに立つ背の高い風変わりな木々。広場にある井戸の周りでは、旅人たちが馬に水を飲ませたり、荷を下ろしたりしている。砂漠の真ん中という立地からして、交通の要衝となっているのだろう。
ようやくまともに休めそうだと足を速めたゼノは、村人たちの姿が判別できる距離まで近づいたところで、思わず声を上げた。
「げっ!」
ゆったりした白い衣服に、頭部を覆う白い布。
一瞬、例の白装束たちかと焦ったが、よく見ると違った。白装束たちは顔を隠すように布を巻きつけていたが、ここの人々は頭に緩くかけているだけだ。動きも一人ひとりばらばらで、表情豊かに言葉を交わしている。
とはいえこれでは──。
「目撃情報……期待できなさそう」
ゼノがつぶやくと、ヴァランがはっと気づいたように言った。
「忘れてたが、そういえばこのへんでは、こういう格好がふつうなんだった」
「そうだったねー」
と、クレシュも間の抜けた声で言う。
「なんじゃと!? それでは、目立つどころか溶けこんでしまうではないか!」
地団太を踏むユァンをなだめるように、トアルがその足にそっと抱きつく。
実際のところ、ここでは浮いているのはゼノたちのほうだった。旅人たちですら、頭に白い布をかけたり、大きな白い布を体に巻きつけたりしている。おそらく常日頃から砂漠を行き来してなじんでいるのだろう。
「ま、まあ、でも……逆に考えれば、白装束たちの本拠地はこの近くなのかも? だからあんな格好してるとか」
「ふむ。神もたまには鋭いことを言うではないか」
すぐにも勇んで飛び出しそうなユァンに、ゼノは慌てて付け加えた。
「そっ、それよりも休憩! 休憩しよう! 俺はもう倒れそう!」
「まったく……いつまでたっても軟弱じゃのう。しかたがない、休憩がてらここの名物料理でも味わうとするか」
ユァンの意識が食に向けられてゼノがほっとしたのもつかのま、きょろきょろとあたりを見回していたユァンの視線がぴたりととまった。
「む! あれは……」
見れば、少し離れた建物の陰に、見覚えのある人影がうずくまっている。
以前会った勇者一行の一人、魔法使いの男だ。
「おや、おぬし。こんなところで会うとは奇遇じゃのう」
ユァンが近づいて声をかけると、男はびくっとして顔を上げた。
何やら様子がおかしい。全身汗だくで息を切らしているし、着ているものもぼろぼろだ。
「ああ……あなたがたは、たしか……」
「いったいどうしたのじゃ。ほかの二人はいっしょではないのか?」
「それが、じつは──」
言いかけて男は、力尽きたようにその場に崩れ落ちた。
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